4章-7.鬼人とは 2000.10.3
会合から戻った僕は、僕の部屋の中にある、窓の無い5畳程度の広さの防音室にグラと二人でいた。この部屋は防音である他、盗聴などができないように特別な仕様で作られた部屋である。
戻って来たばかりではあったが、少しグラと話すことになったのだ。というより、会合に出て他の店の状況を知った僕は、直ぐにでもグラの事をもっと正確に把握しなければならないと思ったのだった。
「改めて聞くけど。どうしてグラは僕の味方でいてくれるのだろうか。僕には心当たりが一切ない。無条件で信頼されて味方になるなんて、ありえない事だと僕は考えているんだけれど」
防音室内に設置されたライトグレーのソファーに座った僕はグラに尋ねる。
ずっと気になっていた事だ。グラとは小さい頃からこの店に所属する仲間ではあったが、正直、氷織の様に個人的な交流なんて一切無かった。信頼関係を築いてきた訳じゃない。
顔を合わせるとすれば、店の解体ショーの時だけだった。だが、そこでも会話なんてなく、それぞれが淡々と与えられた仕事をこなすだけであったのだ。グラから特別に信頼されるような事は、何もしていないと僕は思っている。
確かに、仕事でグラの報告書は僕が担当して処理していたが、そんな事務作業がきっかけになるとも思えない。故に全く心当たりが無いのだ。
他者から無条件で愛されたり、好意を持たれたり、信頼されたり、尊敬されるなんてことは、基本的にはあり得ない事だと僕は考えている。
それこそ、SSランクという実力があり力を持つプレイヤーが、無条件で力を持たない誰かの味方をするなんて在り得ない事なのだと、今日の会合で僕は肌で感じた。本当に特別な事なのだと知った。
だから、グラが僕に味方する理由が明確にあるのであれば、把握したいと僕は思うのだ。
グラは静かに僕の正面のソファーに座った。そしておもむろに付けていた黒いマスクを取る。続けて手袋も外した。そしてさらに、頭部に手を掛けると――
「え……」
グラは何のためらいもなく、自身の紫色の髪を引っ張り取り外してしまったのだった。僕はあまりの光景に困惑して声を漏らす。
つまり、グラの特徴的な紫色の長髪は地毛ではなくカツラだったのだ。カツラを取ったことで黒色の短髪が現れた。こちらが地毛なのだろう。グラは黒い髪を軽く整えると、顔を上げ僕を真正面に見つめた。
その様子に僕は絶句する。
グラの瞳は燃えるようなオレンジ色だった。そして、犬歯が長く牙の様になっていた。また、肌は地黒だった。日焼けではないだろう。黒人ほどではないが、非常に黒かった。
「ナキリはキジンについては?」
「いや……」
「鬼に人と書いて鬼人」
ここでグラがそう言うという事は、グラはその『鬼人』なのだろうと察する。
「鬼人の特徴は、オレンジ色の瞳、黒い肌、長い牙。身体能力が高い事」
まさにグラが今見せている特徴そのままだ。
「これは覚醒した姿」
「覚醒?」
「覚醒していない鬼人は、普通の人間と変わらない」
「え……。つまり覚醒すると、見た目が変わっていくって事?」
グラは頷いた。これは到底信じがたい話だ。だが、今目の前に現実離れした特徴を持った姿のグラがいるのだ。信じるほかない。
「鬼人は元々身体能力が高い。けど、覚醒すると、そこからさらに上がる」
「ふむ……。もしかして、世の中には覚醒していないだけで鬼人って沢山いたりする?」
「いる。でも、殆どが覚醒しない。血が薄いと覚醒はほぼしないし、弱い。だから鬼人の存在はあまり認知されてない。本人も自覚してない場合があるくらい」
グラの話を聞くに、鬼人の特徴は遺伝する類の物だと考えられる。ただし、大半が覚醒しないため、親から受け継いでいても気が付かないと。
故に、この社会には鬼人の血が流れる人間自体は沢山いるという事だ。ただし、その血が濃いと覚醒して特徴が顕著に出る事がある。そこで初めて鬼人の血が流れていたのだと知るといった具合だろうか。
「天鬼も鬼人。アマキの鬼人の血は濃い方だと思う」
アマキのポテンシャルが高い理由は、鬼人の血が濃いからという事の様だ。今後もし覚醒すれば、アマキはグラの様にとんでもない身体能力を得るのかもしれない。アマキの血は濃いというのだから、覚醒する可能性はあるのだろうなと思う。
とはいえ、こんな派手な見た目をしてれば、一目見ただけで鬼人と分かるはずだ。それにもかかわらず、僕はこんな特徴を持った人間を初めて見たわけだ。覚醒するのは非常に稀な事なのだろうなと思う。
「鬼人は高値で取引される」
「だろうね」
今のグラの話を聞けば、それは容易に想像できることだ。身体能力が高い事が分かっているのだから、その体自体に非常に価値があると思われる。
解体して部位を売りさばく者、使役しようとする者等、あらゆる方面から狙われるだろうと思う。
「子供のうちは狙われて危険だとトラに言われて、俺は鬼人の特徴を隠した」
「成程ね」
グラがこうして肌の露出も殆どない姿でいた事の理由が良く分かった。
