15章-1.準備期間とは 2005.4.14
牛腸の店のエリアを奪還するという方針を決めた日の翌日から、僕達は避難地域内で作戦の準備を始めた。暁達の本部への攻撃の状況も鑑みて、準備期間は3日間とした。
今日はその準備期間の2日目だ。この3日間に僕達はより良い作戦を練り、コンディションを整えるつもりである。
また、東家の全面協力を得て、現地までの移動手段や武器類の手配をしてもらった。この借りは必ず返さなければと思う。
故に、絶対に失敗は許されない。僕達は念入りに準備を進めた。
「流石。鬼人は飲み込みが早い。教え甲斐があって良き」
僕が室内で作戦のための備品の調整に頭を悩ませているところへ、ニヤリと笑いながら鬱金がやってきた。
彼は鬼人達に戦い方を教えてくれていた。鬼人の血が濃ければ濃いほど身体能力が高いため、飲み込みは良いのだろうなと想像出来る。
「それにやる気もあるから、これは化けるぞ」
ウコンは非常に楽しそうだ。
「どうやら動体視力も良いらしいから、体術に向かなくても狙撃での参戦が可能だ。期待していい」
「それは凄い……」
狙撃ができる人間がいるならば、戦略の幅はぐんと広がる。僕達のホームである牛腸の店のエリアは、元々狙撃がしやすいように建物が配置されているのだ。
奪還はより安全に確実に進められるかもしれない。
「鬼の子達も頑張っている。ずっと部屋にこもってないで、ちゃんと彼等を見て、褒めてあげなさい」
「え?」
ウコンは上機嫌でそれだけ言うと、満足したのか去っていった。
僕はデスクに広げていた資料類を1度片付け、子供達が居る場所へと向かった。
***
僕は準備期間中、常に狂気を放っていた。避難地域一体をすっぽりと覆うように、薄く広げている状態だ。
この状態にも少し慣れてきて、特に負荷なく行うことが出来ている。
この謎が多い狂気について。昨日の夜、専門家であるウコンに話を聞いた。
しかし彼には、「よく分からん」とはっきり言われてしまったのだった。
適度なオーラは放ち続けても疲弊するものでは無いし、苦ではないなら別に良いのではないか、と。
また、鬼人達も共鳴でき、意思疎通が簡単になったり、体の調子が良くなるなど恩恵が多いのだから、寧ろ常に維持する訓練をしろとまで言われてしまった。
デメリットがあるとすれば、僕の位置情報が把握されてしまう事だろうか。言い換えれば、隠密ができないという事だ。オーラを放つという事は、存在感を示すのと同義なのだから当然、敵に見つかり易いわけだ。
従って、使い所は限られてしまうのだが、今現在敵の居ないこの場所であれば、制限の必要は無いだろう。
故に今、僕は狂気のコントロールの練習中なのである。道具として完璧に使いこなせれば、それは大きな力となる。必ずや物にしたい。
まだ自分の感情によってブレてしまう事もあるが、常に一定に保てるようにしたいと考えている。
一方で、ウコンには同時に注意も受けた。
僕の狂気は鬼人達の命までも握っているのだから、慎重になれと。僕が出力加減を誤れば、簡単に鬼人達は死ぬと言われた。
人間は狂気状態になる事で、リミッターを外し、普段以上の力を発揮できる物なのだと言う。だが、それには当然反動がある。
普通の人間ならば、無理な動きについていけずに体が壊れて死ぬのだそうだ。
グラ達が今まで平気だったのは、単に体が頑丈だったからなのだと。また、驚異的な回復力もあったからなのだと。
鬼人達は恐らく狂気を喰らうのが好きだから、あればあった分だけ喰らうだろうと、ウコンは予測していた。彼等は狂気を喰らうことに躊躇いがないらしい。これは非常に特殊な性質だとも言っていた。
故に僕が過剰に供給してしまった場合、彼等は無茶な動きをしてしまい、体を壊す可能性が高いと言う話だった。
