7章-3.アリバイとは 2001.1.4
僕は自覚する。どこか彼等に情が芽生えそうになっている事を。
僕は言い聞かせる。これは自分の為に行う茶番であると。
僕は思考を正す。自分の目的の為に。
『最善』を選び、『最善』を演じる。
ブレるな。
僕は、どこか雑用係の彼等に対して情が出てきそうになっている自分を自覚していた。それを無理矢理に律していく。
無かった事にして無視することもできる。しかし、この感情は無視してはいけないとも感じている。認知して受け止め、成し遂げたい事をクリアにしなければならない。
自分の欲望から目を背ければ、いつか後悔する。僕は間違う事を恐れている。だから、『最善』を選び抜くために、正しく受け止める。
そのうえで、僕は『最善』を演じる。演じなければならない。
もし周囲に隙を見せてしまえば、本当に守りたい物を守れなくなる事を、僕は痛いほど知っているからだ。
彼等が僕に取って大事な存在であるなんて認知されれば、僕を陥れようとする人間は弱い彼等を利用するだろう。
残念ながら自衛出来ない人間を守れる程の力は、今の僕には無い。副店長では足りないのだ。
だから、彼等に変わって欲しいのだ。僕の理想の未来の為には、このままではいけない。
彼等に変わってもらうために、僕は徹底的に『最善』を演じる。
***
約束の5分が経とうとしていた。僕は左腕に付けた腕時計で正確に時間を測る。
あと20秒程だ。と、その時バックヤード側の扉が開いて、東鬼が戻って来た。
数枚の紙の資料を持っているようだった。
「百鬼さん。説明します」
「うん。どうぞ」
「まず改めて確認したいんですけれど。セズキの持ち物から見つかった通信端末が、裏切りの証拠と断定したという事は、その端末に明確な証拠が残っていたということですよね?」
「勿論。襲撃を行った武力組織の電話番号と通話した時の発信履歴がしっかりと残っていたよ」
「履歴は、その1件だけですか?」
「そうだね。この1件だけだ」
「つまり、『セズキを裏切り者と断定した理由』は、『その通信端末で武力組織へ発信を行ったから』ということでいいですね?」
鋭い質問だ。シノギは僕達がセズキを犯人だと断定したポイントを確認している。この前提条件の確認は非常に重要だ。今後展開する自身の論を妥当なものとする際に、非常に活きてくるだろう。
「その発信履歴の時刻は何時ですか?」
「12時17分。まさに僕達がミヅチさんの車でここを去った時刻だよ」
この発信履歴から分かる事は、僕達がこの店を離れたタイミングをしっかりと見ていたという事だ。見た瞬間に武力組織へと連絡を入れたという事を意味している。
「他のメールのやり取りも無しですか?」
「メールのやり取りは一切ないね」
「ありがとうございます」
僕の回答にシノギは確信したようだった。
「つまり、この端末の持ち主は、12時17分にナキリさん達がここを去ったのを目視し、その瞬間に発信を行った。そして、その発信以外はやり取りを行っていなかった。もしくは、意図的にその発信以外の履歴を全て消したか」
「そうだね」
「意図的に他の履歴を消したとしたら、それはセズキに濡れ衣を着せるためと考えるのが妥当と思いますが、ナキリさんはどう思いますか?」
「ふむ。確かに、裏切りの証拠となるような、決定的な履歴だけを残すのはおかしいね。履歴を消すという操作が出来るのに、その発信だけ残すのには何かしら意図があると見るのが妥当だね。だから、シノギの言う通りだと僕も思うよ」
僕に意見を求めて、言質を引き出すのだから笑ってしまう。使えるものは何でも使うという姿勢には好感が持てる。
「言い換えれば、セズキが裏切者だった場合。セズキは履歴の削除方法を知らないという事になります。知っていれば、決定的な証拠だけ残すなんてことはあり得ませんので。つまり履歴を消す事が出来ないので、その端末で行ったやり取りは、襲撃当日の12時17分の発信のみという事になります」
「そうだね。セズキが裏切者であれば、その1回の発信だけしかしていないという事になるね」
セズキが履歴の消し方を知らなかった等とは思わないが、決定的な証拠を残したままにした端末を所持していたのだから、セズキが裏切り者だった場合は、削除方法を知らなかったという事になる。
削除方法を知っているのであれば絶対に削除し、この通信端末は証拠として機能しない様にしていたはずだと。
そういう理論のようだ。
「ここで、この資料を見てください」
シノギは僕へ複数枚の資料を手渡した。
「そこに載せた画像は、僕の私物のホームビデオで撮影した物から切り抜いたものです。当然ビデオテープもあります。見て頂きたいのは、右下に表示された撮影日時です。ちょうどその通信端末から発信をしたとされる日時が記載されています。壁にかけられた時計の時刻と、部屋に置かれた日めくりカレンダーとも整合していて、後から作成したものでは無いと言えます」
「ふむ」
その画像は、建物3階の運動場で、氷織とセズキとシノギが訓練している様子だった。確かにビデオで撮られた画像の右下にある日付と時刻は室内の時計と日めくりカレンダーと合致している。
後からアリバイ作りの為に作成するのは厳しいだろう。
「この通り、通信端末から発信した時刻。セズキにはしっかりアリバイがあります。また、この部屋の窓からは、ナキリさん達が店を去った様子は見ることができません」
