4章-5.オーラとは 2000.10.3
「あれ。天鬼は……?」
ふと背後を確認すると、後ろに立たせていたはずのアマキがいない。グラが一人で立っていた。
会議開始まであと少しだというタイミングで、僕はアマキの不在に気が付いたのだが……。何の音もしなかった。いつの間に姿を消したのだろうか。こんな初めて来るような場所でいなくなるなんて、想像もしていなかった。僕は内心焦る。
「散歩」
「散歩ね……」
一方のグラは僕とは対照的に落ち着いた様子で、簡潔に答えてくれる。その様子から慌てるほどの事ではないのかもしれないと僕は少し安心する。
それにしても、こんな会議室があるだけのオフィスビル内でも散歩に行くとは、相変わらずの自由人だ。
グラが止めなかったのだから、恐らくこの空間の中でアマキの脅威になるだろう人物がいないという事なのだろう。アマキの実力はSランクの上位と言っていた。SSランクプレイヤーに出くわさなければ、殺されてしまうなんてことはないのだろうなと思う。
それにアマキは隠密が得意らしい。基本的には姿を隠して潜んでいるそうだ。昨日、酔っ払い男を殺した時のように、必要があれば唐突に姿を現すといった具合だ。
意外と近くにいる可能性もある。僕は放っておくことにした。
チラリと周囲を見回すが、相変わらず壁際に大勢の人間が立ったままだった。原因は変わらず、序列3位の店主が未だに来ないからだ。
壁際で待機する彼らの多くは、それぞれが会話をして交流している様子だ。暁の話にもあったように、派閥という物があるのだろうと思う。
流石に昨日の今日だったので、僕は派閥に関して何も情報を得ていない。せめて主要な参加者くらいはと、本日の午前中に必死になって情報を頭に入れてはきたが、それがどれ程役に立つのかは分からない。本当に行き当たりばったりである。
「序列3位の店の店主が気になるのかな?」
「はい。そうですね。規模は相当大きいようですし、従えているプレイヤーの数も多いので、どんな人物なのかと」
「彼はね、一匹狼タイプのカリスマ性のある男だよ。他の店の店主とつるむ気はないようだね。僕でも敵対は避けたいと思うくらいの人物かな。彼がSSランクプレイヤーを従え始めたらと思うと怖いね」
アカツキでも怖い等と思うのかと。意外な言葉だった。
僕の勝手な想像ではあるが、アカツキはその男を警戒しているように思う。いずれは張り合う事を予測しているのかもしれない。張り合うよりは上手くビジネスパートナーになりたいと考えていそうだが、一匹狼タイプでつるむ気が無いと言う話なのでそれは厳しいのだと察する。
そんな事を考えていると、途端に会場が静かになった。僕が周囲の状況を確認すると、皆会議室の入り口の方へと注目を集めていた。そのため、僕もそちらへと視線を向ける。
「あぁ、やっと。彼のお出ましのようだね」
アカツキが僕の隣でぼそりと呟いた。
と、その瞬間。
ドッと僕の心臓は跳ねた。
全身の毛が逆立つかのような感覚に緊張感が高まる。
何だろうか、この感覚は。
会場全体の空気が一気に重くなったと、この僕でも感じるほどの何かが起きた。
僕の視線の先、出入り口の扉の前には一人の男が堂々と立っていた。少し長めの黒髪をオールバックにしている。サイドは刈り上げているようなのでツーブロックという髪型だろう。
そして、室内にもかかわらずサングラスを掛けていた。そのせいで表情が非常に分かりにくい。顎には髭が生えており、ワイルドな印象を持つ。
服装はワインレッドのシャツに黒のベスト、そして黒のパンツを履いていた。身長は180センチメートル程度ありそうだ。肩幅も広く筋肉質である。
プレイヤーにも見えてしまう様な見た目であるが、あの男は店主だ。午前中に確認した資料で把握している。序列3位の店の店主に間違いがなかった。
恐らくこの重たい空気感は、あの男のせいだ。あの男が発する強烈な存在感――『オーラ』によって、会場の空気が変わったのだと察する。
僕はこの時初めて、オーラと言うものを本能的に理解した。これは確かに侮れない。目に見えないからと言って無視していいパラメーターではないのだと認識した。
男はぐるりと周囲を見回すと、僕を視界に捉えてニヤリと笑った。男が身に着けているサングラスのせいで、その意図は十分には読み取れない。
好意的な物なのか、挑発の意味が含まれているのか。判断することは非常に難しかった。
男は周囲には目もくれず、堂々とした足取りでまっすぐにこちらへと向かってくる。大股でずんずん進んでくる様子は、それだけで威圧感がある。
だが、男の付近にプレイヤーがいない。一人で来るわけがないがどういうことなのかと不思議に思う。
姿が見えないだけで近くに潜んでいる可能性もあるため、油断は禁物だ。
そしてついに、男は僕のすぐ隣までやって来た。座っている僕をじっと見下ろしている。そんな男に対し僕はどう対応するのが良いのかと頭を悩ませる。
