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終章-2.誓いとは 2006.3.20

 コンコンと僕は扉をノックする。


氷織(ヒオリ)。入るよ」


 僕はゆっくりと扉を開けてその部屋へと足を踏み入れた。

 そこは裏社会の人間が利用する病院にある個室だった。ヒオリは今も療養している。


 個室にあるベッドにはヒオリが寝ていた。すぅすぅと寝息を立てて寝ている姿を見ながら、僕は近くの丸椅子に腰を掛けた。

 容態は正直良くない。一日の大半を彼女は寝て過ごしている。僕は週に3日から4日程度の頻度で彼女の病室を訪れて面会をしている。

 けれども、起きている彼女に会えるのは稀だ。最近ではタイミングが合わず、長らく彼女の声を聞けていない。


 それでも、生きてくれている事が救いだった。


 晩翠家(バンスイケ)の男性がいなくなってしまった事もあり、出来る事が限られてしまっている。

 体に受けた傷は何度も手術を行った事で、随分と良くなった。日常生活が出来るほどには回復していた。

 だが、精神的な傷と脳に受けたダメージは、そう簡単に完治しない。一体どういう状況なのかも分からない。良くなっているのか悪化しているのか、それすらも不明だ。そもそも完治する類の物ではないのかもしれない。


 彼女が目覚めなくなった原因は、恐らく、麻薬の副作用ではないかとは言われている。起きていられる時間が徐々に減ってきている事から、悪化している可能性が高いと。

 一時的に状態が良くなる薬だってここにはないから、今では会話すら殆どできず、本人からの情報すら得られずにいた。


 正確な状態が分からず、治療の方針も決められないまま。

 ただただ時間が過ぎていく残酷な現実と戦っていた。

 僕には何もできない。ここへ来る度に、その無力感に潰されそうだった。


「ヒオリ、僕の店はね、今やっとまともに動き出したよ。軌道に乗れた……と言っていいかもしれない。町も前みたいに活気づいてさ。いろんなプレイヤー達が町にやって来るようになって、毎晩のように楽しそうに騒いでいるんだ。本当に以前の姿を取り戻したみたいにさ」


 当然返事は無い。聞こえてもいないだろう。それでも僕は彼女に語り掛ける。


東鬼(シノギ)雪子鬼(セズキ)が復帰してくれたおかげで、店の運営の方も順調なんだ。彼等には本当に助けられてるよ。もう少ししたら、シノギは副店長に、セズキは事務員に正式に昇格させて肩書を与えてしまおうと思うんだ。彼等を守るためにもね」


 僕はヒオリの左手を握る。その細い腕には傷自体は無いが、皮膚のあらゆるところが変色していて、酷い傷があったことを示していた。

 その痕を見る度に、僕の胸は締め付けられて涙が出そうになる。ヒオリが受けた痛みを思うだけで胸が張り裂けそうだった。


「それから。鬱金(ウコン)さんだけど。彼は本当に六色家を抜けて、今は山の方にある土地で鬼人(キジン)達と静かに暮らしているよ。本当に驚きだよね。戦う事が出来ない老人や子供達と一緒に小さな村を作ってしまったみたいだ。彼が守る土地ならきっと誰も手出ししないだろうし、見つける事も出来ないんじゃないかなって思う」


 僕は寝ているヒオリの体をマッサージする。ずっと同じ姿勢で寝ていると良くないそうだ。こんな僕でもヒオリのために出来る事があるのだからと、ここへ来るときには必ずやっている。

 だから、もう慣れたものだ。ヒオリがいつか動き回れるようになった時に、少しでもリハビリが楽になるかもしれないと。そんな事を願いながら、彼女の体に触れる。

 

「僕の町で生まれた鬼人の子供達も、幼いうちはウコンさんの村で過ごす方針になりそうだよ。流石に鬼人の幼い子――特に血の薄い子にとっては危険な町だから、とても有難い話だ。ついでに、彼の村で成長してプレイヤーになりたい子は僕の街にプレイヤーとして送るって、彼は言ってた。なんだか変なシステムが出来上がって僕も驚いてる」


