6章-9.贈り物とは 2000.12.24
コンコンと僕は扉をノックする。すると、室内から返事が有った。僕はゆっくりと扉を開けた。
「夜遅くにごめん」
「ううん。大丈夫。起きてたから」
建物2階、一番奥にある医務室。鮫龍の店から帰ってきた後、業務を終えてから、氷織が療養する部屋に僕は訪れた。22時を過ぎてしまったが、ヒオリはまだ起きていたようだ。
「お仕事お疲れ様」
「ありがとう」
ヒオリは僕に優しい笑顔を向けてくれる。
僕は彼女が寝ているベッドの端に腰かけた。
「今日はね、鮫龍さんの所へ行って、『狂気持ち』について詳しい人から、話を聞いてきたんだ」
「うん」
「『狂気持ち』が長く生きるためには、他者からの愛情が必要なんだそうだ。その愛情によって狂気が抑えられるんだって」
「え?」
「だからね。ヒオリ。僕が今こうしてここに生きていられるのはヒオリのおかげさ。その事実を今日知れて本当によかった」
僕がそう伝えると、ヒオリは驚いたような表情を見せたあと、安心したのか次第に瞳を潤ませていく。泣き虫なところは相変わらずだ。
「ヒオリ。ありがとう。今までずっと支えてくれて。それから、どうかこれからも僕の傍にいて欲しい。どうやら僕は、ヒオリがいないとダメみたいなんだ」
「うん……。勿論だよ」
ヒオリが怪我した日から、僕は彼女と少しだけ距離を取っていた。得体の知れない『狂気』について、何の手がかりも得られない状況では危険と判断したためだ。
2人きりでいたり、彼女に触れる事は意識的に避けていた。
だが、今日鬼人の女性から話を聞いて。たとえ怒り狂っても、自覚をして以降であれば正気を失わずにいられる可能性がある事。狂気を抑えられるのは愛情である事を知った。
優しくて思いやりのある『あの人』がそうであったように、怒る事自体を完全になくすことはきっとできないのだ。
それであれば、僕がしなければならない事は、ヒオリが誰からも傷つけられないように全力で守り抜く事であると言える。彼女が無事である限り問題ないのだろうから。
それに、既に僕には力がある。何も出来なかった雑用係ではない。ヒオリを守れるだけの力がある。
この地位も、武力も全てを利用して彼女を守る。傲慢と言われようとも、遠慮するつもりは無い。
ヒオリの瞳からあふれ出した涙を、僕は拭う。すると彼女は僕のその手を優しく掴み自身の頬にあてた。目を閉じて安心したような表情で微笑む。
その様子だけでも分かる。きっと寂しい思いをさせてしまったのだろうと。
「ヒオリに渡したいものがあるんだ」
彼女は目を開けて僕をじっと見つめる。
僕は今日購入したプレゼントを渡した。
「開けていい?」
僕は頷く。ヒオリは目を輝かせて、プレゼントを開けていく。喜んでくれるだろうか。
「今日はクリスマスイブだから」
「え? 知ってたの……? クリスマスなんてイベント……」
「……」
すっかり忘れていたが。
ミヅチに言われなければ確実にすっぽかしていたイベントだ。
僕は何も言えなくなって硬直する。
「あ! 分かった! ミヅチさんに言われて気が付いたんでしょ!」
「うっ……。手厳しい……」
ヒオリは悪戯っぽい笑みを浮かべて言うと、呆れたように笑っていた。
「え? 何だろう? 小さい箱……」
彼女は小さな紙の手提げ袋から小さな箱を取り出し、リボンを丁寧に解いていく。そして、パカッと箱のふたを開けた。
「え……? 綺麗……。ナキリが、選んでくれたの?」
「うん。ヒオリに似合うと思って」
「嬉しい!」
ヒオリは満面の笑みを僕に向けた。僕はそれが見られただけで、本当に満たされてしまった。
彼女に贈った物は、水色の宝石が付いたネックレスだった。パライバトルマリンという宝石らしい。少し緑み掛かった明るい水色をしていて、ヒオリの雰囲気にあっていると感じて選んだ。
曲線を帯びた枠部分には小さなダイヤも複数あしらわれたデザインである。
「ナキリに付けて……もらいたいな……」
「うん」
僕がネックレスを受け取ると、ヒオリは下ろしていた髪を手で束ねて持ち上げる。彼女の白く細い首に手を回し、僕はネックレスを付けてやった。
ヒオリの胸元でキラキラと光を反射する宝石は、彼女の美しさを引き立たせているように感じる。
やはりこのネックレスにして良かった。
「どう? 可愛い?」
「うん。可愛い」
僕はヒオリを優しく抱きしめた。
「ありがと。大切にするね」
僕は思うのだ。店主はどこまで先を読んでいたのだろうかと。
