4章-1.ランクとは 2000.10.2
「百鬼。明日の会合、お前が行ってこい」
唐突だった。本日もトラに捕まり、店で酒を飲まされているところへ店主がやってきて、僕にそう告げたのだった。
「会合ですか……」
「その通りだ。絶対舐められるなよ。暁のオヤジ以外は格下だ。分かったな」
全く意味が分からない。しかしながら店主はそれだけ言うとさっさと去って行ってしまった。安定の無茶ぶりだ。本当にやめて欲しい。
「ナキリ~、会合頑張れよ」
隣に座るトラはニヤニヤと笑いながら、肘で僕を小突く。
「いや、あのですね。会合について何も知らない状態で放り出されて、どうしろと……」
「そうだな。いつも通りなら昼過ぎにアカツキのおやっさんが車で迎えに来るから、それに付いて行けばいいだろう」
トラは軽い口ぶりで言うが、僕の気持ちは全く軽くならない。
得体の知れない業務、しかも相当重要であると思われるものを、こんな説明も無しにやらされるのは恐ろしいにも程がある。
「グラも付いて行くんだぞ。分かってんのか?」
トラは正面に座っていたグラの額も指先で小突く。グラもどうやら分かっていなかったようだ。僕と同じように困惑し、キョトンとしていた。
「トラ。会合って何? 俺は何すればいい?」
「お前の仕事はナキリの護衛だ。だが、ただの護衛じゃない。その場にいる全員を威圧しろ。アカツキのおやっさんが連れているプレイヤー以外は、殺してもいい。ナキリに喧嘩売るような店主がいたら、その店主が連れてるプレイヤーを問答無用でさっさと殺しちまえ」
「分かった」
会合とは話し合いか何かだと想像していたが、どうやら様子がおかしい。物騒な場の様だ。
「会合は、この周辺地域の店の店主が集まって話し合いを行う場だ。定期的に開催されるもので、情報共有と店同士の結束を目的としているな」
「目的だけ聞くと、友好的な印象ですね」
「だな。まぁ、残念ながら実際のところはマウント取り合い合戦よ。店間の上下を決める戦いだ。だからゴチョウも舐められるなっつってただろ」
これは中々に面倒だ。気が重くなっていく。
「店の格については、連れているプレイヤーの格がそのまま反映されるわけだ。グラを連れている時点でお前は最強だ」
「ふむ……」
「だから、堂々としてろ。傲慢なくらいで丁度いい。ゴチョウの真似でもしておけばいいだろ」
「それは……ちょっと……」
僕が渋い顔をすると、トラは豪快に笑っていた。
「何も緊張するような事なんてない。お前は既にオーラを持っている。お前が部屋に足を踏み入れるだけで、その部屋の空気が凍る位にはな。だからいつも通りでいい」
「はぁ……」
またオーラという訳の分からない物の話だ。僕には一切分からない代物である。
「グラも気張れよ。この店は力が全てだからな。何処へ行っても、力でねじ伏せる姿勢を崩すな」
「分かった」
僕達が返事をしたことでトラは満足そうに笑っていた。
「おっと。ナキリ。嫁が迎えに来たみたいだぞ」
「……」
トラがニヤニヤと笑いながら僕に言う。どうやら氷織が来たらしい。全く何が面白いんだか。左腕に付けた腕時計を確認すると、丁度12時だ。そろそろ飲みの場は切り上げなければならない。
僕が酔い潰された日以降、ヒオリはこうして迎えに来て僕をこの場から回収していくのだ。僕は大人しくそれに従っている。
僕は持っていた酒をテーブルに置くと店の出入り口の方へと視線を向けた。すると、人ごみを縫うようにしてヒオリが一生懸命こちらへ向かって来ていた。
酔っ払いたちが所狭しといる場所だ。少し大変そうである。僕の方から行くべきかと迷っていると、突然、彼女の近くでよろけた男がドンッと彼女にぶつかった。
