6章-8.真相とは 2000.12.24
「貴方自身の事が分かった所で、鬼人の事件の発端の事を話そうかしら」
年配の女性はそう言って、静かに語り始めた。前回は聞くことが出来なかった内容だ。僕は背筋を正し、女性の話に耳を傾けた。
「私とあの人はね、幼馴染だったのよ。小さい頃から一緒で。だから、『狂気持ち』のあの人が狂気に染まり自害しようとするのを、私が何度も止めてきたの。小さい頃は女の子の方が体格が良かったりするから、私でも小柄だったあの人の事を止める事が出来ていた」
やはり予想通り、この女性と、鬼人の事件の中心人物である『あの人』――僕と同じ性質を持つ人物は、深い関わりがあったようだ。
「でもね、16歳かそのくらいになった時に、私だけではあの人の狂気は抑えきれなくて。私が酷く怪我した事があったの。その時、初めてあの人は自分自身が正気を失って暴れているという自覚を持ったみたい。『狂気持ち』とはそいうもののようね」
「何故貴女は、そんな人の傍にずっと……?」
僕は思わず問いかけてしまった。そんな危険な人物とずっと一緒に居る意味が分からない。幼馴染だからとはいえ、16歳にもなれば危険だと判断し、距離を置く事は出来るはずだ。
「ふふふ。そんなの決まっているじゃない。私はあの人をずっと愛していたからよ」
「愛……?」
「確かに狂気に支配されて暴れている時は手に負えない。危険ではあるけれど。あの人の本当の姿は違うって、私は知っているわ。とても優しくて思いやりのある人なのよ」
「……」
女性から紡ぎ出される言葉はとても柔らかく、本当に『あの人』の事を愛しているのだと伝わってくるようだった。
「それにね、あの人は自覚して以降、狂気に支配され、我を忘れたような怒り方はしなくなったわ。怒る事はあっても正気を失う程ではなかったみたいね」
「正気を失わずに……」
「そう。ほら、『狂気持ち』の人間が怒って狂気に支配された時に発する独特の雰囲気、それを正気を保ったまま発していたって感じね」
そんな事が可能なのだろうか。僕にはあまり想像ができない。
「誰だって、大切な物が傷つけられれば怒るものよ。特にあの人は、自分のために怒る事は1度だってなかった。いつも私達のために怒っていたわ」
女性が話す内容は、氷織が話してくれた内容とも重なる。僕にとってのヒオリの存在というのが、『あの人』にとってのこの女性なのだろう。
幼い頃からの彼女達との関係によって、僕と『あの人』は、『狂気持ち』でも生きてこられたのだと分かる。
「それじゃぁ、何故。『あの人』が覚醒した鬼人達を引き連れて事件を起こしたのかを話すわね」
僕は頷く。前回の話では、酷く荒れた絶望的な世の中を変えるために、鬼人達が破壊の限りを尽くしたのだと教えてもらった。
だが、優しくて思いやりのある人とまで女性が言った『あの人』が、そんな破壊活動の中心人物となるのは無理があると感じるのだ。だからこそ、理由が存在するはずだ。その理由を今から女性が話してくれるのだろうなと思う。
僕は、出されたコーヒーを一口飲んで気持ちを落ち着ける。きっとこの先の話は良い話ではないだろう。生半可な気持ちで聞いていい話ではないはずだ。鼻から抜けるコーヒーの香りを感じリフレッシュすると、僕は改めて意識を女性へと向け、集中した。
女性はそんな僕の様子を見て、待ってくれていたようだ。僕の準備が整った事を確認すると、再びゆっくりと話し始めた。
「あの人と私の間にはね。娘がいたの」
「っ!!」
僕は思わず息を飲んだ。その先が何となく予測できてしまったからだ。
「酷い世の中でも、私達は何とか隠れるようにして、それなりに幸せに生きていたわ。お金さえ渡せば見逃してもらえるのよ。毎月生存のための料金なんて言って巻き上げていくんだけれど。ちゃんと払えば生きていける。そんな状態だった」
