5章-6.鬼人の事件とは 2000.12.10
僕とグラは、案内されたソファーに座ったまま、鮫龍から提供された資料に目を通す。それは彼が鬼人について調べた事が丁寧に分かり易くまとめられた資料だった。
中にはノートに手書きでまとめられたものもある。数年間にわたって、調べてきたのだと分かった。
僕達がそれらの資料を読んでいる間、ミヅチは部屋にいた鬼人達とコミュニケーションをとっているようだった。鬼人達はミヅチを信頼しているのだと、様子を見て確信する。鬼人達の方から彼に寄って来るのを見ると、パフォーマンスではないだろう。
安心したような表情で話をする鬼人達には、笑顔を見る事もできる。心を通わせているのだと感じた。
プレイヤー達は滅多に笑ったりしない。それこそ信頼できる人の前でしか見せない物だろう。
それは自衛から来るものだと考えられる。常に死と隣り合わせの環境では気を抜く事なんてできやしない。プレイヤーに限らず、店の従業員達もそうだ。
もっとも、周囲に脅威がなくなるほど力を付けた者であれば、トラのように楽しそうに生きる事が出来るかもしれないが、大抵の者はそうはいかない。心の内をさらけ出してしまう表情という物は、特に徹底して隠される傾向にある。
常に無表情であったり、逆に笑顔を崩さなかったり、仮面を付けたように偽装する。そういう物だ。
だからこそ、この場で鬼人達がミヅチに向けている表情を見ると感心してしまう。他者に心を開くリスクを、鬼人達が知らないはずがない。よほどの信頼が無ければこうはならない。さらに言えば、僕とグラという部外者がいるこの場でだ。
グラがミヅチの事は信頼できると判断した理由が分かる気がする。
「グラは、この事件って知ってた?」
グラは首を横に振る。
「俺は物心つく前に捨てられたから」
「そっか」
資料に書かれていた『鬼人達が過去に起こした事件』について。
世の中が非常に荒れていた時代に、覚醒した鬼人が30人以上集まり、破壊の限りを尽くしたという事件だ。
この事件は僕達が生まれるよりも前に起きたものではあるが、規模を見るに非常に有名な話になっていてもおかしくない物だった。
当時を生きていた人間であれば、知らないなど有り得ない程の規模の事件だったのだ。
今の30代後半の年齢の人間ならば確実に知っているだろうし、忘れられない程の物だと思われる。
しかしながら、この事件についての情報は、現在一切存在しない。何処を探しても出てこないのだ。つまり意図的に歴史から消された事件であると考えられる。
また、当時の人間達も口を閉ざしたという事だ。この秩序が有って無いような社会で、箝口令が敷かれたとでも言うのだろうか。謎は深まるばかりだ。
だが、口伝であれば残る可能性があるだろう。身近な人間同士の会話までは流石に制限できないはずだ。
ましてや当事者である鬼人達のコミュニティであれば、語り継がれていてもおかしくはない、そう考えてグラに尋ねたのだが……。
小さいときに親に捨てられたのであれば、グラは鬼人のコミュニティには一切属することなく生きてきたのだろう。
鬼人の過去については、ミヅチの資料から知るしかなさそうだ。
「俺は小さい時から、既に肌が少し黒かった。それと、犬歯も少し長かった」
「それは、覚醒する前から見た目が少し異なったってこと?」
グラは頷く。
「今鬼人達は固まらず、紛れて生きているから。もし鬼人の特徴を持った子供をつれていたら、全員が鬼人とバレるリスクがある」
だから自分は捨てられたのだ。
最後までグラが言う事は無かったが、そう言いたいのだろうと僕は悟った。
グラの話から、現在鬼人達は、『子供を捨てるという選択をするほど、鬼人である事を隠したい状況』とも取れる。それほどのリスクがあるのだと考えるべきだ。
色々と推測の範囲ではあるが、鬼人達を取り巻く今の環境が分かってはきた。しかしながら、まだまだ靄が掛かったようにふわふわとしている。断片的で繋がってこない部分も多々あり、全体像が見えてこない。
僕は腕を組み深呼吸をした。そして、瞼を閉じる。取り入れた情報を、脳内で一つ一つ整理していく。
消された情報。口をつぐむ人達。隠れて生きる鬼人達。過去にあったという鬼人の事件。
グラの境遇や感覚も大切だ。
「貴方達も、鬼人について調べているのかしら……?」
突然話しかけられ、僕はハッとして顔を上げた。するとそこには、年配の女性が立っていた。ラベンダー色のタートルネックのセーターに、紺色のゆったりとしたロングスカートを身に纏い、少しウェーブの掛かった短い茶色い髪の女性が、微笑みながら僕の顔を覗き込んでいた。
