1章-2.プレイヤーとは 2000.5.2
僕は明かりが漏れている部屋へと向かい、そっと開いたドアから室内の様子を確認した。特に荒れている様子はない。僕はゆっくりと室内に踏み入れる。
すると室内に設けられたソファーセットに1人の女性が背を向けて座っていた。僕が近づくと、彼女は僕に気が付いたようでこちらを振り返って少し微笑んだ。
「百鬼君お疲れ様。今仕事終わり?」
「うん。そうだよ」
彼女は店に所属する『専属プレイヤー』である。
僕の周囲では、殺し屋の事を『プレイヤー』と呼ぶ。その理由は知らないが、会話で殺し屋と直接的な言い方をするのには不都合があるとかそんな理由だろうと僕は思う。
プレイヤー達には、彼女の様に店に所属する『専属プレイヤー』と、そうではない『野良のプレイヤー』がいる。専属のプレイヤーには、『所属する店以外からは仕事を受けてはいけない』という制約がある一方で、常に店から安定した仕事を貰えるという利点がある。
メリットデメリットは他にもそれぞれ沢山あり、専属になる事が必ずしも良いとは言い切れない所はあるのだが、どちらかというと専属の方が生活が安定するため、店に所属し専属プレイヤーになりたがる者は多い印象だ。
この建物に住むプレイヤーたちは皆、この店に所属する専属プレイヤー達だ。皆身内みたいなものである。
ツンとアルコール消毒の臭いが鼻を突く。彼女がいるソファーセットへと近づいてみれば、彼女は傷の手当てをしていた。
当然のことながら、彼女達の仕事は常に危険が伴うものだ。きっと仕事中に怪我をしたのだろう。彼女の右肩にある痛々しい傷口が視界に入り、僕の心臓はキュッと締め付けられた。
彼女の名前は、氷織と言う。こげ茶色の長いストレートの髪を高い位置で結んだヘアースタイルに、クリっとした大きな目が印象的で、とてもはっきりした顔立ちである。年齢は僕の1つか2つ下だったと記憶している。
身長は女性にしては高く160センチメートル程度だろうか。どちらかと言えば筋肉質な体つきであり、とても健康的な印象だ。
今は仕事帰りだからだろう。体のラインが出るような黒のTシャツと黒のパンツを履いていた。
「傷大丈夫?」
「うん。大した事は無いの。ただ、この位置手当てがやりにくくて」
確かに肩のあたりを自分で手当てするのはやりにくいだろう。
「僕がやるよ」
僕は彼女の元へ近づき手当ての続きを行った。
「ありがと」
「これも僕の仕事だからね」
僕は淡々と答え、きっちり手当を終えると、彼女の腕に丁寧に包帯を巻いた。
「他に怪我はない?」
「うん。大丈夫。いつもありがと」
彼女くらいだろう。この僕に礼を言うのは。
というのも、殺し屋達は大抵気性が荒く話が通じない。僕のような武力を持たず雑用をして生きているような人間の事は、当然のように見下し、なんの躊躇いもなく八つ当たりをしてくる。
この社会では弱い人間は何時だって搾取されるだけなのだから、仕方がない事ではある。
しかしながら、辛いものは辛い。耐え忍ぶ以外道は無い。僕は今も昔もずっと、この店に所属する他の多くの殺し屋達にはぞんざいに扱われているのだ。
だから彼女のように、僕を一人の人間として接してくれるプレイヤーは珍しい。こうして友の様に会話が出来るというのもありがたい話だったりする。
現状僕は、この店に所属した雑用係であるため、この店の所有物という扱いだ。故に、外部の人間からは危害を加えられる事は殆ど無い。
武力も金も持たない最下層の人間の中ではマシな生活を送れているのはこのおかげである。店に所属することで店に守られているのだ。
もし、外部の人間が僕に怪我をさせたり殺した場合は、器物損壊という扱いになり店主が怒るわけだ。損害賠償を求められたり、報復されたりとそういった事態になる。
故に、外部の人間に危害を加えられる事は基本的にない。それだけは本当に感謝している部分といえる。
つまりだ。今日僕を殴ってきた人間は、この店に所属する人間――専属プレイヤーなのだ。身内の話になる。だからお咎めなしなのだ。僕に危害を加える事が出来る人間は身内だけ。店主も黙認している。
そう考えると、何とも言えない気持ちになる。仲間とは思われていないのだ。精々丁度良いサンドバック程度の認識なのだろうなと思うと泣けてくる。
「え、ちょっとナキリ君。頬どうしたの!? よく見たら腫れてる……」
「あぁ。うん。いつものだよ」
ヒオリはそれを聞くと悲しそうに俯いてしまう。仕方のない事だという事を彼女も良く理解しているのだ。
きっと彼女の事だ。理不尽に殴られる僕を気の毒に思い、何とかしたいと思っているのだろう。
「私が強かったら良かったのにな……。強かったら文句の一つでも言えるし、ナキリ君を守れたのに……」
こうして心配してくれる人がいるだけでも救われるという物だ。ヒオリのその優しさは、殺伐とし枯れ果てた僕の心に綺麗な水を与えてくれるようだった。
「片付けは僕がやっておくから、ヒオリさんはもう休みなよ」
彼女は小さく頷くと、ありがとうと言って部屋に戻って行った。彼女が共用室を出ていったのを見届けた後、僕はテーブルに広げられた道具類を片付ける。
ヒオリとの付き合いはとても長い。初めて会った時から数えれば10年とかそれ位になるはずだ。彼女もまた幼い頃にこの店の店主に買われた人間だ。
狙撃の腕を見込まれて買われたのだという。今では優秀な狙撃手として活躍している。仕事はとても丁寧で評価は高い。着実に実績を積上げている。
プレイヤー達は実績を積み重ねていくと、ランクというものが上がっていく仕組みだ。上はSSランクから始まり、S、A、B、Cと続き、一番下はGランクだ。ヒオリは少し前にBランクになったところだ。
Bランクといえば一人前と言われるレベルであるらしい。僕には当然その辺の感覚は分からないが、報酬関係は随分と良くなるというのは知っている。
一般的にAランクレベルのプレイヤーになると、とても余裕のある生活ができると言われているのだ。そう考えると、ヒオリはもうすぐこの建物から出ていってしまうかもしれないなと思う。
Aランクになれば、こんなかび臭い古びた建物で、質素な生活などしなくて良くなるはずだ。生活の補助が必要無くなればすぐにでも出て行くに違いない。
彼女の出世は喜ばしい事ではあるのだが、ここにいなくなってしまうのだと思うと少し寂しさも感じる。
一方で僕には昇格という可能性は一切無い。ただの雑用係に上も下もないだろう。このまま一生店主にこき使われるだけだ。
とはいえ、彼女たちの様にプレイヤーになりたいかと言われれば答えはNOだ。殺し合いなどまっぴらごめんだ。身体能力が一般男性でしかない僕では、死にに行くのと変わらない。
だから今の生活には不満はあっても口には出さない。このまま何も変わらずに生きていくのが僕にはお似合いである。
そんな未来の事を想像しながら片づけを行い終わらせると、僕は共用室の明かりを消した。