そしてそのまま男は彼女を下敷きにして倒れたのだった。
ガシャンと音がして、その場が騒然となる。男は倒れる際に周囲のテーブルやら椅子を巻き込んだようだ。テーブルの上にあった酒の瓶も床に落ちて割れてしまったらしい。
「おい! お前ふざけんなよ!!」
周囲から怒号が響く。
「てめぇのせいで酒が無くなっただろうが!」
「どうしてくれるんだ!」
「おいごらぁ! 服が汚れたぞ! ふざけるな!」
周囲から次々に怒鳴り声が発せられる。それは、倒れた男とヒオリに対して容赦なく浴びせられた。
「違う! 俺はこの女にぶつかられて倒れただけだ!」
全く酷い男だ。勝手に倒れてヒオリを下敷きにしたくせに。その上責任転嫁とは。
だが、状況は良くない。ヒオリを下敷きにした男は彼女より格上のプレイヤーだ。彼女の方が正しい事を言ったとしても簡単に覆されてしまうだろう。
酔っぱらった男はよろよろと立ち上がると、その直後、下敷きにされて動けずにいたヒオリを力任せに蹴り飛ばした。
「おい。ナキリ、早く嫁を助けに行ってこい」
トラに言われずとも行くつもりだ。僕は小さく息を吐くとその場へと向かった。
***
「私はぶつかってない。そっちが勝手にふらついて倒れてきたんでしょ!」
「あぁ? 女のくせに口答えしてんじゃねぇぞ!」
蹴られたヒオリも反論するが、こうなってしまえば状況は悪化するだけだ。
ついに男は空いた酒瓶を持ち振りかざす。
「はい。そこまで」
僕はヒオリと酔っぱらった男の間に入る。
「はぁ? ふざけんな! 部外者はすっこんでろ! 餓鬼が!」
「餓鬼ね……」
確かに酔っ払いの男から見れば、僕はまだまだ青臭い子供に見えるのだろうなと思う。
「そういう訳にはいかないよ。ここは僕の店でもあるんだ」
「あ? 意味分かんない事言ってんじゃねぇ!」
その瞬間、振り上げられた酒瓶は僕に振り下ろされたのだった。
直後。カシャン! とガラスが激しく割れる音が響いた。
派手にガラス片が飛び散り、同時に僕の左手に激痛が走った。これは破片が腕に刺さっているのだろうと思う。
「店を汚すのは辞めてくれないか。片づけるのは大変なんだよ。こうやって暴れるのであれば出禁にするけど」
僕は振り返り、床に倒れたまま動けずにいるヒオリを確認した。幸いガラス片は彼女には飛んでいない様でほっとする。
本当に参ってしまう。この酔っぱらった男とは話にならなそうだ。
僕は、ふぅーっと息を吐いて気持ちを落ち着けた。腕は脈打つようにズキンズキンと痛む。よく見れば、僕の腕からはぽたぽたと血液が滴っていた。それなりに傷は深そうだ。
「よく考えて。今ここで謝罪するか、死ぬか」
「あぁ?」
「そんな威圧は僕には通用しないから。無駄な事は辞めて、よく考えた方がいい。今この場で死にたくなければ、彼女に謝罪して。君が勝手によろけて倒れたんだろう。たまたまそこにいた彼女を下敷きにしたんだ。君が全部悪い」
「ふざけるな! 俺はSランクプレイヤーだ! お前等ごときが口答えしていい相手じゃねぇぞ! せっかくこの店に来てやっているっていうのに!」
この男はどうやら死にたいらしい。僕は深くため息を付いた。
「分かったよ。じゃぁ君はいらないから。ここで死んで」
その瞬間だった。ドチュッっという生々しい音がした。
「は? え?」
その音は妙に室内に響き、そこにいた誰も彼もをゾクリとさせた。
酔っぱらった男も、一体何が起きたのかを理解するのに時間が掛かったようだった。
数秒間は目を見開いて固まってしまっていた。
