5章-1.今後の生き方とは 2000.10.13
朝の6時半。僕はTシャツにハーフパンツというラフな格好で3階のトレーニングルームへと向かう。日課の朝練のためだ。毎日欠かさず続けた事で、僕はそれなりに戦う事が出来るようになっていた。
とは言っても、積極的に戦う事はできない。躱す事を基本としている。急所がどこで、何を優先的に守るべきか等をグラから徹底的に叩き込まれていた。一般男性相手であれば遅れをとらないだろうと思う。相手がプレイヤーになれば、ひとたまりもないが。
僕は、ゆっくりとトレーニングルームの扉を開け入室した。
「みんなおはよう。あれ……増えた……」
トレーニングルームに入ってすぐ、僕はメンバーを見て驚く。氷織とグラ、そして天鬼、雪子鬼、東鬼の他にもいるのだ。それは、施設で買ってきたプレーヤーの子供3人だった。彼等はグラが面倒を見ている子供達だ。彼等も今日から一緒に朝練をするという事なのだろう。
「ナキリおはよう!」
ヒオリは輝くような笑顔で僕の方へと振り返り、挨拶してくれる。これだけでもここへ来た意味がある。毎朝ヒオリに会えるのはとても嬉しい。癒しだ。
彼女は今日も焦げ茶色のストレートの長い髪を高い位置で結わえ、Tシャツに短パン姿だった。活発な様子もとても良い。見ているだけで元気を貰える。
また、彼女の艶やかな髪は照明を反射してキラリと輝く。絵になるような美しさに、僕はしばし見とれてしまった。
毎朝の事なのに、僕は毎回こんな調子だった。彼女を見るだけでやる気が湧いてくる。本当に、自分でも笑ってしまうほど、僕は単純な男だなと思う。
僕は準備運動をしながら、彼らの朝練の様子を見守る。特にヒオリとセズキは非常に仲が良さそうだ。姉妹の様に見える。
妹の様だったヒオリが、お姉さんに見えて少し面白い。彼らは着実に交流を深めているようだった。
一方でプレイヤー組は、激しく手合わせをしていた。グラ1人に対して子供達4人で連携しながら立ち向かっているようだ。しかし、グラが圧倒的に強い。子供達は全く歯が立たない様子だった。相当な実力の差がそこにはあるのだなと感じる。
アマキも含めて彼らはまだ幼いため、仕事は単独で任せる事が出来ない。常にグラが仕事に付き添って経験を積んでいる最中だ。そのため、戦闘の実力はあってもプレイヤーのランクは低い。あと2年もすれば彼等も独り立ちしてプレイヤーランクをメキメキ上げていくのだろうなと思う。
準備運動が終わった所で、グラが僕の元へとやって来た。グラと手合わせしていた子供達は、それぞれ自主練に切り替えたようである。
「あの3人もたぶん鬼人。覚醒しなくてもSランクレベルにすぐなると思う」
「それは凄い。もしかしてグラは敢えて鬼人を?」
グラは頷いた。やはりたまたま彼らが皆鬼人だったわけではなさそうだ。
「鬼人の血が入っていれば、本能的にナキリを裏切らないから」
「ふむ……」
そうは言っても、それはお守り程度に考えるべきだ。彼等とも今後しっかりと信頼関係を築いていかなければと思う。
僕は今一度、施設から買ってきた3人の子供達を見る。少年2人と少女1人。皆背格好に差は殆ど無い。アマキよりは一回り大きいくらいか。
グラが持つような鬼人特有の特徴は外見には一切見られないので、本当に普通の子供だなという印象である。
「ちなみに鬼人って、見れば分かるものなの?」
「俺は何となく分かる」
これも感覚的な物らしい。僕には一切分からないが、グラがそう言うのだから間違いないのだろう。
「準備、いい?」
「うん。今日もよろしく」
こうして本日も、僕はグラから厳しい指導を受けるのだった。
***
夕方。僕が店で書類のチェックをしていると、テーブル席に座る店主に呼ばれた。恐らく報告を求められている。僕は店主の向かいの席に座った。
「泳がせてる奴らはどうだ?」
「順調に悪巧みをしています」
僕の回答に店主は、楽しそうに髭面を歪ませてニタリと笑った。不穏分子として泳がせている所属プレイヤー達は、僕達の予想通り、隠れて悪巧みをしているようだった。全く隠れる事は出来ていないが。