 やせ細ったヒオリの体を見ると居た堪れない。

 少し筋肉質で健康的な体つきをしていたヒオリを、僕はずっと見てきた。こんなにも枝の様に細い手足を見ると本当に悔しくなる。


「1つずつ心配事や問題が減って、少しずつ僕達の理想の町が出来つつあるんだ。だからさ……ヒオリ」


 僕は溢れそうな感情をぐっと堪える。


「早く僕達の所へ帰ってきて欲しい。いつか言ってくれた様に、僕の隣を共に歩いて欲しいんだ。ヒオリと一緒に住む部屋だってちゃんとあるんだ……」


 当然ヒオリの反応は無い。一定の呼吸音だけが聞こえるだけだった。

 もうしばらくの間、声すら聞けていないのを考えれば、近い内にヒオリは一切目を覚まさなくなる可能性だって十分にあるのだ。

 だから、語り掛けたって反応は殆ど期待できない。そんな事は分かっている。ちゃんと分かっている。

 だが、分かっていても辛いのだ。どうしようもなく苦しい。どうしてヒオリがこんな目にと、思わずにはいられない。

 

 会話すら許されない現実に心が折れてしまいそうになる。

 だが、一番辛いのはヒオリなのだ。彼女がこうして懸命に今も生きてくれているのに、僕が泣きごとを言っていいわけがない。

 

 僕は深呼吸をして、気持ちを落ち着けた。

 行き場のない思いを、そっと胸の中にしまい込む。

 

 僕はマッサージを終えると、丁寧に彼女を仰向けに寝かせた。そして、彼女の体を拭くためのタオルを濡らしに給湯室へと向かう。

 生きていてくれるだけで十分と言いつつも、やはり願ってしまう。彼女の無邪気な笑顔をまた見たいのだ。僕の隣で心から笑ってくれる彼女の姿を。あの幸せだった時をまた……。夢を見ずにはいられない。


 僕は給湯室でタオルを濡らして絞る。

 ボタボタと流れ落ちる水滴は、シンクを鳴らす。静かな病院では僕が鳴らす音しか響かない。


「ヒオリ……」


 僕は頭を抱えた。

 

 僕を取り巻く周囲は、受けた傷を抱えながらも動き出した。生き延びた者達が前を向いて懸命に進んで行く。

 僕も店主として、その流れと共に進んで行く。

 けれど、この場所は。ヒオリの周りだけがポツンと取り残されて止まってしまっている。

 彼女を連れて行きたい未来があるのに、彼女に見せたい場所があるのに。何も叶わず立ち尽くしている。


 希望があるのかどうかすら分からない。

 彼女の気持ちが聞けないからか、余計に不安になる。

 どうするのが良いのか分からない。『最善』なんて分からないのだ。


 僕は大きく息を吸って吐き出した。

 どんなに辛くても向き合おうと決めたのだ。逃げ出すなどあり得ない。分からなくても出来る事は沢山ある。解決方法を模索し続ける事が『最善』なのだ。前を向いて、やれる事をやり切ろう。

 

 僕は気持ちを切り替え、濡れたタオルを手にヒオリの病室の戸を開けた。


「ヒオリ、戻っ――」

 

 戻ったよ。

 そう言い終える前に、僕は目の前の光景に思わず言葉を止めた。

 

 なんと、彼女が起きていたのだ。

 ベッドの上で上半身を起こし、ぼーっと正面を見ていた。


 僕は慌てて彼女の元へ駆け寄る。


百鬼(ナキリ)……?」


 まだ、寝ぼけているのだろう。彼女は目を擦り、眠そうな顔をしていた。

 ヒオリのか細い声を聞けただけでも、僕は嬉しくなる。久しぶりに彼女の声を聞けた。


「ヒオリ、お水飲む?」

「うん……」


 僕は病室の壁面にあるカウンターの上。置かれたピッチャーから、コップへと水を注ぐ。そしてヒオリの口元へとコップを持っていった。

 こく……こく……と喉を鳴らして。ヒオリはゆっくりと水を飲んだ。

 

「もっと飲む?」

「ううん。大丈夫」


 空になったコップを受け取って、僕は改めて彼女の様子を確認する。

 少しだけ頭が冴えてきたようだ。僕と目が合うと、小さく微笑んでくれた。

 