しかしながら、男は困惑しながらもゆっくり首を回し、自身の背後を確認する。
そして、そこにあった光景を認識するや否や、再び男は硬直してしまったのだった。
「ねぇ。おじさんは弱いくせに、ナキリさんに盾突いたの? だめだよ~? 僕はそれを許さない!」
能天気な少年の声が男の背後から響く。それは、この場に相応しくない異質な要素だ。それ故、場はしんと静まり返る。
酔っぱらった男の影から、ひょっこりと天鬼が顔を出し、僕に対してへな~と笑った。手には血液がべっとりと付いた刃物を持っている。酔っぱらった男を背後から刺したのだろうなと思う。
「な……んだ……この餓鬼……!」
「僕はアマキだよ~。ガキじゃないよ~」
アマキは終始ふわふわとした喋り方ではあったが、動きは非常に俊敏だった。瞬時にして男の前方へ回り込み男の腹にナイフを突き立てていた。それは深々と刺さる。明らかに致命傷だろう。
男はぴくぴくと痙攣しながらも、床に膝をつく。この様子だと、損傷してはいけない部位を的確に刺されたのだろうなと察する。
「ナキリさん。僕偉い?」
「偉いよ。ご苦労様」
駆け寄って来たアマキの頭を僕が優しく撫でると、アマキはいつも通りへな~っと嬉しそうに笑う。ふわふわの茶色の癖毛を揺らしながら、アマキはぴょんぴょんと笑顔で跳ねていた。
アマキは何時だって、このように周囲の一切の状況を気にしない。その笑顔がどんなに場違いだろうとお構いなしなのだろう。
まるでアマキの周りだけが穏やかに空気が流れているかの様だ。相変わらず異質な雰囲気を醸し出す少年である。
一方の男は、重力に逆らえるはずもなく、ドサッと音を立てそのまま床に伏せった。静かに周囲に血だまりを形成していく。
「ふざ……けるな……」
酔っ払いの男は口からゴブッゴブッと血液を吐き出しながらも言う。死にかけていてもまだ意識はあるらしい。未だにこの状況を正しく理解できていないようで気の毒だ。
「ふざけているのは君の方だよ。訪れる店の事くらいちゃんと調べてから来るべきだ。ここがどういう場所なのか、知らずに来た君が全部悪いよ。ここはSランク程度の実力で場を支配できるような場所じゃないんだから」
男への冥土の土産だ。せめて何故こんな目にあったのかくらいは教えてあげてもいいだろう。ついでにそれは周囲への牽制にもなる。
「僕はね、この店の副店長なんだよ。君は知らないだろうし興味もないんだとは思うけれど。ただね、この店に足を踏み入れた時点で、野良プレイヤーごときが盾突いていい相手じゃないのさ。それに、君が下敷きにしたうえ蹴り飛ばした彼女はこの店の専属プレイヤーであり、僕の大事な人なんだよ。これで分かるかな? 自分がしでかした事の重大さが」
男はだんだんと状況が分かってきたようだ。もう何も言う事は出来ずとも、しっかりと僕の話は聞こえているようで安心する。
「それと。この店の方針知ってる? 力こそが全てなんだ。シンプルでいいよね。馬鹿でも分かる仕組みさ。この店には君より強い専属のプレイヤーが何人もいるんだから、君が暴れていい場所じゃない事くらい理解できるよね」
いつの間にか、僕の背後にはトラとグラもいる。彼らはどうやら周囲を威圧しているようだった。
このタイミングで威圧するとは流石だなと思う。これで、この場にいた野良のプレイヤー達もしばらくは大人しくなるかもしれない。僕やヒオリに危害を加えると何が起きるのか、十分に理解できただろうと思う。
「だからね。自業自得だってことさ。僕達の事を恨むのは筋違いだよ。それじゃぁさようなら」
僕が言い終えると同時、男は絶命したようだった。




