14章-5.責任とは 2005.4.12
避難地域中央エリア内にある、中央役場前。僕達は裏切り者を囲んでいた。
裏切り者は、30代の女性だった。赤鬼と青鬼に両側から腕を掴まれ、拘束されていてもなお、反抗的な様子だった。隙あらば逃げようとしているのだから大したものだ。
「さて……と。どうしようか」
僕は彼女の正面に立った。
同時に、鬼兄弟は女性の腕を乱暴に引っ張り、地面に膝を付けさせた。それによって、彼女は僕を見上げる形になる。
その表情には強い怒りが籠っていた。反省の色など一切無さそうである。
僕達の周囲には、この避難地域に住んでいた人間達が大勢集まっていた。それぞれが元気にヤジを飛ばしている。
この裏切り者をさっさと殺せだの、痛めつけろだの、口々に言っていた。
僕は子供達を周囲に置き、周囲の人間がこの女性に近づけないようにしていた。
私刑は認めない。それが今の僕の考えだ。
この戦いで大事な人を失った人達は少なくないだろう。その怒りの矛先は全てこの女性に向いている。僕だってそうだ。
こいつさえいなければ、爛華が死ぬ事はなかった。この先も、息子と共に生きる未来があったはずなのだ。それを奪ったこの人間には終わらぬ地獄を見せてやりたい。死を望むほどの苦痛を与えてやりたい。そんな感情が溢れ続けている。
だが、僕はそれを抑える。この女性に怒りを当たり散らしたところで、何も改善しない事を知っているからだ。むしろ心情は悪化するだろう。立ち直る際に障害になる。
また、この状態で彼女を野放しにすれば何が起きるのか、僕は既に見た事があるから知っている。
いつか、武力組織が統治していた地獄の様な地域の有様を思い出す。僕達が武力組織の人間にとどめを刺さずに無力化した後の事だ。僕は油断をしてしまった。その結果何が起きたのか。
あの失態は今も僕の記憶に根深く残っている。二度とあのような過ちは犯すわけにはいかない。
子供達もあの時の事はトラウマになっている事だろう。だからこそ、しっかりと周囲の動きに目を光らせていた。
「まずは理由を聞こうか。何故裏切った?」
「そんなの決まってんだろ! ここの生活が酷いからだよ!」
随分と喧嘩腰だ。これから処刑されると言うのに。なぜこんなに反抗的なのか理解できない。こういう時は命乞いするのが普通ではないのだろうか。
だが、普通の感性を持った人間だったら、裏切りなんて出来るわけがないとも思う。故に、このように自分の非を一切認めないような態度になるのかもしれない。
「ふむ。その酷い環境を変えるために、君がした事が裏切りだったと。随分と愚かだね」
「はぁ? 愚かはそっちだろ! どんどん悪化していく泥船にいつまでも縋りついて。ばっかじゃねぇの? お前等さえ死んでれば、私は今頃大金持ちになって良い生活が出来たのに! 死んどけよ!」
どうやら、現状を良くするために行動した自分は正しい事をしたと、本気で思っているようだ。確かに、何も行動せずに野垂れ死ぬことが良いとは言わないが。
つまり彼女は、最初からこういう考えを持った人間だったという事なのだろう。手を差し伸べて懐に入れてはいけない部類の人間だ。
本当に愚かだなと僕は思う。残念ながら、この社会で武力も金も無い人間は、1人では生きていけない。似た境遇の者と協力し、身を寄せ合って、やっと最低限の暮らしが手に入るのだ。それを全く理解できていないのだから愚かにも程がある。
今まではどうやって生きてきたのだろうか。上手く他人の助けを得ながら、のらりくらりと生きてこられたのかもしれない。
「もし、僕達が麒麟の支部で罠に掛かって全滅していて、ここへは来られなかったら。確かに君の思惑通り、この避難地域は麒麟に制圧されていただろう。その後はどうするつもりだったの?」
「ふん!」
彼女は答える気がなさそうだ。
とはいえ、僕は既に答えを全て知っている。ノリさん達が調べ尽くし真相を把握している。
「麒麟の幹部の男……。その男の妻にでもなって、君自身も麒麟の幹部になるつもりだった?」
「……」