「いつも来てくれて……、ありがとう」

「うん」


 彼女の声は小さくて、今にも消えてしまいそうだった。それでも、今は会話が出来ることがとても嬉しい。

 きっと今だって全身に痛みはあるだろうし、気分だって良くないだろう。


「体……。いつもみたいに拭いて欲しいな」

「分かった」


 僕は丁寧にヒオリの体を濡れたタオルで拭いていく。


「ナキリが沢山私の所に来て、マッサージしたり体を拭いてくれてる事……、私知ってるよ」

「え……?」

「ここで沢山話してくれる事も知ってる」

「……」

「体は動かせないけど、聞こえてるから」


 僕は何も言えずに固まる。


「だからね、いつもありがと」

「うん……」


 僕はそれを聞いて、たまらずヒオリを抱きしめてしまった。

 温かい。確かにそこにいる彼女を感じる。幻なんかじゃないって思えて安心する。

 ヒオリも、上手く動かせない腕を懸命に動かして僕の背に腕を回してくれた。それが余計に嬉しくて。僕は一層きつく彼女を抱きしめた。


「あはは。ナキリ。苦しいよ」

「ごめん」


 強く抱きしめたら折れてしまいそうだ。僕は腕の力を緩めて、彼女の顔を覗き込んだ。

 目が合うとヒオリがちょっと恥ずかしそうにして視線を逸らす。そんな仕草も愛おしくて、僕は思わず微笑んでしまった。


「あのね。私ね、ずっとナキリに謝らなきゃって思ってた事があるの」

「謝るって……何を……?」


 僕が尋ねると、ヒオリはチラリと僕の目を見たが、やはり恥ずかしかったのか視線を逸らして俯いてしまう。

 だが、それでも、再び僕と目を合わせると意を決したように口を開いた。

 

「前に、殺してくれって……。ナキリに頼んだ事……。本当に、本当にごめんなさい……。沢山の人が助けてくれたから、今の私があるのに……。私自分の事しか考えられてなかった」

 

 ヒオリは言い終えると同時に、瞳一杯に溜め込んだ涙を落とし、泣きだした。僕はそんな彼女の震える背中をさする。

 きっと沢山考えて、思い悩んで、その結果、言葉を紡ぎ僕へと伝えてくれたのだろうなと思う。


「もう死にたいなんて言わない。自分から逃げたくない。前を向いて生きていたいから。こんな体じゃ何もできないかもしれないけれど、何もかも諦めたような生き方はしたくないから! 奪われたものは戻って来ないけれど、これから先の未来まで奪われたくは無いから!」


 彼女は瞳を潤ませながらも、しっかりとした眼差しでそう言った。僕は頷く。

 僕は彼女の生きたいという気持ちを聞く事が出来て、心から安心する。


「ナキリと一緒に、この先も生きていたい」

「うん。僕もヒオリと一緒が良い」


 僕達はそう言って笑い合った。

 その笑顔を見ると、きっと何とかなるんじゃないかと、そう思えてくる。楽観的過ぎるかもしれないが、彼女の笑顔に希望が見えた気がして、救われる思いだった。

 

 ヒオリとはその後、他愛のない話から、悲しい話まで。色々な話をした。ここ数か月話せなかった事を穴埋めしていくように。取り戻していくかのように。

 話の内容としては、天鬼(アマキ)がどれ程成長したかとか、町をどんな風に変えていったかだとか。そんな前向きな話をする一方で、雪子鬼(セズキ)東鬼(シノギ)にあの日何があったのかも伝えた。

 ヒオリが知りたがる事を中心に、僕は沢山話をした。その間彼女は、喜ばしい事には笑顔をみせ、悲しい事には涙を流していた。まるで1つ1つ現実を丁寧に受け止めていくように、頷きながら聞いていた。


「そうだ、虎河(タイガ)君……。あの子はどうなったの? トラさんも爛華(ランカ)さんも……」


 ヒオリは思い出したように尋ねる。その瞳には不安があった。彼女も彼等の息子であるタイガがどうなったのか心配だったのだろう。

 

