7章-8.暴力の世界とは 2001.1.12
「クソッ! 何が目的なんだ! 殺せ! 殺せよ!」
吠える男の頭部を蹴り飛ばし、僕は男を黙らせる。静かにしてもらいたい。どうやって処理するかを、今僕は真剣に悩んでいるのだ。
と、そこで、僕は周囲に現れた気配を感じて顔を上げた。その気配は1つ2つではない。目を凝らせば物陰からこちらを覗く人間が見える。それは徐々に増えていく。
おそらく現れた彼等は、この地域に住む人間だろう。武力組織の人間が倒された事で、気になって出てきたに違いない。
彼等は皆、酷くやせ細り窶れ、ボロボロの服をまとっている。酷い見た目だった。
「あぁ……。救世主様!!」
物陰からふらつく足取りでこちらへ向かってくる中年の男が、僕の方へ両手を広げながらそう言う。
羨望の眼差しを向けられる。不快だ。
「救世主様ぁ!」
「僕は救世主じゃない。やめてくれないかな」
男は僕に触れそうなところまでやって来たが、触れる手前でグラに肩を掴まれた事で止まった。
そして、男はその場で膝をつき土下座をする。
一体何を見せられているのか。
彼等が余程酷い環境に有ったのだろう事は分かる。武力組織が制圧された事で解放されたのだから、僕達に対して好印象を持つのは分からなくはない。
だが、僕は彼等を助けるために武力組織を制圧したわけではないのだ。だから、そうした感情を向けられヒーローの様に扱われるのは迷惑な話である。
僕は冷めた目で彼の事を見下ろしていたが、次第にわらわらと人間が物陰から出てこちらへと集まってきてしまっていた。この土下座をする男のせいで、完全に脅威がなくなったと認識したのだろう。
ゾンビの様に人間が吸い寄せられてくる。
彼等は僕達とは一定の距離を保ちながらも、野次馬のように集まり、あっという間に囲まれてしまった。
と、そこで1人の青年が、野次馬の中から勢いよく飛び出してきた。
虚ろな目、やせ細ったボロボロの体。明らかに正常では無い様子の彼は、右手に古びた金属製のバットを持っていた。
そして彼は、金属バットを振り上げ迷いなく一気に振り下ろした。
直後、ドスッ……と鈍く重い音が響く。
振り下ろした先は、地面に這いつくばり骨折の痛みに耐えていた武力組織の男の足だった。ドスッという重みのある音の中には、肉の潰れるぐちゃっとした生々しい音と、ごきりと骨が砕ける音も混ざりあっていた。見ているだけで痛みが伝わってくるほど、ゾッとする音だった。
「ッがぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
男の絶叫が響き渡る。
「姉さんを……、母さんを……、返せ!! 返せよ!! 死ね! 死ね! 死ね!」
ドスッ……。ドスッ……。ゴリッ……。グチャッ……。
血肉が舞い、周囲にびちゃびちゃと飛び散っていく。金属バットは何度も何度も振り下ろされ、その度に男は絶叫した。青年は憎しみのこもった鬼のような形相で、金属バットを振り下ろし続ける。
鈍い音が鳴り、男の骨が粉砕されていく。回数を重ねる毎に生々しい音へ変化していく。武力組織の男は涙を浮かべ、やめてくれと叫び続けていた。
僕はその様子をじっと見る。
止めさせなければとは思った。だが、体が動かなかった。なぜ動かなかったのか、動けなかったのかは分からない。だが、自分には『彼を止める資格がない』と感じたのだけは確かだった。
どんなに男が嫌だと叫ぼうとも青年は殴る事を止めない。もう、あれは止まらないのだろうと思う。
そして、そんな青年に触発されたのだろう。
次々に武器を持った人間が、倒れている武力組織の人間たちに襲いかかって行った。
それはもうまさに、地獄絵図だった。
腹を空かせたピラニアが集まる池に、新鮮な肉を投げ入れてしまったかのような状態だった。
両手両足の骨を折られ、何も抵抗出来ない武力組織の男達は、彼等の暴力に晒される。鈍器で殴られたり、蹴られたり、刃物で刺されたりと、彼等はやりたい放題だった。
僕はこんな事をしたかった訳では無い。だが、こうなってしまっては完全に手遅れだ。この先自分に出来ることなんて、何も残されていない。
あれほどまでに憎悪に染まり怒り狂った人間達は、僕には手に負えない。言葉なんて通じるはずもないのだから。
この暴力で得られるものなんて、きっと何も無い。だが、全くの無意味という訳でもないのだろうとも思う。
きっと彼等は今まで奪われできたものを補完しているのだ。仮初の一時的な快感で、虚しさを埋めているのだと僕は感じた。
「ナキリ……」
グラが困惑した様子で僕を呼ぶ。この惨状に引いているのだろう。
「グラはこれ……、どう思う?」
「分からない。強いて言うなら、怖い……」
「そうだね。僕も怖いと感じる」
きっと暴力で支配された世界とはこういうものなのだ。暴力の連鎖は止まらない。
SSランクという実質最強とされる武力を持つグラでさえ、彼等の所業に対して恐怖を感じるというのだ。
