8章-4.幸せとは 2001.4.1
「ノリさんって不思議な方ですね。本当にプレイヤーなんでしょうか?」
閉店後、店の片づけをしていると雪子鬼が首を傾げながら尋ねてきた。
『ノリさん』というのは、飲みの場で、地方の武力組織が縄張りにしていた地域についての情報を与えてくれた男の事だ。その後も、彼はセズキと会話を続けていた。
その様子は本当に親戚の叔父さんのようで、警戒するのが馬鹿らしくなる程、和やかな雰囲気だった。セズキも彼に心を開いているような印象で、楽し気に会話していた。
「ノリさんは、一応Bランクのプレイヤーではあるんだけれど、今までの経歴を見ると、どうやら殺しはしていない。大抵誘拐された人間を助ける仕事とか、敵地から情報を引き抜いてくる仕事とかを受けている印象だね。そう考えると、『プレイヤーではあるけれど殺し屋ではない』みたいな人かもしれない。むしろ僕は、彼の事は情報屋だと思っているよ」
プレイヤーが受ける仕事の内容は、必ずしも人間を殺すというわけではない。プレイヤーに求められるような、高度な技術や身体能力が必須な仕事というだけで、殺しが発生しない仕事も多く存在している。
勿論高ランクの仕事になればなるほど、殺しが必須の場合が多いのは事実であるが。
「あっ、ナキリさん。あとは、私達で片づけますから……。ナキリさんはそろそろ……。氷織さんが眠そうですので……」
セズキに言われて、僕は端のテーブル席の方へと視線を向けた。するとそこには、僕の仕事終わりを待っていたヒオリがとても眠そうにしている姿があった。目をこすって眠気に耐えているようだ。隣に座ってヒオリを見ていたトラも、早くしろと僕に合図を送ってくる。
確かにもう遅い時間だ。まだ病み上がりの彼女に無理をさせるわけにはいかない。
今日は店主が途中で抜けたため、僕が閉店まで残る事になったのだ。しかし、ヒオリはいつものように僕を迎えに来てしまった。
途中で抜けて部屋まで送って行こうとしたのだが、頑なに僕を待つと言い出したので、端の席で待ってもらっていた。しかし、やはり無理をさせてしまったようだ。
「お言葉に甘えて。僕はヒオリを連れて帰るよ。戸締りお願いね」
「はい。分かりました」
僕はヒオリの元へ向かった。
「ヒオリごめん。遅くなった」
「え? あれ、もういいの?」
「うん。あとは彼等に任せて僕達は戻ろう」
ヒオリは頷いて立ち上がった。僕は彼女の肩に腕を回す。すると、ヒオリは僕を見上げてにっこりと笑った。
***
「トラさんと爛華さんと、随分と盛り上がってたね。何を話してたの?」
「え?」
「凄く楽しそうだったから」
僕を待つ間、ヒオリはとても楽しそうにしていた。一体どんな話をしていたのか少し気になってしまう。
僕達は部屋に戻るために暗い階段をひたすら登っている。静かな階段室には僕達の足音と話し声だけが響いていた。
先日からヒオリと同棲を始めており、2人で同じ部屋に戻るというのはなかなかに嬉しいものがある。
一日の終わりに彼女と共に過ごせるのは贅沢だなと感じる毎日だ。
「実はね、少し前にランカさんにお化粧のやり方を教えて貰ってて。そのお礼に何かしたいって話をしたら、ナキリとのデートの事を聞かせて欲しいって……」
「ふむ」
どうやら僕達のプライベートは、ヒオリからダダ漏れのようだと悟る。
「ナキリが今掛けてるメガネの事とか、貰ったネックレスの事とか、デートで行ったディナーのお店の事とか」
ヒオリは少し恥ずかしそうだ。洗いざらい報告させられたのだろうと思う。その上で、トラに散々からかわれたのだろう。
「言っちゃダメだった……?」
「いや、構わないさ。ヒオリが楽しそうに話している所に行けなかったから、少し羨ましかっただけさ」
「そ、そんなに楽しそうだった? 私……」
ヒオリは両手で顔を覆ってしまった。相当恥ずかしがっているようだ。
「うん。とっても」
僕は恥ずかしがるヒオリの頭を優しく撫でて抱き寄せた。
***
部屋に戻り、僕はホットミルクを2人分淹れた。毎日の終わりにはヒオリとホットミルクを飲みながら話すことにしている。今日はもう遅いので、あまり長くは話せないが、ほんの少しの時間だけでも話せたらと思う。
