6章-7.抜けたページとは 2000.12.24
「ほら。百鬼。これが抜いたページだ」
僕がカウンター内で、淡々と報告書に目を通していると、店主が雑にカウンターの上に数枚の紙の資料を置いて直ぐに去って行った。特に話をする気はないらしい。僕は、その資料を受け取り内容を確認した。
そこに書かれていたのは、『狂気持ち』についてだった。右上に振られたページのナンバーを見て、確かに以前渡された資料の内の抜けたページだと分かった。
やはり店主は意図的に資料から情報を抜いていたのだ。だからと言って怒るような事ではない。その対応が適切だと判断したからこそだろうと理解している。僕は静かにその資料に目を通した。
今日で丁度襲撃から2週間が経った。店自体は復帰したが、負傷したプレイヤー達の復帰はまだまだかかるような状態だった。幸い、それ以降の追撃となるような襲撃は発生していない。どうやら暁や鮫龍が色々と動いて、敵対勢力を牽制していると聞いた。
流石に彼らの店までもを敵に回して、『牛腸の店』を落とそうとは考えないようだ。専属プレイヤーが弱っているという絶好の隙を狙おうとする組織は多いだろうが、そんな状況下で襲撃するほど愚かではないらしい。
僕は左腕に付けた腕時計を確認する。そろそろ時間だ。間もなくミヅチが迎えに来るはずだ。先週は流石にやる事が多く、ミヅチの所へは行けなかった。
僕は、立ち上がり荷物を持つ。すると、突然店の扉が開いて、天鬼が姿を現した。
「ナキリさん。お迎えきたよ~!」
アマキは、黄色のオーバーサイズのパーカーに黒の長ズボンを履いたとても目立つ装いだった。フードを深く被っているので、瞳は見えない。また、グラと同じように黒のマスクを付けていたので、口元も隠されていた。
袖の長いパーカーのため、指の先まで隠されている。鬼人特有の外見的特徴は、しっかりと隠されていた。どうやらアマキは、今後このような見た目にするようだ。プレイヤーらしい奇抜なファッションだなと思う。
「今行くよ」
僕は返事をして店を後にした。
***
「ねぇ~。ナキリ君。今日はクリスマスイブだ~けどっ! 氷織ちゃんにクリスマスプレゼントは用意し~たの~かな~?」
僕はギョッとして運転席に座るミヅチの方へと顔を向けてしまった。案の定、ニヤリと笑うミヅチと目が合う。
「ちゃんと用意しなきゃ、だ~めじゃないかっ!」
ミヅチはそう言ってケラケラと笑う。一方の僕は両手で顔を覆い俯いた。
ミヅチに言われるまで気が付かなかったとは不覚だ。クリスマスなんてイベントは僕とは無縁で、今までに楽しんだことなど1度だってありはしない。だから有って無いようなものだ。
だが、ヒオリはそう思ってはいないだろう。きっと期待している。それなのに、僕がすっぽかせばきっと悲しませてしまう。
「こんな事している場合じゃない……」
「いやいやいや。待って待って待って!」
僕は赤信号で停車しているのをいいことに、下車しようと試みる。しかし、ミヅチに腕を掴まれ止められてしまった。
全く、邪魔しないでもらいたい。ヒオリが悲しんだらどうしてくれるんだ。
「分かった。分かった。こうしよう。今日のご飯を食べる店はプレゼントが買えるようなお店と併設しているところへ行こうじゃな~いかっ! それなら、食後にプレゼントを選ぶことができるし、帰ったら、す~ぐに彼女に渡せる。悪くな~くないっ?」
「……」
「お兄さんのチョイスは女子受け間違いなし! 今から調べて探しに行くよりずっと良いと思うけど~?」
確かにミヅチのセンスは良い。女性が喜びそうな事は僕よりもずっと熟知している。僕が今から必死になって探して買いに行くより、ずっと良い物が用意できるだろう。
「分かった。そうする」
僕は、小さく息を吐くと、助手席に大人しく座った。
***
昼食を終え、ヒオリへのプレゼントも購入した僕は、ミヅチの拠点内、鬼人達がいる建物内の娯楽室へと来ていた。前回も座ったソファーに座っている。僕の右隣にグラ、左隣にアマキが座る。正面にはミヅチが座っていて、その背後に鬼兄弟が立っていた。
「アマキ君も覚醒したんだ~。おめでと。それで? 覚醒の条件は分かったの~?」
「うん。推測の域は出ないけど、間違いないと僕が思うくらいの予測は出来てる」
「ほ~ん」
ミヅチは楽しそうな笑みを浮かべて、コーヒーを一口飲む。何にも動じないかのような余裕のある素振りだ。内心でどう思っているのか、僕には見当もつかない。
ふと、視線を左隣に移すと、隣に座るアマキはテーブルに出されているクッキーにくぎ付けになっている。食べたいのだろう。僕はクッキーを一つ手に取ると、アマキに渡した。
