5章-7.相棒とは 2000.12.10
鬼人の年配の女性が去った後も、僕たちはソファーで思考を続ける。
もう一つ、鬼人の女性が話してくれた内容で重要な事がある。事件の中心人物であった、僕に雰囲気が似ているという『あの人』の事だ。女性は終始、『あの人』と呼んでいた。そこには何となくではあるのだが、親しみが込められているように感じた。
恐らく、女性とはとても親交のある人物だったのではないかと考えられる。特別な間柄だった可能性もあると感じていた。
「彼女が言っていた『あの人』ってどう思う?」
「百鬼と同じ性質を持った人?」
「うん」
僕は隣に座るグラに問いかける。僕自身の事になると、やはり良く分からないのだ。
彼女が話した『あの人』の人物像は、僕とはあまり似ているとは感じなかった。性格面が似ているわけではなさそうだ。
グラは少し考えた後、僕を真っ直ぐに見た。
「何となく、キレ方がナキリと似てる」
「キレ方……?」
僕は困惑する。
しかし、グラも困惑する僕を見て首を傾げていた。
彼女が話した内容で、『あの人』は事件を起こした時、非常に怒っていたと言う話だった。それはまるで別人のように。静かにじっと強烈な怒りを表していたのだという。
周囲のどの鬼人達よりも鬼の様だったと表現していた。普段の様子とは一切異なり、立ちはだかるものを全て壊してでも突き進んでいってしまいそうな気迫で、まさに破壊神の様だったと。その状態の彼に、覚醒した鬼人達も同調――というよりも、共鳴していたのだと。
何とも抽象的な話で良く分からなかった部分だ。だが、そんな話を聞いて、グラはその怒り方が僕と似ていると感じたのだと言う。
グラがここで嘘を言うはずがない。故に事実なのだろう。
だが、僕は本当に分からないのだ。
何故ならば、そんな記憶。僕には一切無いのだから。
まるで、心が闇に侵食されていくような不安定感に飲まれそうだ。ゾワゾワと全身の毛が逆立つ。バクバクと不快に鳴る鼓動が僕の不安を体現しているかのようで。
もはや吐き気すら感じる。
自分の記憶を丁寧に丁寧に探っていくのに、グラが言うキレたシーンの記憶に全く辿り着けない。存在していないのでは? とすら感じているほどだ。
最近で怒ったとすれば、ヒオリが酔っ払いのプレイヤーに絡まれた時だったが、その際は話の様な怒り方はしていない。
故に、グラは別の時の事を言っているのだろうと思う。
「僕がキレた時ってどんなだろう?」
「大変。いつも氷織が泣きながら止めてる。何も言う事きかないし」
「え……?」
ヒオリが止めている……?
グラの回答に、ますます状況が分からなくなってくる。
それに、グラは、『いつも』と言った。つまり1回や2回の話ではないという事だ。
僕はいよいよ僕自身が本気で信じられなくなり混乱する。自分自身を疑わなければならないという恐怖で、全てが揺らいで崩れ落ちてしまいそうだ。
「ナキリ、覚えてない?」
「うん」
「それはおかしい」
グラは腕組みをして、深く考えているようだった。
「最後にキレてたのはたぶん5年以上前。でも記憶にないのはおかしい」
確かに、5年程度前の出来事であれば、幼くて記憶に残っていないという話にはならない。
これは本当に何かあるかもしれない。何か特殊な事が起きているに違いない。
その不可解な事象に向き合うのは正直苦痛だ。
だが、目を背けてはいけないと感じる。そこに何か重要な事実があるかもしれないのだから。
「僕がキレていた時の事、もう少し詳しく教えてくれる?」
僕は意を決してグラに尋ねた。
***
僕はグラから聞いた話に愕然としていた。
自分自身がガラガラと崩れ落ちていくかのような、砂となって消えていってしまうかのような錯覚すらしてしまう。
僕自身は、自分が怒った記憶すらないのだ。その部分の記憶は、綺麗さっぱり抜け落ち、さらにはその前後の出来事を都合が良いように改ざんしていた。
「俺はナキリがキレる瞬間は見てない。だから何にキレたのかは知らない」
僕は一体何に対して怒っていたのだろうか。それすらも分からないとなると、本当に恐ろしくなってくる。
グラの話だと、僕がキレた時は抑えるために呼ばれ、ヒオリが泣きながら僕を抑えているのを手伝っていたと言うのだ。
本当にその話に出てくる『僕』は、この『僕』で間違いないのだろうか?
