6章-4.被害状況とは 2000.12.10
唐突だった。
勢いよく店の扉が開かれると、トラが現れたのだった。返り血もそのままにやって来たトラは僕と店主を見つけると、ずんずんと歩いてきた。
「牛腸。終わったぞ。他の怪我人は、2階の医務室に運び終わった」
「分かった。被害状況は?」
「怪我人が多数いるが、幸い死者はいないらしい。俺は直接見てないから知らないが。それとあれだ……」
トラはそこで言葉を止めると、店の扉の方へと顔を向けた。そのため、僕もそちらへ視線を向ける。と、そこには暁の店のSSランクプレイヤーの爛華が立っていた。
彼女は彩度の高い赤色のセーターに、スキニーのジーンズというカジュアルで派手な服装だった。耳には赤い球体のデザインのピアスを付けている。そんな装いということもあり、相変わらず華やかなオーラを纏っていた。
仕事着ではなく私服なので、きっとオフの日だったのだろう。休んでいたところを、この緊急事態に駆けつけてくれたのかもしれない。
「暁のおやっさんの所から応援が来てくれててだな。一気に殲滅できた」
「鮫龍君から連絡貰って、来たわよ~!」
ランカはニコリと笑顔を見せて、僕達に軽く手を振っていた。
***
僕達は、店内で応急処置を行った怪我人達を、建物2階にある医務室へと急ぎ運ぶこととなった。アカツキが気を利かせて薬屋もここへ派遣してくれているという。先に2階へ運ばれている他の怪我人達は既に応急処置を終えているそうだ。
暁の店からは、ランカを含めて10人の高ランクプレイヤーが来ており、それによって一気に片付いたのだと聞いた。敵側も暁の店による加勢は予想外だったらしく、全く対応できずに処理されていったという。ランカとトラからそうした情報を貰いながら、僕達は怪我人達を順番に2階の医務室へと運んだ。
「ねぇ。いい加減この建物にエレベーターを付けなさいよ!」
一通り全ての怪我人を2階の医務室に運び終わり、店に戻ったところでランカが文句を言う。階段で怪我人を2階まで運ぶというのは非常に大変な作業だ。
とはいえ、襲撃の多いこの地域では、安全性の観点から1階に医務室を設置するのは厳しい。また、後付けでエレベーター棟を建てるのもこの建物の構造的に厳しい。気持ちは良く分かるがやむを得ないだろう。
「まぁいいわ。これで一旦は片付けも終わりね。アカツキさんからの伝言だけど、しばらくは私達を頼りなさい! これだけ負傷者がいるんじゃ次の襲撃には耐えられないかもしれないんだから。それに、地方の武力組織は私達にとっても敵よ。だから遠慮しない事! いい?」
「お、おう」
ランカの勢いにトラは押されている。
「私達としても、ゴチョウ君の店が砦なの! ここが崩されたら大変なの! というか、襲撃に慣れているゴチョウ君の店だから今回の襲撃に耐えられたのよ。他の店なら切り崩されて、あいつらに拠点を乗っ取られていたかもしれない。そうしたらこの地域一帯が大変なことになってたの。ってトラ……ちゃんと分かってる?」
「お……、おうよ……」
ランカは人差し指でトラの胸元をぐりぐりと突いている。トラはあまり難しい事を考えたくなさそうだ。渋い顔をしている。
話半分に聞いていたのをランカに悟られて、怒られているのだろう。
「トラに言っても駄目ね。百鬼君、ゴチョウ君に今の話を伝えておいてちょうだい。今回の敵は私達の敵でもあるから、遠慮せずに増援依頼出して欲しいって」
「分かりました」
僕が返事をすると、ランカはよろしくと言って僕の背をパンと叩いた。地味に痛い。
僕が痛みに対して顔を歪めたのが面白かったのか、ランカはフッと笑みを零す。その笑顔は相変わらず綺麗だった。戦いの後とは思えない程艶やかで力強かった。
「じゃぁね。二人とも。バイバイ!」
ランカは僕達に手を振ると颯爽と去って行った。暁の店の他のプレイヤー達もランカに続いて去っていく。僕とトラは彼等に感謝をしながら見送った。
僕は地上へ出て、店の建物の周囲の状況を見回して確認する。建物周囲にあった敵の死体については適切な処理が進んでいるようだ。
