7章-1.けじめとは 2001.1.4
ジャキリと音をさせて、僕は解体道具の大鋏の調子を確かめる。しっかりと刃と刃が噛み合う、心地よい音だ。
今日の解体ショーでも、十分に活躍してくれるだろう。ぎらりと照明の光を反射する鋏の刃は、血を欲するかのように不気味に光る。
僕は磔の台座の前にいた。そして、視線をハサミから磔にされた人物へと、ゆっくりと移した。
「残念だよ。君が裏切るなんて。君には期待していたのに。何故裏切ったのかな? 雪子鬼」
「私じゃありません! 私は裏切りなんてしてません!」
磔にされた少女、セズキは怯えるでも泣くでもなく、真っ直ぐに僕を見て訴えた。その眼差しには、相変わらず強さが宿る。
こんな状況でも、彼女は一切揺るがない。
「僕達が店から去った時刻――12時17分に、襲撃を行った組織へ発信した履歴が残る通信端末が、君の持ち物の中から出てきたよ」
「それは私のものではありません! 他の人間が私の持ち物に仕込むことくらい簡単にできます」
「確かにそれはそうだね。でも、そんな事は関係ないんだよ」
「っ!?」
「君の持ち物から裏切りの証拠が出てきた。君を処分する理由としてはこれだけで十分だ」
「そんなっ……。ちゃんと、ちゃんと調べてください!」
「何故? 何故僕が調べなきゃいけないのさ。調べる理由がない。証拠があるんだ。これ以上に何を?」
「それは……」
セズキの顔が曇る。瞳の奥にあった強い光が、揺らいだように見えた。
「雑用係なんだから、疑われるような状況であるだけでアウトだよ」
「……」
セズキは俯いた。突きつけられた現実に対して、彼女は一体どんな反応を示すだろうか。絶望して諦めるのか、泣いて命乞いするのか、狂ってしまうのか……。
死を前にして彼女はどんな反応を示すだろうか。
しばらく彼女の反応を待っていると、セズキはゆっくりと顔を上げて僕を真っ直ぐに見た。その目には再び強い意思が宿っていた。
「嫌です。濡れ衣を着せられて死ぬなんてありえない」
低く唸るような声だった。彼女のこんな声を聞いたのは初めてだった。
「私を殺したところで、裏切り者は別にいるので問題解決にはなりません」
「そうかもしれないね。引き続き警戒するさ。忠告ありがとう」
「私は、とても記憶力が良いです。そして情報処理が得意です。私は今までに多くの不正を未然に防いできました」
「そうだね。君の仕事ぶりには感謝しているさ」
セズキは一体どうやっているのか分からないが、一瞬で野良プレイヤー達が行う不正を見抜く上、不正が行われる事を事前に察知しているようだった。恐らく過去のデータから傾向を掴んでいるのだろうと思う。
そんなことが人間に可能なのかと思う事を、彼女はいとも簡単に成し遂げていた。
「それに私は、この店の情報を盗まれないように、情報を暗号化して管理しています。この情報量を捌けるのは私だけです。つまり、今私を殺せば、この店のセキュリティレベルが格段に下がります。この危険な時期にそんな事……。正気ですか? ナキリさんならこの意味が分かりますよね?」
「ふむ」
自分を処分するデメリットをしっかりと僕に伝えてくるあたりは、流石と言える。この状況下でよくここまで口が回るものだ。
「確かに君を処分するデメリットは大きいね。でも、それがなんだという話なんだよ。君がどれほど優秀で、失うことによるデメリットがどれほど大きくても、それは今は一切関係ないのさ。僕達は、裏切りの証拠が出たという結果でしか見ていない」
「どう……して……」
「どうしてって。今話しているのは結果の話なんだから。僕達の判断を覆したいのならば、結果で反論するしかないんだよ」
「結果……?」
「裏切りの証拠が出たのだから、裏切者を処分する必要がある。『けじめ』をつけなきゃいけない。疑わしき者は、今日、今、この時点で、全て処分するという事さ」
セズキは僕の言葉に動揺しているようだった。そして、困惑したような表情のまま再び俯いてしまった。
打つ手なしであると、優秀な彼女は理解してしまったのだろう。セズキでは、この状況を覆すことができるような物を用意できない。
今彼女に求められているのは、彼女自身の有用性を示す事ではなく、無実を証明する事なのだ。それが出来なければ助からない。
つまり、磔にされた彼女では、今から動く事は出来ないのだから、無実を示すものを用意できない。従って詰みなのだ。
「さてと。もういいかな?」
「……」
僕が声を掛けても、セズキは何も言わず俯いたままだった。
「セズキ。聞いてるんだけど?」
「……わけ……」
「ん?」
「良いわけがないじゃないですかっ!!」
セズキは勢いよく顔を上げ、店の奥壁際に一列に並んで立っていた雑用係達の方を見た。