僕が持つ『狂気持ち』の性質を理解したうえで、僕とヒオリを引き合わせたのではないかと疑っている。確かに、僕とヒオリが接するようになったきっかけは、今になって思えば奇妙だった。
店主から、店に買われたばかりの幼い彼女の面倒を見るようにと命令されたのがきっかけだ。他のプレイヤーに対して、そんな対応をした事は一度もなかった。後にも先にもヒオリだけだ。
女性のプレイヤーがヒオリだけであるために、特別に僕を彼女に付けたものだと思っていたが、本当は違うかもしれない。
僕の狂気を押さえつけるためにヒオリをあてがったのではないだろうか。あの店主の性格だ。十分に考えられる。
店主からすれば、たとえ上手くいかなくても良かったのだろう。僕が好みそうなタイプの別の女の子をまた僕にぶつければいいとさえ思っていたに違いない。
誰でもいいから結果的にうまく噛み合って、僕の狂気が抑え込めればそれでよいと考えていたのだろうなと思う。
最悪、僕が暴走して自害する前に、気絶させて抑え込めばいいのだ。トラなら簡単に出来るだろう。
また、店主が僕をプレイヤーではなく、雑用係として育てた理由は、グラのためだろうと思うのだ。僕によって覚醒してしまったグラがいる以上、僕が簡単に死んでしまう事は避けたいと考えるはずだ。
死亡率の高いプレイヤーとするよりも、店主の目が届く範囲内で、店主自身がコントロール可能な雑用係の方が、生存確率は高い。
僕が生きて近くにいる事で、店の主戦力であるグラの調子が良くなるのだから、僕というバフ装置を失うのは避けたいと考えていそうだ。いかにも店主らしい合理的な考えだと言える。
もっと言えば、雑用係という人権も何も無い底辺を経験させる事で、人間性を捨てさせる事も重要だったのかもしれない。
お陰様で僕は自分自身にさほど興味が無い。自尊心をいくら傷つけられるような事が起きようとも何も感じないようになってしまった。
ヒオリに関する事以外の事では、苛立ちを感じなくなる程の修行をした様なものだ。『狂気』に支配されるというリスクを回避するには非常に効果的であったとさえ言える。
これら全ては、店主の手の平の上だったのかもしれない。この絶妙なバランスを作り上げた店主は流石だなと感じる。
僕はまんまとヒオリにベタ惚れしてしまったわけだが、彼女を愛する事が出来て本当に良かったと感じている。このカラクリはヒオリには内緒にすべきだろうなと僕は感じた。
「ナキリ」
「ん?」
「こっち見て」
僕が腕の中に収まるヒオリに視線を落とした瞬間だった。僕の唇に柔らかい何かが軽く触れた。
「私もナキリにクリスマスプレゼントを用意したかったんだけれど、まだこの体じゃ無理だし……。だから、今日はこれで……ね?」
その柔らかい物とは、もしかしなくてもヒオリの唇だった。
顔を赤らめながらも微笑んでそう言う彼女は、とびきりに可愛かった。僕の魂は一瞬にして宇宙まで飛んで行った事だろう。昇天しても悔いは無い。
いや、放心している場合では無い。そんな無様な姿をヒオリには見せられない。常に余裕のある頼れる兄のような、カッコイイところだけをヒオリには見せたいのだから。
「ヒオリが元気になったらまた2人で出かけよう。その時に、何か僕のために選んで欲しい」
「うん! 分かった! デート楽しみにしてるよ」
僕はもう一度ヒオリを優しく抱きしめた後、医務室を後にした。
僕はようやく、僕自身の事を含め、自身を取り巻く環境を理解したようだ。店主の意向通りに、いつかは独立して店主にならなければと思う。
グラとヒオリ、そして天鬼を連れて、僕の裁量で動かせる場を築かなければならない。僕が守りたい物を守れるように、環境を整える必要がある。
その為に、今は経験を積まなければならない。貪欲に知識を吸収しなければ、牛腸の様な場を支配できるほどの店主にはなれない。
そのレベルまで、僕は成長しなければと思う。まずは、店の外の事を知り、僕だけが持つ強い繋がりを作り上げていかなければならない。
現状のようなゴチョウのお下がりで得た関係ではダメだ。足掛かりにするのは良いだろうが、それで満足は出来ない。
一気にやるべき事が出来てしまったなと思う。だが、悪くない。非常に前向きだ。成し遂げたい未来が明確に定まった事で、道筋が見えた気がした。
自室に戻った僕は、シャワーを浴びながら、『最善』を考える。やる事はいつだって変わらない。『最善』を選んで『最善』を演じるのだ。
僕はゆっくりと着実に、思考をまとめていくのだった。