全て回収が終わり処分場へと運ばれていったと分かる。そして、血液や体液による汚染についても、雑用係達が適切に処理を進めてくれているようだった。
今日中にはこの場は復帰できるだろう。順調に後片付けは進んでいる。問題ない。僕はやっと肩の荷が下りたような気持ちになった。
「ナキリさん!!」
そんな僕の元に突然、背後から天鬼の声が聞こえて、僕は振り返る。少し焦ったような声だった。
返り血で汚れた状態のままに、アマキは不安そうな表情をして立っていた。これは何かあったに違いない。
いつもの笑顔も、独特な緩い雰囲気も一切ない。そんなアマキの様子から胸騒ぎがする。
一度緩めた緊張の糸が、再びピンと張り詰めた。
「来て!」
僕はアマキに手を掴まれ、強引に建物の内部へと連れられて行く。
「アマキ……?」
そのスピードは速く、息切れしそうなほどだ。しかし、アマキはそんな僕の事などお構いなしに、凄い力で僕を引っ張って行く。
状況は一切分からない。だが、何か嫌な予感がして、僕は一切抵抗することなく黙ってついて行った。
階段を上り2階。そのフロアの一番奥の部屋の扉をアマキは勢いよく開いた。
「ナキリさんを連れて来たよ!」
その部屋はこの建物内で一番大きな医務室だ。酷い怪我をした者が療養する部屋であり、医療設備が最も整っている部屋である。
僕は室内に入ると、真っ先にグラの姿が目に入った。そして、その奥。
グラが立つ奥。そこにはベッドがある。
そのベッドには全身を包帯で巻かれた、明らかに重症の人間が寝かされていた。
「氷織……?」
僕の声は震えていた。
その包帯で巻かれた重症の人間は、間違いなくヒオリだった。
そんな彼女の痛々しい姿を見て、僕の心臓はあり得ない程バクバクと音を立てていた。
どうやって自分が歩いているのかも良く分からない。よろよろとした足取りでベッドに横たわるヒオリの元へ向かう。
「ナキリ……」
ヒオリは僕の顔を見ると瞳を潤ませた。
「私は大丈夫だよ。見た目は確かに痛々しいけれど、命に別状はないし……。薬屋さんもね、ちゃんとお薬塗って安静にしていればすぐに良くなるって言ってたし……」
僕は膝から崩れ落ちた。
包帯に覆われて詳しくは分からない。
だが全身に傷を負っている事は分かる。重症だ。
何故ヒオリがこんな酷い目に……。
どうしてこんなことに……。
不穏分子なんて残さず、さっさと殺してしまえば良かった。
新しい人間なんて、一切入れなければ良かった。
他人を育てるためだとか、店に所属する人間の緊張感を高めるだとかそんなもの、ヒオリを危険に晒してまでする事じゃない。
「ナキリ落ち着いて? ね?」
今までの僕の行動全てが間違っていたのではないかとすら思えてくる。
そう考えた時だった。
ゾワリ。
腹の底に何か熱い物が芽生えた。泥の様な熱い物。
まるでマグマの様なそれは、僕の体をじわりじわりと侵食するように支配していく。
全身の血液が沸騰していくかのように体中が熱かった。
意味不明な高揚感と同時に、体内に渦巻く黒い煙の様な何かが全身の毛穴から噴き出していくような感覚もする。
そんな得体の知れない奇妙な感覚を覚えた途端、僕の思考は一気に一つの方向へと一直線に突き進んで行くようで。
――全部、壊しちまえよ――
確かに、支配された。と。そう感じた。
どす黒い何かに。
***
あぁ。許せない。
何もかもが許せない。
裏切者も、襲撃を企てた者も。
そして何より、無力な自分自身が許せない。
――そうだ。その通りだ――
「■■リっ!! ダ■っ!!」
こんなもの認められない。
許容できない。
僕は耐えられない。
――許す必要なんてない。そんなもの耐えなくていい――
「抑■て! 私は! ■■■は大■■■■だ■らっ!」
あぁ、ならば全て壊してしまえばいいんだ。
そう。全てを壊して……。
――そうだ壊せ! 全てを壊せ!――
「お願■! ■■■■い■よ!」
ぐちゃぐちゃにしてしまおう。
全てを無かった事にしてしまおう。
何もかもが無くなってしまえばいい!!