と、ここまでグラの話を聞いたが、僕の質問に対しての答えとは程遠い。グラの事が分かったのは良い事ではあるのだが、全く話が見えてこない。
「鬼人の特徴は外見と身体能力だけじゃない。内面もある」
「え?」
「あまり詳しい事は俺も分からない。けど、鬼人は相棒を求めると言われている」
「相棒ね……」
もしかしなくても、グラにとっての『相棒』が僕なのだろうなと思う。
「グラにとって、その相棒ってどんな存在?」
「ずっと隣を歩いていて欲しい人」
「そっか」
僕は考える。共に歩きたいという事は、対等であり続け、助け合い、運命を共にするというような意味合いに聞こえる。
だが、それであれば同じ鬼人同士で組む方が良いのではないかと思ってしまう。同等の力を持つことができ、お互いに特性を理解し合えるのではないかと。
だが、グラの話を聞いているとそう言う事ではないように思える。
「何故鬼人は、相棒を求めるのか……。グラの意見を聞かせて欲しい」
僕の質問に対して、グラは真剣に考えていた。表情が見えるグラと言うのは新鮮だ。真剣に考えている所申し訳ないが、ちょっと面白いなと思う。
グラ自身、鬼人について完全に理解はしていないのだろう。今改めて自分自身と向き合っているのだろうと思う。僕も今まで鬼人については聞いたことも無かったのだから、情報が溢れている類のものではない。本人から聞くほかないだろう。
「強者は孤独だから。それに、強者同士は最終的には仲良くできない」
ここで言う強者は武力的な強者なのだろうと思う。強者が孤独である事、そして強者同士で仲良くし続ける事が困難であることは理解できない話ではないなと僕は感じた。
恐らくではあるが、自分にない物を補い合う事で対等な関係を築く人間を欲するという事なのかもしれないと思う。だから、武力の無い僕でもグラの相棒になり得たのかもしれない。
だがそうなってくると、僕はグラに何を与える事が出来ているのだろうかと不安になる。
「ナキリは俺の覚醒のきっかけだから」
「それはどういう……」
「初めてナキリを見た時、俺は覚醒した。体内の血液が燃えるような感覚がして、その日から外見が変わっていった」
グラは一体その時、僕に何を見たのだろうか。何かを感じ取りそして覚醒したという事なのだろうとは思う。
「これは感覚的な物。ナキリが俺にとっての相棒であるんだと、本能的に分かった」
「それはなんというか……。不思議だね」
感覚的な物だと断言したのを考えれば、覚醒する法則や条件などは恐らく確立されていない。
「それと。相棒と一緒にいる方が、鬼人は能力をより発揮できる。調子も良い」
「ほう」
「だから、ナキリには傍にいてもらわないと困る」
「そう言う事ね」
これでようやくグラが僕に付いた理由が分かった。僕と言う存在自体がグラにとってはプラスになるようだ。
その理屈や原理は一切不明だが、鬼人の特性としてそういう物であると受け止めるべきだと思う。
共にいるだけでグラが強くなるというのも面白い話だ。鬼人については僕の方でも少し調べるべきだなと感じた。
「ずっと。店長とトラに、ナキリには接触するなと止められていた。時が来たらナキリを副店長にするから、それまで待てって」
グラはずっと待っていたようだ。確かに、ただの雑用係に高ランクプレイヤーが付くなんて環境として良くない。店主がこの店でやろうとしている事が狂ってしまうだろう。
「グラが僕を最初に見たのはいつだったんだろうか」
「ナキリが店に買われたその日」
「という事は、10年以上前か」
本当に、何も持っていない僕を見て覚醒したという話なのだろう。10年以上前の連れてこられたばかりの僕は、何のスキルも持たないただの幼い子供だ。
仕事もできないし戦う事もできない。そんな子供に何を感じたというのだろうか。それこそ、雰囲気だとか感覚的な物なのだろうとしか思えない。
「ナキリは鬼人と相性が良い素質を持った人間なんだと思う。俺は鬼人の血が特に濃いから強く反応しただけ」
「ふむ……」
「たぶん、鬼人は勝手にナキリに寄って来る」
「もしかして、アマキが僕に付いてきたのも?」
グラは頷いた。アマキがアカツキに、僕に付いて行く理由を問われた際に、「何となく」と答えていたのを思い出す。グラの話の通りアマキも鬼人であるならば、僕の鬼人を惹きつけるという何かに、アマキも惹かれて付いて行くと決めた可能性が高いなと感じる。
自分の事を特別な人間だと思ったことは無かったが、どうやら僕には鬼人から好かれるような特性があるようだ。とんでもない能力だなと思う。自分のルーツなんて一切知らないが、鬼人の様に、どこかでそういう特別な素質を持った血を受け継いでいるのかもしれない。
「ナキリは地獄の閻魔大王みたいなものだから。堂々としていてほしい」
「閻魔大王ね」
閻魔大王程のカリスマ性が僕にあるとは思えないが。ただ、鬼人を惹きつけるという特性があると分かったのだから、そこには自信を持って立ち振る舞うのが良いだろう。
これは大きな武器だ。驕る訳ではないが、持てる手札の1つとして、有効に利用すべきだろうとは感じた。