これから引き連れていく鬼人達は、グラ達程体が強くない者もいるから、より一層気をつけなければならないという事だ。
この作戦では彼等の命も僕は預かるのだ。適切にコントロールして、それぞれにとっての『最善』の状態へ持っていきたい。
そんな事を考えながら歩いていると、避難地域の中心エリアから少し外れた場所にある、運動ができる開けた場所まで来た。
そこには作戦に参加する鬼人達が、懸命に訓練していた。戦いの中で命を落とさないように、戦い方を学んでいるところだった。
僕が近づいて行くと、気がついた子供達は僕の元へと走ってきた。皆ニコニコしている。そんな様子に一安心だ。
「邪魔するつもりはなかったんだけれど、皆がどうしているか気になってね」
僕が来た事で皆の手を止めてしまったようだ。子供達に続いて、他の鬼人達も周囲に集まってくる。皆どこか楽しそうな様子だ。雰囲気が良い。
彼等の表情が明るくて良かったと思う。これから先の事を考えれば、楽な道のりでは無い。だが、彼等は前向きに捉えているように思う。そんな姿を見られて良かった。
「百鬼さん! 皆凄いよ〜!」
フードを外して顔を見せた天鬼は、嬉しそうに言う。黄色のパーカーの長い袖をブンブン振り回しながら、へな〜っとした緩い笑顔を見せる。
「ランクでいうと、ここに居る方は大半がAランク相当です。常にナキリさんの狂気があったおかげで、一気に成長できたみたいです」
鬼神野が補足するように説明をしてくれた。この場にいる鬼人は30人程度だ。主に成人男性が多い。若い女性や少年達も少しだけ混ざっている。
彼らが皆Aランクレベルの戦闘力があるというのは驚きだ。ウコンが言っていたように本当に化けたなと思う。
子供達が指南役として頑張ってくれたようだ。
狂気による共鳴で、意思疎通がしやすくなり、教えやすくなったという事だろうが、それでも他者へ何かを教えるのは簡単では無い。
こんな所でも、彼らの成長を見てしまった。頼もしくなったなと感じる。
「皆ありがとね。頼もしいよ」
僕がそう彼らを労うと、皆嬉しそうにはにかんだ。ウコンの言う通り、彼らの様子を見に来て良かったなと思う。
「あ! そうだ! ナキリさん! 何人か覚醒したっす!」
「昨日の夜っす! 5人も覚醒したっす!」
赤鬼と青鬼もいつも通り、元気に教えてくれた。何となく感覚で分かっていた事だが、やはり覚醒した者が新たに出たようだ。
グラが以前言っていた『同じ気持ちになれば覚醒する』という話を思い出す。今回僕は強い狂気を放っていない。にも関わらず覚醒したのだから、きっとそういうことなのだろうなと感じる。
僕は新たに覚醒した者達を見る。瞳はオレンジ色になり、肌も黒くなっている。彼等は僕と目が合うと、ニコリと笑ってくれた。
「外見が変わると不便もあると思うけれど……」
僕としては少し心配だ。外見が明らかに普通の人間と異なるため、生き辛くなるのは事実だ。今後、心無い人間から酷い事を言われたり扱いを受けるかもしれない。
「大丈夫です。私達は覚醒した事をとても前向きに捉えています。今もとても気分がいいですから」
「そっか」
新たに覚醒した鬼人の成人男性が言う。僕を安心させるためもあるだろうが、とても穏やかな笑顔を見せて言う。
「私も、覚醒できた事を誇らしく感じています」
「自分もより一層力になれるのだと思えて、嬉しく思っています」
次々にそう答えてくれる彼等は、僕の心配を吹き飛ばすぐらい生き生きとした表情だった。本当に彼ら自身が言うように、誇らしく感じているように見える。
「えっと……、ナキリさん。ここにいない方は、主に狙撃の練習を向こうでやってます。東家の方々が協力してくれて……。そちらにも是非足を運んでみて欲しいです」
向こうと森の方を指差しながら、鬼百合が教えてくれた。森の小動物を相手に狙撃の練習をしているのかもしれない。