「生存のための料金……」
一般社会からあぶれた裏社会の人間は、何処にでも住むことが出来るわけじゃない。一般社会を治めるための法が行き届かない地域でしか生きられない。
そしてそんな地域は、大抵悪質な武力組織が縄張りにしているのだ。生きていくためには、その武力組織と仲良くしなければならないのだろう。
プレイヤー達の様に戦う事が出来ない、普通の人間達はそうやって搾取され続けたのだろうと想像する。生き続けるためには仕方のない事だと割り切って応じていたのだろう。
そんな状況でも、家庭を築いてささやかな幸せを感じて、彼女たちは慎ましく生きていたという話なのだ。
「でもね、娘が13歳になった頃にね。事件は起きたの。ちゃんとお金を払っていたのに、武力組織に娘を連れて行かれてしまった」
「……」
僕はもう、何も言えず、ただ女性の話を聞く事しかできなかった。
「娘はね、変わり果てた姿で帰って来た。服も何も身に着けていない状態で、全身に打撲の痕があって……。武力組織のアジトの近くで乱雑に捨てられていたわ……。私達が娘の死体を取り返した頃には腐敗も進んでいた……」
「……」
「向こうの言い分としては、ただ借りるだけで返すつもりだったと。だけど、娘が言う事を聞かないからこうなったと」
これは絶望的な世の中のほんの一部なのだろう。当時の社会では、こんなことが各地で日常的に起きていたのだろう。
「あの人は、娘の亡骸を見た時、本当に何年ぶりかに怒り狂ったわ。もう、誰にも止められないのだと肌で感じるほどの怒り。私も鬼人だからね、あの人の怒りの感情がどんどん流れ込んできて、正気ではいられない程だった」
当然の怒りだろう。話を聞いただけの僕でも怒りを覚える。
「その怒りの波長は、その地域一帯を一瞬にして飲み込んだようだった。あの人は、いつだって鬼人達から好かれていたから、鬼人は周囲にたくさん集まっていてね。鬼人の血が濃い人はその瞬間に全員覚醒したと聞いたわ」
「地域一帯を……?」
「えぇ。そうよ。その地域に住んでいた鬼人の内、血が濃い人は皆。同じタイミングで覚醒したんですって。私は血が薄いから覚醒しなかったみたいね。でも血の薄い私でも、彼が怒り狂った瞬間、血液が沸騰するような高揚感を感じたわ。共鳴はしたようね」
同じ空間にいた鬼人だけに影響があるわけではないという事が分かった。感覚的な推測ではあるが、怒りの度合い等の何らかの匙加減によって範囲に影響があるのではないかと思う。
アマキが覚醒した時は、たまたまその度合いが室内の範囲であっただけなのだろう。もし、もっと強い怒りを抱くなど異なる状況であったとしたら、屋外にいたであろう鬼兄弟や、別の医務室にいた鬼人の子達も同時に覚醒していたのかもしれない。
「その後、1時間程度過ぎた頃、わらわらとね、覚醒した鬼人達があの人の所へと集まって来たのよ。吸い寄せられるように。そして、何も言葉を交わさずとも皆同じ方向を向いていた。全てを破壊しつくそうとする巨大な意志の塊の様だったわ。もう、誰にも止める事が出来ない程の力の塊ね。こうして、鬼人達の事件は起きたのよ」
その話を聞いて、なんだか『狂気持ち』とは舞台装置のようだと僕は感じた。荒れすぎた世の中をリセットするための装置の様な存在なのではないだろうか。
以前店主は言っていた。『お前みたいに鬼人と相性がいい人間はごく稀に存在する。遺伝でもなんでもなく、世の中に突然現れる。そういうもんだそうだ』と。店主ももしかすると、『狂気持ち』の事をいわば『世の中のリセットボタン』のように捉えていたのかもしれない。
女性の話はこれで終わった。当時の事件の話を通して、僕自身の事、そして鬼人の覚醒のきっかけについては確かな情報が得られた。大きな前進だと思う。
僕達は女性に深く礼を言い、鮫龍の店を後にした。