――跡形もなく、消し去ってしまえ!――
「ナキリ!!!!!! ダメェェエエエッ!!!!」
僕を呼ぶヒオリの泣き叫ぶ声。
直後キィィィイイン……と耳鳴りがして。
僕はハッとした。
その途端に、僕の視界に色が戻る。
僕の耳に音が戻る。
僕の体に確かな感覚が戻ってきた。
「お願い! お願いだから……。お願いだから戻って来てよ……」
「あ……れ……? 僕は……。一体……」
気づけば、ヒオリはぽろぽろと涙を流し、僕に抱き着きながら懇願していた。
「私は大丈夫だから……。いなくなったりしないから……。大丈夫だよ……。ここにいるからね……」
「……」
ヒオリは僕の胸に顔をうずめて肩を震わせている。ヒオリの涙が僕のシャツにジワリと染み込んでいく。熱かったそれは直ぐに冷やされて僕の肌に突き刺さった。
「ナキリのせいじゃないよ。私達がピンチの時にグラ君が来てくれたから……。だから大丈夫だったんだよ……」
「……」
僕の手は一体何をしているのか。
こんなに震えるヒオリを抱きしめずに一体何を?
僕は意識を自分の両腕へと向ける。
固く握られた拳からは血液が滴っていた。爪が食い込んでいるのだろう。
その事実に気が付くと刺すような痛みが襲ってきた。
僕はきつく握りしめた拳をゆっくりと開いていく。
そして、手の平に視線を落とせば血まみれだった。
こんな手ではヒオリには触れない。
「うっ……」
突然ヒオリが苦しそうに呻き声をあげた。そして崩れるように倒れていく。
僕は慌ててヒオリを支えた。
僕は彼女が寝ていたベッドの横に膝立ちの状態で。
一体どれだけの時間をこうしていたのだ……?
絶対安静のはずのヒオリが僕の元まで来て、僕を抑えるために抱き着いていたのだ。
その間僕は、一体何を……?
僕は自身の血液がヒオリに付着しないように気を付けながら、彼女の腕の下と膝の裏に腕を回し、横抱きにしてゆっくりと立ち上がった。
なんて軽いんだろうか。
まるで羽のように軽いヒオリに涙が出そうになる。
こんな華奢な体で……。
僕はベッドに彼女を寝かせた。
そこで僕は、ようやく冷静になれた気がする。
こんな酷い怪我をしたヒオリに、こんなことをさせてまで取り戻した冷静さ。
僕は本当に救えない。
「ナキリ……。聞いて……?」
ヒオリの声はとても優しい物だった。小さな子供を諭すような、そんな声だ。
彼女は優しく微笑み、僕の顔の方に手を伸ばした。
一体僕は今、どんな表情をヒオリに向けているのだろうか。
分からない。取り繕うことも出来ないでいる。
僕は導かれるように彼女の手の届く範囲まで近づき膝を着く。
ヒオリの白くしなやかな手、今は包帯で覆われた痛々しい姿のその手が僕の頬に触れた。
温かい。
ヒオリはどこか懐かしそうに、ゆっくりと話し始めたのだった。