ソファーセットの所で待っていたヒオリにカップを手渡し、僕は隣に座った。
「ありがと」
ヒオリは、ふぅふぅと冷ましながら、ゆっくりとホットミルクに口を付けている。僕も、甘いホットミルクを口に運んだ。
彼女といなければ、こんな甘い飲み物は飲まなかったかもしれない。大抵ブラックコーヒーばかりだ。自分だけでは味わう事が無かった物と言える。
「なんか、こうしてるの凄くいいなって思う」
ヒオリは僕に寄りかかり体重を預けている。そして、僕の顔を覗き込んでそんなことを言う。
心がどんどん解されて、この甘い甘いホットミルクに溶けていってしまいそうだ。
「本当に今、こうやって無事に生きていられて良かった……。何だか今になってやっと実感がわいてきた感じで。やっと安心できたみたい」
「うん」
「あの時……、SSランクのプレイヤーに襲われた時ね、本当にもうダメだって感じて……。ここで私は死ぬんだって思えて……。凄く凄く怖かった……」
「うん……」
僕もとても怖かった。
ヒオリを失うかもしれないと、そんな予感がした瞬間の事は今でも鮮明に覚えている。
だが、僕なんかよりも、まさに死の危機に直面した彼女の方がずっと怖かっただろうことは間違いない。
「私は今やっとね、あの時自分は凄く凄く怖かったんだって、ようやく理解したような気持ち。無我夢中だったからかな。私は自分の心をずっと置いてけぼりにしてたみたい」
「……」
明らかに格上の人間と対峙するなんて、どれ程怖かっただろうか。
前にグラが言っていたように、SSランクのプレイヤーからすれば、Aランク以下のプレイヤーなんて簡単に殺せる。それ程の実力差がある。
戦いにもならない程の差だと。
それでもヒオリが生き残れたのは、彼女に付いていた鬼人の子がいたからだ。グラの分析によれば、日頃共に朝練をしていた事で、お互いの事を理解していたからというのが大きいらしい。
そこで築き上げた信頼関係があったからこそ成しえたのだと。
互いの力量や傾向を何となく知っていたからこそ、咄嗟に精度の高い連携をすることが出来たのだと聞いている。
格上の敵を引き付け、近接戦で凌いだ鬼人の子も凄いし、その激しい戦いに対して、的確に援護射撃を行って有利に戦闘を進めたヒオリの冷静な動きも凄い。
死ぬかもしれない絶望的な状況下でも、諦める事無く動ける彼等の事は本当に尊敬する。
本当に、戦いの中に身を置くという過酷さを見せつけられる。僕はいつも安全圏から彼等に仕事を振るだけだ。
彼等が極力怪我や失敗をしないように調整はしているし、実力を考慮して余裕のある仕事を回すようにしている。
だが、それでも、それなりに日々死人は出る。イレギュラーや想定外なんて日常茶飯事だ。やむを得ないことではあるが……。
「ナキリが気がついてくれたって、トラさんから聞いたよ? 敵の思惑が全く分からない状況だったのに、敵の狙いが狙撃手だって、ナキリがすぐに気がついてくれたから、間に合ったんだって」
「……」
僕は……。
「もしかして、もっと良い方法があったとか、こうすれば良かったって後悔してる?」
ヒオリは僕の顔を覗き込み問いかける。真っ直ぐに見つめてくる彼女には、何もかも見透かされてしまいそうだ。
いや、違う。僕は彼女の前では上手く『最善』を演じることが出来ないようだ。『最善』の言動が分かっていても、それを実行できない。
「ナキリらしいなぁ。きっと私達の知らない思惑とか計画とか、色々あるんでしょ?」
ヒオリは少し寂しそうに笑う。
「大丈夫。大丈夫だから」
ヒオリの声はとても優しい。僕を安心させてくれる。
本当に僕は、一体どんな姿を彼女に晒してしまっているのだろうか……。
「私のピンチに気が付いてくれてありがと。今私がこうして無事生きていられるのはナキリのおかげなんだよ。色々思う事はあるのかもしれないけれど、私の言葉は素直に受け取って欲しい」
僕は頷いた。
相変わらず僕は彼女には敵わない。
僕はヒオリに甘えるように、きつくきつく抱きしめた。