「近いうち、年内には動くかと」
「面白いじゃないか。これは見ものだな。また動きがあれば教えてくれ」
「分かりました」
そろそろ彼等は仕掛けてくるはずだ。そうなれば、この店の内部は荒れ狂うことになる。明確な危機だろう。
この危機に対して、周囲の人間達がどう対処するのかを僕達は見守る事としている。随分と悪趣味な話だが、この店にとっては必要な事だ。
この店は弱いところがあってはいけない。それは従業員個人にまで該当する。この程度の危機も乗り越えられないようでは遅かれ早かれ潰れると言える。
新しく入った人間は皆、まだまだ甘いところがあると僕は日頃感じている。自分に向かう敵意や悪意に鈍感では不味い。近々起きるであろう事件で身に染みてくれればいいのだが。
「あぁ、そうだ。ナキリ。お前にこれをやる」
店主はそう言って、テーブルの端に置いてあった書類の束を僕に渡した。
「これは……」
「鬼人についての資料だ。探していたんだろ? お前は特に知っておく必要がある。それにお前のような特性を持つ人間についても記載がある。よく読んでおけ」
「ありがとうございます」
僕は有難く資料を受け取った。
鬼人について、僕は調査に行き詰まっていたところだった。鬼人は滅んだとか、鬼人の集落を殲滅したという内容の資料は沢山でてきたが、肝心の鬼人について書かれたものが尽く見つけられなかったのだ。
恐らくこれは意図的に情報が消されたと考えられる状況だった。過去に鬼人の関連で何かがあったのだと思うが、僕が調べることが出来たのはこの程度だったのだ。
そんな調査不可能な内容を、何故店主が持っていたのかは謎だ。僕の知らない有力なツテでもあるのかもしれない。僕は早速受け取った資料に目を通していく。
「お前みたいに鬼人と相性がいい人間はごく稀に存在する。遺伝でもなんでもなく、世の中に突然現れる。そういうもんだそうだ」
店主はそれだけ言うと席を立ち店から出ていってしまった。今晩の酒でも買いに行くのだろうと思う。僕は貰った資料へと再度目を落とした。
店主の様子からすると、僕が鬼人と相性がいい人間である事は知っているようだった。恐らくグラが覚醒した時にでもしっかり調べ尽くしたのだろうと思う。
こんな得体の知れない特性を持った僕を今まで生かしていた事を考えると、将来使える人間だと店主は判断したのだろう。
何だか見える世界が随分と変わったなと僕は感じた。副店長に昇格してからのネタばらしがあまりにも多すぎる。何も持たないただの人間だと、自分の事をそう認識して、隠れる様に生きていたのが嘘のようだ。
だが、雑用係として生きぬいてきた経験は、僕にとっては非常に重要だったように思う。その経験が有るからこそ、今の状況の特殊さがよく分かる。今の特殊な状態を当たり前としてしまう事は、非常に危険な事だと僕は感じている。
店主はここまで想定して、僕を今まで育てたのだろうか。そう思うと、本当に敵わないなと、改めて感じた。
これだけの資料を、このタイミングで僕に渡すのだから、上手く鬼人と僕自身の特性を使えと言われているようなものだ。
この情報を軸に、僕はこれからどうあるべきかをしっかり考えなければならないのだと思う。周囲へ態度の在り方も重要だ。常に『最善』を演じるために思考し続けなければならないだろう。
また、『副店長』に求められる役割とはなんなのか、そして店主が僕に望むのはどんな姿なのか。それを見誤ることのないように、注意していかなければならない。
やらなければならないことが山積みだ。
それに僕はもう、ただ生き続けられればいい等とは思っていない。あらゆるものを手にして、欲望も増えたのだ。失うものが何も無いような人間じゃない。
手にした大切な物を維持する事、そしてさらに欲しいものを手に入れるためには、今まで通りでいいはずがない。求められる役割や姿を淡々と演じているだけではいけない。それでは、不十分だ。
幸い、今では欲しい物を手に入れる事が出来るだけの力もある。その力を使わない手はない。
今一度、よく自身について考え、方針を練り直そうと僕は思うのだった。