彼等は恐らく初めて銃を触るのだろう。撃ち方から何から東家の人達が面倒を見てくれているのだと考えられる。
「分かった。そっちにも顔を出してくるよ。教えてくれてありがとね」
僕は彼等に手を振り、森へと向かった。
***
森に入ると、周囲は一気に薄暗くなった。昼間でも不気味なくらい深い森だ。避難地域の中心エリアから少し離れただけで未開の地のような状況である。
また、道なんて有って無いようなものだった。何となく草木が避けている所を道と信じて進んでいく。とはいえ、定期的に銃声が聞こえるので、方角を間違える事は無さそうだ。
しばらく草を掻き分けながら歩いていると、僕は鬼人達の気配を察知する。
僕は狂気を纏いながら進んでいるので、先にいる鬼人達は僕が近づいている事には気が付いているだろう。
「ナキリさん!」
茂みの向こうから斗鬼の声が聞こえた。同時に僕の目の前に彼が現れた。
「こっちです! 狙撃の練習の様子、見に来てくれたんですよね?」
「うん。頑張ってるって聞いたからね」
「ありがとうございます!」
トキはフードを取り外し、嬉しそうに笑うと、僕を案内してくれた。
彼について行くと、少し開けた場所に20人くらいの鬼人達と東家の人々、そしてノリさんの護衛をしていた2人もいた。割合で言うと、女性が多いように思う。
「自分達は東家の人たちと彼等を繋ぐ役割をしていました」
「そっか。そうだよね。彼等が鬼人以外の人間とコミュニケーション取るのは少し抵抗があるかもしれないし、東家の人達も大変だろうからね。ありがとね、助かるよ」
どうやらトキ達は、東家の人達と鬼人が上手くやり取りできるように取り持ってくれていたようだ。僕は銃を構えて的を撃つ鬼人達を見る。傍で指導する東家の人たちとはしっかりコミュニケーションが取れているようで安心する。
「狙撃手としてホームで機能できると思います。氷織さん程ではないですけれどね」
「ははは。ヒオリは特別だったからね。あのレベルの狙撃手なんて他にいないよ」
「ヒオリさんレベルは無理ですが、狙撃手としてCランクレベルには到達していると思います。激しく動き回る対象は無理でも、待機している人間ならば確実に1発で撃ち抜ける程度には仕上がると思います」
「ほぅ……」
そのレベルまで行ければ、相当使える。今回の作戦で相手にするのは、多くが銃火器を持っただけの戦闘員だ。人数が多い事が脅威であるので、狙撃で少しでも人数を安全に減らす事が出来るとなれば、それは非常に有効であると言える。
僕達が話していると、鬼人達は手を止めて僕の元へとやって来た。彼等の表情も明るく、順調なのだろうなと察しがついた。
「私達は接近戦は苦手で……。でも、狙撃なら出来るかもと、東家の方に教えて頂いて練習していました」
「うん。奪還作戦では、狙撃が出来る人間がいるのはとても助かるんだ。これから奪還するホームはね、狙撃手が優位に戦えるような構造をしているのさ。だから期待しているよ」
僕がそう言うと、彼等は嬉しそうに頷いていた。
たった3日。されど3日だ。この短期間で彼等の戦力は面白いほど跳ねあがった。
「あれ、そういえばグラがいない……」
「あれ、ナキリさん聞いてないんですか? グラ兄はウコンさんと手合わせしています」
「え……。怪我は……」
「うーん……。自分からはノーコメントで」
トキは苦笑いを浮かべる。どうやらグラは相変わらず無茶しているようだ。僕は頭を抱えた。
「グラ兄達の所へ行くなら、自分が案内します」
「いや、きっと僕に隠れてやりたい事があるはずだから。今は放っておくよ」
きっと、グラとウコンの手合わせの場は相当激しい。邪魔すべきではないだろう。それに、僕に隠れてそんな事をするくらいだ。気が付かないふりをしてあげよう。
その後も僕は彼等の訓練の様子を見学しながら、作戦の詳細を脳内で詰めていった。