「前に暁さんが言ってたことの意味が少し分かったかもしれない。暴力の世界は悲惨だって。確かにこれは良くない物だと僕も感じる。どこもかしこもこんな状態だったらと思うと……」
彼等は暴力で解決する事を、今後止められるだろうか。きっと無理だと思うのだ。彼等は力こそ正義であるのだと、長期にわたる弾圧でそう刻まれてしまったのだと思う。
力がなければ奪われるのだ。力を持たない自分自身が悪いのだと。そして逆に、力があれば良い暮らしができる、他者から奪っても良い、思い通りになると、そういう考えが染み込んでしまってる。
そして、今更それは変えられるわけが無い。その理論が正しいとする事で、理不尽に奪われても仕方が無いと諦め、泣き寝入りしていた訳だ。ずっと絶望しながらも耐え忍んでいたのだろう。
だからこそ、今更変えることなど出来ないと思うのだ。変えてしまえば、今までの辛い経験や日々の苦痛を、自ら踏みにじることになる。何故理不尽に耐えなければいけなかったのかと、説明がつかなくなる。
暴力だけで解決するのは間違っていると、頭で理解出来たとしても、きっと受け付けないだろう。他者と信頼関係を築く事などきっと出来ない。
全員が全員、考え方を変えられないとは思わないが、切り替えられる人間は少ないだろう。これほどの悲惨さだ。簡単では無い。
その意味で、この地域は今後も暫く立ち直ることは無いのだろうと想像する。武力組織がいなくなった後も、ずっと暴力に支配され続けるように思う。失われた秩序は簡単には戻らないはずだ。
「僕達の目的は、皆殺しだから。全員が死んだことを確認したら帰ろう」
気がつけば、既に武力組織のメンバーの半分は死んでいた。死んだ後も損壊は続けられる。死体は引きちぎられ粉々になっていく。
死体が身に付けていた金目のものの奪い合いも始まっており、本当に滅茶苦茶だった。
僕は子供達の様子を見る。皆暗い顔をしていた。僕でさえ動揺するような光景だ。無理もない。
「見なくていい……」
僕がそう声をかけると、アマキと鬼人の子供達3人は、僕の周りに集まってしがみつき、顔を埋めてしまった。
「アカギとアオキも」
「大丈夫っす。これは見なきゃいけないと思うっす」
アカギは悲惨な光景から一切目を逸らさずに答えた。
「ミヅチさんに、学んでくるように言われてるっすから」
アオキも目を逸らさずそう言ったのち、僕を見上げて苦笑した。
そして暫く僕達は傍観を続けた。彼等は武力組織の人間の首を晒し首にしたようだ。生首を串刺しにして広場に立てていた。
僕はその首を一つ一つ確認し、全員の死亡を認めた。
「帰ろうか」
武力組織の人間を晒し首にした彼等は、大声を上げて笑い転げていた。踊り出す者や酒を飲む者もいた。
僕達は静かにその場を去る。ここにいても何も出来ることは無い。彼等が今後どうやって生きていくのか想像もできない。関わるべきじゃない。
良くないと認識していても、手を差し伸べる事はしない。彼等に何かをしてやる気は無い。
そもそも、自分の周りの大事な人や物を守る事で手一杯の僕に、一体何が出来るというのかという話だ。何も出来やしない。中途半端な手助けなんてした所で、ただの偽善でしかない。同情なんてすべきじゃない。
それに下手に関わる事で、僕の大事な物が危険にさらされるようなことがあっては元も子もない。
だから、僕は見て見ぬふりをすると決めた。
僕は後味の悪さを噛み締めながら歩く。
生け捕りなんてせず、自分の欲望なんて無視をして、さっさと殺すべきだった。自分の感情を優先させた結果だ。
相変わらず僕は救えない。どうしようもない人間だ。
僕は今日、『最善』を選べなかった。
そんな愚かな自分を殺したくなった。
***
自室に戻った僕は、熱いシャワーを浴びていた。
激しい水音は、僕の中身を空っぽにしていくようだった。
立ち上がる真っ白な湯気で視界も奪われていく。
そこでようやくリセットされたような気分だった。
僕は改めて思考した。
怒りに対して、今回僕は意識を失わなかった。狂気に支配されなかった。
だから、しっかりとコントロールが出来たのだと思っていた。
しかしそれは、『最善』を選択できる程ではなかった。
これではだめだ。僕の望むものではない。
どうすればいいだろうか。
怒りを感じても、常にブレない思考が必要だ。
そのためには、知識や経験は勿論、先を見通す力も必要だ。
何事も知っていれば、思考がブレるのを防げるかもしれない。
また、前もって予測し、方針を完璧に決める事が出来ていれば、その場で判断する必要がなくなるとも思う。
何にせよ、僕には圧倒的に何もかもが足りないのだ。
このままでは、僕についてきてくれたグラやアマキ達までもを危険に晒してしまう。
考えろ。思考を止めるな。
僕は常に僕にできる『最善』であり続けなければならない。
そう再認識したのだった。