これだけ僕を見てるのだ。何か言いたい事でもあるに違いない。僕は椅子を少し引いて、体を男の方向へと向けた。
「あ~んたがゴチョウさんの店の副店長、百鬼君か。ふ~ん。面白いじゃな~いか~」
男はサングラスを取ると、ずいっと僕に顔を近づけてきた。男と至近距離で目が合う。ここで視線を逸らせば負けみたいなものだ。僕は不快ではあったが意地で男を見続けた。
彫りの深い顔で、少しミステリアスな雰囲気もある。全体的な顔のイメージとしては、やり手のベンチャー企業の社長のような雰囲気だった。年齢は20代前半くらいだろうと思う。僕よりは明らかに年上ではあるが、ここに集まる店主達の中では若い部類だと思う。
暫くそのまま見ていると、突然男はフッと笑って視線を逸らした。一体何だったのだろうか。全く意味は分からないが、視線から解放されて僕は少し安堵した。
「アカツキさ~ん。ま~た凄いの連れて来て。困るよ~」
「僕はまだこの場所に座っていたいからね。まだまだ君にこの席を譲る気はないよ」
アカツキも男もニヤニヤと笑いながら会話をしている。本当に、勝手に他所でやってほしいものだ。僕を挟まないでくれと思う。どちらもとんでもない存在感なのだ。濃すぎて窒息しそうである。
「悪かったね〜。ゴチョウさんが代わりに送り込んできた副店長がどんなもんかってな! 昨日からわ~くわくしてたんだよ。あわよくば、こっち側に引き込んでしまおうかな~っと思っていたのに、ざ~んね~ん」
男は楽しそうにケラケラと笑っている。全く残念がっている様子はない。
男はそんな調子で僕の隣の席に堂々と座り、僕達の方へと体を向けた。
「アカツキさ~ん、既に手を回しているなんて。フライングでしょ~」
「何事も早い者勝ちだよ。もたもたしていた君がぬかっただけじゃないか」
アカツキとこの男は特段仲が悪そうには見えない。この様子を見るに表面上は友好的に付き合っているのかもしれない。
とはいえ、どちらも腹の内に何かしら隠しているような人間だ。実際の関係性は、今の僕には分かりそうもないなと感じる。
「ナキリ君。その様子だと俺の事を少~しは知っていたのかな? で~もっ! 一応は初対面だから。自己紹介させてもらおう。俺はミヅチ。鮫に龍と書いて鮫龍だ。よろしく」
序列3位の店の店主、鮫龍は、そう言って僕に右手を出す。僕は直ぐにその男の手をしっかりと掴み握手した。
「ナキリ。百の鬼と書く。ミヅチさん、よろしく」
ミヅチのギラつく視線は、僕と言う人間を余すことなく見定めようとするものだった。不敵に笑う口元も、纏う空気感も、全てが僕を威圧する。
しっかりと構えていなければ、ぺしゃんこにされてしまいそうな程だった。そんな圧を受けて、僕は自分があまりにもひよっこであると実感する。
この男が発するオーラは年季が違う。長年この社会で生き抜いて、成果を上げてきたという経験や自信が滲み出ている。
とてもじゃないがその人間力というようなもので、僕は勝てそうになかった。
「ミヅチ君。あまりナキリ君を虐めないでくれないか? 彼は初めてここに来たんだから。それにあまり遊んでいると、彼のプレイヤーが怒るよ?」
「お~っと。それはマズい。SSランクのグラ君を怒らせたら、俺の首なんて一瞬でスパ~ンだ」
ミヅチは楽しそうに笑っている。冗談のつもりなのだろう。だが、いつの間にかミヅチの背後に控えていたプレイヤーの少年は引きつった笑みを浮かべていた。
「ミヅチさん。勘弁してください。先に首が飛ぶのは俺達なんすから」
「ん~。あ~、ごめんね~アオキ。いつも悪いねぇ」
ミヅチは背後に立つ少年にケラケラと笑いながら答えていた。その少年は、アマキとあまり年齢が変わらないだろう少年だが、正式にSランクのプレイヤーとして活躍している人間である。
名をアオキと言う。漢字は、青い鬼と書く事から、アオオニとも呼ばれるプレイヤーだ。青色の短髪、祭りを彷彿とさせる黒色の法被を羽織り、そして腹部にはサラシを撒いている。奇抜なファッションはプレイヤーらしい装いだ。
「あれ~? 赤鬼は~?」
「向こうで子供と遊んでるっす」
「え? もぉ~本当にアカギは自由人なんだから~。まぁ~良いよ。放っておこう」
ミヅチにはもう一人プレイヤーが付いている。アカギと呼ばれたプレーヤーだ。事前に見た資料では、背後に立つアオキという少年と対の様な存在だ。彼らは双子の兄弟だったと記憶している。
赤色の髪をした少年で、漢字を赤い鬼と書く事から、アカオニとも呼ばれるプレイヤーである。彼も同じくSランクだ。また、彼らはセットで鬼兄弟と呼ばれている。
恐らく本日もミヅチはその2人のプレイヤーを連れて来たのだろうが、アカギがどこかへ行ってしまっているという状況なのだろう。
慌てる様子もないので、アオキだけでも問題ないと考えていそうだ。
「定刻になりましたので、本日の会合を始めさせていただきます」
司会と思われる従業員の女性の声が響いた。僕達は話すのをやめ、主催者の方へと意識を向けたのだった。