確かにその通りだ。3階の運動場から前面道路の様子を見ることは出来ない。
もっと言えば、窓はくもりガラスであり、幅5センチメートル程度しか開かないように設計されている。
窓から顔を出して外の様子を見ることも出来ないと言えるだろう。
そして、この画像にはしっかりとヒオリの姿もある。この画像がでっち上げられたものでは無いと言うにはとても有効な情報と言える。
「つまり、その発信履歴を残した人物はセズキではないし、その時その通信端末を所持していたのもセズキではありません! 従って、セズキは嵌められただけであり裏切り者では無いといえます。ナキリさん達がセズキを裏切り者と断定した理由自体が成り立ちません!」
「ふむ」
とはいえ、この理論にはいくつも抜けがあるし、セズキが裏切り者では無いとは言いきれない。共犯者の可能性等は残されたままである。
だが、ここで最初の前提確認での事が活きてくるのだろう。『セズキを裏切り者と断定した理由』が、『その通信端末で武力組織へ発信を行ったから』としていた事であるため、今シノギが行った説明によって、僕達店主側の論が破綻したわけだ。
つまり、シノギが行った事は、『セズキの無実の証明』と言うよりは、『店主側の理論の破綻を指摘している』ということだ。
僕はじっとシノギを見た。相変わらず鋭い目つきで堂々とした様子ではあるが、体には力が入っており、流石に緊張してるようだった。
「もっと言えば、濡れ衣はセズキ以外の人間にも着せることが出来たわけです。その中でセズキが選ばれたのだとすれば、裏切り者はセズキを消したいと考えている可能性が高いです」
「そうだね」
「先程セズキ自身も言っていた通り、セズキの情報処理能力は高く、この店のセキュリティレベルを格段に上げています。おそらく、セズキを殺す事で生まれると予測できる店の隙を狙っているのだと思います。そんな思惑があると僕は考えます」
「うん」
「だからこそ、裏切り者の思惑通りセズキを殺すべきではありません。そしてまた、濡れ衣を着せられそうになったセズキこそ、裏切り者という立場から最も遠い存在と言えるのではないでしょうか?」
「ふむ……」
証拠と言うよりは、裏切り者側の心理の分析だ。
一理ある話ではあると言えるだろう。
「ナキリそれ見せろ」
僕の隣までゆっくりと歩いてきた店主は、僕の手から雑に資料を取り上げると、サラッと目を通していた。
「お前の見解は?」
「及第点ですね。与えられた5分で対応するなら限界かと」
「確かにな」
店主はそう答えて、ニタリと笑い髭面を歪ませていた。
「いいだろう。今回だけだからな」
「はい! ありがとうございます!」
シノギは店主に対して深く頭を下げていた。
僕とグラは、セズキを縛り付けていたベルトを外し、台座から下ろしてやる。すると、セズキは直ぐにその場にへたりこんでしまった。
完全に腰が抜けてしまったのだろう。気丈な態度で常に振舞っていたが、やはり怖かったのだと察する。
僕は立つことも出来ないでいるセズキを抱き抱えて、店の空いた椅子に座らせた。
「お手間をかけてごめんなさい……」
セズキの瞳には涙が溜まっていた。そして、少し震えているようだった。僕は床に膝を着いて、セズキの様子をしっかりと確認する。特に体に異常はないようだ。
精神的には酷く参っているだろうが、彼女ならばすぐに立ち直るだろう。そんなセズキにシノギが寄り添い、手を握っていた。
「シノギ……ありがとう……」
「いや……。もっと僕が気を付けていれば、こんな事にならずに防げたんだ。セズキが狙われるって分かっていたのに……」
「私も油断してた。甘く見てた……。他人からこんなあからさまな悪意が向けられるなんて思ってなくて……」
彼等は自分たちの落ち度はしっかりと理解しているようだった。
茶番とはいえ、もし与えられた5分で何もできなければ、セズキは死んでいたのは間違いが無い。
死が直ぐ傍に有ったのだ。死を肌で感じて、彼等は目が覚めただろうと思う。
自分たちが置かれている環境がどんなものか、どれ程理不尽で悲惨な環境なのか理解できただろう。
支え合う2人の様子を見るに、2人はとても良い信頼関係を築いているように見える。お互いに深く信頼しているのだと僕は感じた。
こうした関係性は、この殺伐とした社会では得難いものであると言える。
良い仲間を持ったものだと、僕は少し彼等を羨ましく感じた。
同じ立場境遇で助け合う事が出来、信頼できる相手が僕にもいたらと。ふと、そんな妄想をしてしまった。
だが、そんな人物は僕にはいなかったのだ。ない物ねだりをしたところで無意味だ。
それに、僕はたとえ信頼に足る人物が傍にいたとしても、信用なんてしなかっただろうし、仲間にはなれなかっただろうとも思う。
彼等のように良好な関係なんて築けないだろう。裏切られることに怯えて、心を開くはずがない。僕はそう思い至ると、小さく息を吐いた。
「シノギ。価値のある大事なものは、ちゃんと隠しておかないと。すぐに奪われるものだよ。いい?」
「はい」
セズキの性格では、周囲に気を配り、他者の悪意に対して敏感になるのはきっと難しい。一方でシノギはその点は優れている。
シノギがフォロー出来れば上手くいくだろう。シノギも、セズキの有能さを理解しているし、セズキの誠実さや真面目さはシノギを支えるだろうとも思う。
互いに助け合えれば上手くいくと僕は考えている。
僕は彼等の頭を軽く撫でると、気持ちを切り替え立ち上がった。