そう疑いたくなる程だった。
「ナキリ君。とりあえずコーヒーでも飲んで落ち着こ~う」
顔を上げると、鮫龍が盆の上にマグカップを3つ載せて立っていた。どうやらコーヒーを淹れて持ってきてくれたようだ。ソファーセットの中央にあるローテーブルにマグカップが置かれる。
「大丈夫。その問題も少しずつ整理していこう。ナキリ君がそんな思い詰めたような顔をしていたら、皆心配しちゃうからね〜」
僕は呼吸を落ち着けて、ミヅチの言葉に頷いた。
「それにしても。キレた時の記憶が一切無いというのは怖いね~。しかも記憶が無い事にすら気が付かないと」
確かにミヅチが言うように、記憶が無いという事自体にも気が付かなかった。故に恐ろしいのだ。
酒を飲んで記憶を飛ばしてしまった時は、記憶が飛んでいるという自覚があった。ここから先の記憶が無いのだと自覚があった。
しかし、キレた時の場合は、何故か自分で前後の記憶を改ざんしており、記憶が無いという事自体にすら気が付かない状態となっていた。
僕はミヅチが淹れてくれたホットコーヒーに口を付けた。口に広がる適度な苦みと、鼻を抜けていく心地よい香りで、僕は心を少し落ち着かせる。
そして、改めて僕は僕自身と向き合う覚悟をした。
もしかすると、僕自身が『キレた時の記憶が無いという事実を自覚した事』は、大きな進歩かもしれないのだ。重要な手がかりである可能性が高い。だからこそ今僕は、ショックを受けている場合ではない。
「ナキリ君は、何に対してキレたかも記憶にないんだ~よね~?」
僕は頷く。キレた対象すら記憶にない。
「ヒオリちゃんに聞いてみたら~?」
「ふむ……」
確かにそれは良い手だ。ヒオリならば知っている可能性が高い。僕がキレた要因やその時の状況は、グラよりも先にその場にいたというヒオリの方が良く知っているはずだろう。
「そ~ういえば、彼女も『あの人』がキレた瞬間や鬼人達が覚醒した瞬間の話はしてくれなか~ったね~。あえて伏せたのか、見ていなかったのか……」
「あえて伏せたんじゃないかと。たぶん彼女は間近でその瞬間を見ている気がする……」
「俺もそ~う思うよ~」
ミヅチはケラケラと笑う。この状況を楽しんでいるようだった。僕が来た事で、進展があったのだから満足しているのかもしれない。
「それで。グラ君が言う相棒の話~。やっぱり、相棒の存在が、鬼人を覚醒させているって事だよね~」
「恐らく」
彼女が話した『あの人』、つまりグラが言う『相棒』についてだが、鬼人を覚醒させたのは『相棒』で間違いないだろう。
つまり、予想通りではあったが、グラを覚醒させたのは僕だったのだ。僕が原因でグラは覚醒したのだ。グラが覚醒したところに僕が居合わせたわけではないという事だ。
そう思うと何だか申し訳ない気持ちも出てくる。グラは覚醒してしまったことで見た目が大幅に変わってしまい、変装しなければならない状況だったのだ。変装を強いてしまった。生きづらかったのではないかと思う。
「グラ君は、覚醒した時ってどんな感じだった~?」
「全身が熱かった。心臓が締め付けられた。けど、それ以上に気持ちが良かった。やっと会えたって気持ちだった」
「ほ~ん。それは興味深いね~。ちなみに~、覚醒して良かったと思う?」
「思う」
グラははっきりと答えていた。おそらくその答えに嘘はなさそうだ。それを聞いて僕は少し安心した。グラ自身が覚醒したことに対してポジティブに感じていると分かり、救われた気持ちだった。
「に~しても、『相棒』ってなかなかに面白い表現だ。リーダーではない訳だ。地獄の果てまでも運命を共にしたいから、かつての覚醒した鬼人達は命が尽きるまで戦い続けたのかな~」
「ふむ……」
ミヅチの感覚的な分析というのは、僕にとっては新鮮な視点だ。鬼人達に寄り添ってきた彼だからこその視点かもしれない。
「中心人物ではあっても、リーダーではない……か……」
僕はミヅチの言葉を繰り返す。
相棒はリーダーとは異なる。この点は確かに面白いかもしれない。
「さ~て。コーヒーを飲み終わったら今日は解散かな~。良い時間だ。あまり君達を引き留めると、牛腸さんに怒られるか~らねっ!」
僕はハッとして腕時計を確認する。もう16時だ。店も開いている時刻だった。怒られはしないだろうが、店主は不機嫌になる気がする。
僕達は巻きでホットコーヒーを飲み干すと、立ち上がった。
ミヅチとは協力関係を築いたのだから、また日を改めてここへ来ればいい。
次に来る時までに、僕はもう少し僕自身の事についての分析をしなければと。そして、その際にはまた彼女に詳しい話を聞けたらいいと思うのだった。