「覚醒した鬼人の姿、見せてもらう事はできる?」
「ふむ……」
ミヅチは自分の目で確かめたいのだろうなと思う。アマキの以前の姿を知っているだけに、現在どんな姿なのか気になるのだと考えられる。
「アマキの姿を皆に見せてもいい?」
「いいよ~!」
クッキーを食べ終わったアマキは、フードを外し、黒のマスクを取り去った。そして、僕に向かってへな~っと笑うのだった。
肌の色が変わって、犬歯が伸びて、瞳の色が燃えるようなオレンジ色になっても、アマキはアマキだなと感じる。
「ほ~ん。これは凄い。本当に覚醒するとはっきり変化するんだね~」
「アマキすげぇ! かっけぇー!」
ミヅチの背後に立つ赤鬼が興奮している。覚醒した姿に、憧れを持っているような印象だ。
「アマキは覚醒してどんな気持ちなの?」
今度は青鬼が興味津々といった眼差しをアマキに向けて尋ねる。鬼兄弟は覚醒することに対して、とてもポジティブに考えていそうな印象だ。
「凄くね、楽しいよ! やっと見つけたって!」
アマキはニコニコと笑いながら答えている。アマキ自身も、覚醒についてはやはりポジティブに捉えているように思う。
「成程ね~。な~かなか、興味深いね~。やっと見つけた……か……」
ミヅチは楽し気に思考している。鬼人の研究が順調に進むことに満足しているのだろう。
と、そこへ。少しウェーブの掛かった短い茶色い髪の女性が現れる。薄いピンク色のゆったりとしたVネックのセーターに、黒のロングのタイトスカートを身に纏った年配の女性――前回鬼人達が起こした事件について教えてくれた女性だった。
「答え合わせの時間かしら……?」
女性は優しい微笑を浮かべ、そう尋ねてくる。僕は待っていましたと、深く頷いた。
ミヅチがソファーを少し詰めて、できたスペースに女性は座る。
「早速、聞かせてもらおうかしら。貴方自身について、何が分かったのか」
僕は頷き、話し始めた。
僕自身が『狂気持ち』という精神的な特徴を持った人間である事。『狂気持ち』は攻撃性が異常に高い人間であるという事。『狂気持ち』の人間は強い『怒り』を抱くと、正気を失い『狂気』に支配されたような状態となる事。その状態の時の記憶は殆どない事。
一方で、『鬼人』は、この『狂気持ち』の人間特有の雰囲気に反応し、特に強い感情に対して強く『共鳴』するという事。覚醒は、『狂気』に完全に支配された状態の僕に反応して起きたという事。
店主から追加で貰った資料に有った内容も併せて、僕は彼らに丁寧に伝える。
その間女性は、小さく頷きながら静かに聞いていた。
僕が話し終えると、女性は再び優しい笑みを浮かべた。そして、ゆっくりと口を開く。
「貴方のトリガーは?」
「え?」
「貴方がどうしてその『怒り』を日頃抑える事が出来ていたのか。そして、『怒り』を覚えた原因。どちらも共通のもののはずよ」
「共通……」
「まずは、簡単な方を聞こうかしら。怒りの原因は?」
「氷織の怪我……」
僕の答えに、女性はふふふと笑った。そこに悪意は感じられない。
「やっぱり。『あの人』と同じね。それじゃぁ、『狂気』を抑えるためには何が必要か、分かるかしら?」
僕は首を横に振った。その点に関しては謎のままだった。どうして今まで僕は『狂気』に支配されて自殺行為を行わずにいられたのか。ずっと不思議に思っていた部分である。
『狂気持ち』は長くは生きられない。その理由は強い攻撃性が自分自身に向くために自殺してしまうから。そういう話だったはずだ。たまたま僕が生き残る事が出来た可能性もあるが、この女性の口ぶりだと、明確に理由があるのだろうと推測できる。
僕には、明確に『狂気』を抑え込むことが長年出来ていた理由という物が存在するという事だ。それが何なのか、全く想像ができない。
「簡単な言葉で言えばね、『愛情』よ。他者からの愛が、狂気に染まる事を阻止すると聞いたわ」
「愛……情……?」
「ヒオリという子から、貴方は沢山の愛を受け取っていたんじゃないかしら?」
「……」
僕の頭の中に、ヒオリとの思い出が駆け抜ける。そのどれもが幸せな記憶だ。この幸福感が『狂気』を抑え込んでいたという事だろうか。
それが事実であればつまり、僕はずっとヒオリに生かされていたという事だ。
その答えに、僕は妙に納得してしまった。彼女がいたから生きてこられたのだと、素直に思えてしまう。
「これで、貴方自身の事、ちゃんと理解できたわね?」
僕は頷いた。やっと僕自身の事について、正しく知る事が出来たのだと。そう深く感じたのだった。