「うん。六色家(ロクシキケ)若菜(ワカナ)さんが引き取る事にしたって聞いたよ」

「そう……なんだ……」


 トラとランカの息子であるタイガは、避難地域の医療施設にいたワカナが引き取ったのだとノリさんからは聞いていた。

 身寄りが無ければ、僕達の方でとも考えていたが、ワカナが是非にという話だそうだ。


「あの人達の息子なんだから、きっと数年後、立派なプレイヤーになってるんじゃないかな。僕達の町にも仕事を受けに来るかもしれないね」

「うん。確かに。凄く強い子になって現れそうだね」


 仲間の為に最後まで戦い抜いた英雄達の子なのだ。きっと有名なプレイヤーになって、次世代を担うような人物になるだろう。そんな気がしている。


「さてと……」


 僕はそう言って立ち上がった。


「本当はずっとここでヒオリと話していたいけれど、そろそろ行かないと」

「うん……」


 時間はあっという間に過ぎてしまった。気が付けば、窓の外からは夕焼けの真っ赤な光が差し込んでいる。

 ヒオリと話せたのが本当に嬉しくて、3時間以上話し込んでしまっていた。名残惜しいが、そろそろ帰らなければ店の開店時間に間に合わないだろう。

 それに、これ以上はヒオリの負担になってしまう。ここが間違いなく潮時だろう。


 僕は最後に、鞄から小さな箱を取り出し、彼女へと手渡した。ヒオリが起きている時に会えたら渡そうと思ってずっと渡せなかったものである。


「なぁに? これ。開けていい?」

「うん。開けてみて」


 ヒオリはその小さな箱を開ける。と同時に目を真ん丸にして驚いていた。


「なんで……? なんでこれがここに? 私の宝物っ……!」


 ヒオリはぽろぽろと涙を流し僕を見上げる。


「無くしたと思ってた……。捕らえられた時、絶対にこのネックレスだけは……。ナキリが私の為に選んでくれたネックレスだけは奪われたくなくて、ずっと守ってた……。でもなくなっちゃって……」

「ヒオリが保護された時、固く握った右手の中に、そのネックレスの飾りの部分があったそうだよ。晩翠家の男性がそれを僕に渡してくれたんだ。チェーン部分は切れて無くなってしまっていたし、傷もついていたから、直していたのさ」

「そっか……。良かった……。良かった本当に……」


 彼女に渡したのは、付き合い始めてから初めて迎えたクリスマスイブに、僕が彼女へ贈ったネックレスだった。彼女の雰囲気に似合う、少し緑味掛かった水色の美しい宝石――パライバトルマリンが付いている。

 僕はネックレスを一旦受け取り、ヒオリに付けてやる。

 彼女の胸元でキラキラと水色に輝くネックレスを見て僕は満足する。やはりこのネックレスは彼女の胸元にあるべきものなのだ。


「綺麗だよ」

「うん。ありがと。嬉しい」


 ヒオリは満面の笑みだった。その様子に僕の心は温もりを感じた。

 やはり彼女には笑顔が似合うのだ。怒った顔も泣いた顔も、全てが好きだ。だが、やはり笑ってくれる彼女をずっと見ていたい。

 僕はいつだって彼女を笑顔にしたい。そして、そんな彼女の隣に、僕はいたいのだ。


「それじゃぁ、また来るね」

「うん。またね」


 僕は手を振り、病室を後にした。

 きっといつか。以前の様にヒオリと一緒に居られる日が来るはずだ。そう信じている。


 多くを失ったからこそ、手元に残った大事な物達を大切にしたい。

 沢山の犠牲の上で成り立つ僕達は、その事を忘れずに今を精一杯生き抜かなければならないと思う。

 今を生き残った僕達には、生きる事が許されなかった者達の分まで生きる義務があるとすら感じる。


 また、多くの思いも託された。

 それを未来へ持っていけるのも、次の世代に繋げる事が出来るのも僕達だ。

 

 今一度その事を胸に刻む。


 もう二度と大事なものを失わないために。大事なものを奪われないために。

 『力こそ正義だ』という牛腸(ゴチョウ)のポリシーを受け継ぎながら。僕は僕の町で店主として、今後も皆と生き抜くのだ。


 常に戦いに身を投じる過酷な生き方ではある。けれども、僕達は僕達らしく生きていくために。人らしく生きていくために。

 周囲から向けられる悪意に抗い続けると決めた。

 共に生きて笑い合う事、楽しく生きる事を手放さないためにも。


 やはり。僕がすべき事はいつだって変わらないのだ。

 『最善』を選び、『最善』を演じる。そうすることで皆を導いて共に歩んでいくだけだ。

 

 生き延びた者達と共に、より良い未来を掴むために。僕はそれをひたすらに繰り返し、望む未来に向かって。

 鬼人達のため、プレイヤー達のため、そこに住む商人や仲間達のため、そして大切な人――ヒオリのため。更には僕自身のために。

 理想の町を造り上げ、町に住む皆が自分らしく堂々と生きる世界を必ず成り立たせてみせると、改めて僕は誓ったのだった。

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