穏やかな雰囲気の女性だが、ここにいるのだから鬼人なのだろう。
「ミヅチさんが、ここに人を連れてくるなんて初めてだから驚いてしまったわ」
年配の女性はそう言ってふふふと笑う。
「盗み聞きするつもりは無かったんだけれど、貴方達の話が聞こえてしまって……。もし、よろしければ、当時の事。『鬼人の事件』について、当事者の一人である私からお話ししましょうか?」
これは願ってもない申し出だ。僕達は是非と、女性を迎えた。
***
女性が話し終わる頃には、周囲に鬼人達が集まっていた。皆興味津々といった様子で聞き入っていた。この様子を見るに、この年配の女性しか知らない内容だったのだろう。
また、ミヅチも今まで知らなかったようだ。途中からではあったが、メモを取りながら話を聞いていた。
「ふふふ。参考になったかしらね。本当は墓場まで持っていくつもりだったけれど、貴方が現れてしまったから。話さなければと思ったの」
「僕が現れたから……?」
「えぇ、そうよ。だって貴方。覚醒した鬼人達を引き連れていた人にそっくりなんだもの。見た目じゃなくて、その雰囲気がね……」
女性は何か懐かしむような視線を僕に向ける。そこに嫌悪や恐怖の感情は無いように見える。
「それに、既に覚醒した鬼人を1人連れているのだから、きっとあの人と同じ性質を持った人なんでしょうね」
『あの人』と、女性が言った人物は、かつて起きた鬼人の事件の中心人物の事だ。その人物と僕が似ているのだと言う。
「その性質ってどんなものかって……」
「言葉で言い表すのは難しいわね……。貴方の内面にいる、化け物……、きっとその化け物は鬼なんでしょうね。それに反応するのよ。私達鬼人は」
「え……」
困惑する僕に、女性は再び微笑むと、スッと立ち上がった。これ以上の話は無いと言うことなのだろう。
「貴方はもう少し、自分自身について理解しないとだめよ。ふふふ。じゃぁね」
女性は僕達に手を振ると去って行った。
あの様子だと、他にもまだ情報を持っていそうだ。しかし、僕自身がまだそれを聞くに値しないのだと言われているようだった。
『もっと、自分自身の事を知れ』という指摘だ。それをクリアしなければその先の情報は教えてもらえなさそうだなと感じた。
「僕自身ね……」
自分を客観的に見るのは難しい。どうやって理解を深めればいいだろうか。
それともう一つ、女性が言っていた、『僕の内面にいる化け物』について。勿論心当たりはない。しかし、初対面の女性には何かが見えていたと考えるべきだと感じる。
「ナキリ君は凄~いね~。彼女から話を聞けるな~んてっ!」
気が付くと、女性が座っていた場所にはミヅチが座っていた。
「ま~さか、彼女が鬼人の事件の当事者の内の一人だとは思わなかった。あの事件に巻き込まれた鬼人は殆ど死んでしまったか~らね~。覚醒した鬼人に至っては全滅だったと聞いたよ」
「全滅……」
鬼人が起こした事件について、被害状況などは資料にあったが、何故事件が起きたのかまでの記載は無かった。しかし、先ほどの年配の女性が話してくれたのだ。事件が起きたきっかけを。
世の中が非常に荒れていた時代。複数の悪質な組織によって、裏社会は武力で統治されていた。それらの組織によって、常に争いごとが各地で起きていたそうだ。
弱き者はひたすらに搾取されるだけ、人として生きる事すら許されない、常に怯えて暮らす、そんな絶望的な世の中だったという。そんな世の中を変えるべく、鬼人達が集まり破壊の限りを尽くしたというのだ。
暴動の様なものだろう。人が人らしく生きるための命がけの抵抗だったと彼女は言っていた。
その事件によって、悪質な組織は根こそぎ壊滅。全てをリセットしたような状態になったという。その後、まともな社会になったかと言えばそういう訳ではないのだが、随分マシにはなったそうだ。
多くの人間が『武力が全てである統治は地獄だ』という認識を持ったことで、再びそんな環境にならないようにと各々動いているらしい。
「彼女の話でや~っと分かったよ。どうして皆が口を閉ざすことに協力的なのか。そりゃぁ、かつて世の中のために戦った英雄達の力になりたいよな~」
正直、今鬼人達が置かれている状況は悲惨だ。そんな彼らを助けるためにできる事が、口を閉ざす事であるならばと、ミヅチが言うように協力的になる人間は多いだろうと思う。
とはいえだ、ここまで厳重に情報が制限されているという現状を見ると、かつての地獄は本当に地獄だったのだという事は想像に難くない。
誰もがそんな地獄は二度とごめんだと、そう思うからこそなのだろう。僕はそう思い至り、彼女が今僕達に話してくれたという意味をしっかりと受け止めた。