「東鬼!! お願い! 助けて!」
「っ!?」
突然名を呼ばれたシノギは、困惑し驚いていた。というより、セズキが磔にされて以降、シノギはずっと、驚き、動揺し、困惑していた。
そして、今。彼女に名を呼ばれて、やっと正気に戻ったといった様子だった。
「助けて! シノギ! 私じゃないの! 私が裏切るわけがないじゃない!」
「ふむ」
この状況に僕は、流石セズキだなと感じる。これは明らかな命乞いである。こうなると解体ショーは強制的に中断になる。それを理解しての行動だろうと思うのだ。
また同時に、シノギを正気に戻し、素直に助けを求めたわけだ。自力での解決が不可能だと判断しての事だろう。
判断してからの行動が早い。そして的確だ。
彼女もまた、『最善』を選び、『最善』を演じているのだろうなと思う。悪くない。
「ナキリさん。僕に時間を少しいただけませんか?」
僕の元へ速足でやって来たシノギには、既に動揺した様子も困惑した様子もなかった。
そこにいたのは、いつもの鋭い目つきをし、堂々とした様子のシノギだった。
「それを許すのかどうかは、僕じゃないと思うけど?」
解体ショーを止めるという事は客を待たせるという事だ。集まった客人達から許可がもらえなければ時間は与えられない。
「どうか。どうかお願いいたします。僕に時間を少しだけいただけないでしょうか!」
シノギは周囲の観客たちへ向けて声を張り上げ、深くお辞儀をする。
すると、場はしんと静まり返った。
彼の拳はきつく握りしめられ、体は小刻みに震えていた。
恐ろしいのだろう。もし、ここでブーイングでも浴びれば、それは願いを拒否されたという事になり、セズキは死ぬ。
この瞬間に一人の人間、それも人生の多くを共にし信頼している仲間を失うかもしれないのだ。シノギにとってみれば、半身を無くすに等しいだろう。決して他人ごとではないはずだ。
永遠のように感じられるほどの沈黙。
誰もが動きを止めて、シノギに注目しているようだった。
彼の身動き全てを観察して、静かに見定めている。
彼にわずかでも時間を与える価値があるのかどうか、を。
正直観客達の反応は僕ですら完全には予測できない。その場の運、誰かの気分次第で簡単に結果が変わってしまうものなのだ。
彼らの運命はなんとも不安定な所にある。もはや願い祈る事しか出来ない。故に相当な恐怖だろう。
僕は、集まった観客やバイヤーの様子を確認する。彼らの表情や、僕へと送られる身振り手振りから、何となく意向は察する事が出来た。
一方で、シノギは深く頭を下げたままなので、彼らの様子は見えないだろう。セズキもきつく目を瞑り、苦しそうな表情をして震えていた。流石に目を開けて観客達の様子を確認する勇気はなさそうだった。
秒針の音、誰かの息遣い、そんな物まで聞こえてきそうなほどの沈黙は、一体どれだけ続いただろうか。
しっかり時間を測ればほんの数分だろうけれども。2人にとってみれば、きっと永遠にも感じるほどの残酷な沈黙だっただろう。
僕は、頃合いだろうと思い、視線を再び観客側の方へと向けた。彼等も僕の合図を待っていたようだった。
察しが良すぎるのも恐ろしいのでやめてもらいたいところだが、今回は有難く彼らの気遣いを受け入れる。
これだけの長い沈黙で、十分にセズキもシノギも身に染みた事だろう。
僕が観客とバイヤー達へ視線を送り小さく頷くと、直後。
パチ……。 パチ……。 パチ……。 パチ……。
ゆったりとした拍で響く一人分の拍手。長い沈黙を終わらせたその確かな音が、店の奥の方から聞こえてきた。
「いいじゃねぇか。面白そうだ」
「確かに」
「良い茶番だなぁ!」
あらゆる方向から湧いてくる声に続いて、次第に拍手が重なっていく。
そして、あっという間に店は拍手で埋まり、歓声と笑い声が上がるほどの盛り上がりをみせた。
ここに集まった観客とバイヤー達にとっては、彼らの命がけの交渉すらエンターテインメントだ。
本当にどうかしている。分かってはいても、気分のいい物ではない。
だが、そのおかげでセズキとシノギはチャンスを貰えたのだから、最悪ではない。彼らの悪趣味な思考を利用して、自分達の要求を通すのだから、彼等を悪く言うのはよくない。
むしろ、僕が用意した茶番に乗ってくれる彼等には感謝すべきところだろう。
僕は左手に付けた腕時計を確認する。
「シノギ。5分だけ待ってあげるよ。もし、5分経って君が帰って来なければ、セズキの解体ショーは始めるから。いい?」
「はい! ありがとうございます!」
その瞬間、シノギは小走りでバックヤード側へ向かい、部屋の中へと消えて行った。
僕は腕時計へと視線を落とし、静かに5分間のカウントを開始した。