「確かに。僕達を罠に嵌めるための情報、及び、この避難地域を手土産にすれば、十分可能だろうね。もしかして今もまだ信じてる? 幹部の男が助けに来てくれる……とか?」
彼女は僕を睨むばかりで何も言わなくなってしまった。
「残念ながら。助けは来ないよ」
「はぁ?」
「君が誑かして落とした男……。彼ね、もう死んでるから。この男でしょ?」
僕は彼女の前に携帯電話の画面を見せる。その画面には1枚の写真を映し出していた。
「なっ……え? は?」
「流石に驚いた? 綺麗な生首だよね」
「う、嘘だ!」
僕が見せたのは、彼女が未来を約束した麒麟の幹部の男の生首の写真だ。この写真はノリさんから送ってもらったものである。彼は、麒麟本部とアカツキ達の戦いの場に居たそうだ。
「それからね。君は自身の女の魅力とやらで彼を誑かして、見事に手に入れたと思っているみたいだけれど。逆だよ逆。彼は君の事なんて一切好きではなかったそうだ。無一文の馬鹿な女が引っかかったって、少し良くしてやったら、何でも差し出してくれるアホだと、周囲に言いふらしていたって話らしいよ」
チラリと見た彼女は呆然としていた。
まさか頼みの綱だった男が既に死んでいるとは思わなかったのだろう。
「つまり、騙されていたのは君の方さ。彼は君を妻にするつもりなんて一切無かったと」
「お前に何が分かるっ! 私達は愛し合って――」
「はははははっ!」
僕は思わず声を出して笑ってしまった。
随分と失礼な態度だと我ながら思う。だが、可笑しくてたまらない。まさか、愛なんて言葉がでてくるなんて。何の冗談だというのか。
「君はね、ここで殺されることになっていた。用済みになったら、この場で殺される運命だったのさ」
「そんなはずないだろ!」
僕は、胸ポケットから1枚の紙を取り出して彼女の眼前に突き出した。
「これは、指示書。麒麟の戦闘員の内、チーフクラスの人間が持っていたものさ。ここに明確に記載がある。制圧完了後に君を殺すようにと」
僕は分かり易く、その記載がある文字を指でなぞって見せた。
しかし女はキョトンとしたまま、固まっている。
「あれ、君。もしかして文字が読めない?」
「馬鹿にするなっ!! 文字くらい読める! それに、そんな物いくらだって偽造出来る!」
「そうだね。確かに、この程度の書類、偽造は簡単だ。ただ、僕達にはこれを偽造する理由がない。偽造した指示書を、これから殺す事が確定している君に今見せて、僕達にとって何の利益があると思う?」
「……」
彼女は困惑したような表情で再び固まっている。今の説明でこの指示書が本物であると、理解できる程には頭はあるようだ。
「だから僕は最初に言ったのさ。随分と愚かだね、と」
「煩い! 煩い! 煩い! 私は悪くない! そうだ……、そうだよ……。私は、私は騙されただけなんだよ!!!」
「ふむ。今度は被害者ヅラか」
本当に救いようのない人間だと僕は思う。
「確かに、君は騙された。それは気の毒だ」
「そうだ! だから、仕方なかった! 私は被害者だ!」
「いや、違う。君は加害者だ」
「はぁ?」
本当に、自分の事しか考えていない人間だ。話が通じる気がしない。
「自分の利益の為に、多くの人間の命を麒麟へ差し出したのだから、明らかな加害者だ。事実、今回この避難地域で亡くなった人間は少なくない。多くの人達から大切な者を奪ったんだから、立派な加害者さ」
「だから! それは仕方ないことだろ! 何で分かんねぇんだよ! 仕方なかったんだよ! そもそも、こんな酷い扱いするお前達が悪いんだよ! まるで家畜の様に扱って! 少し戦えるくらいで偉そうにしやがって! そうやって上から目線で正論ばかり言って気持ちよくなりたいだけだろ! 正論で全て解決出来たら苦労しねぇんだよ! 綺麗事だけで上手くいくなら世の中もっと良くなってんだろ! 自己満野郎が! 言ってる事が全部甘いんだよ! ふざけんなっ! 世間知らずの餓鬼が偉そうな事言ってんじゃねぇぞ!!」
僕は頭を抱えた。
どうやら僕は、酷い思い違いをしていたようだ。
彼女の言葉を聞いて、何かが自分の内で崩れ落ちたような感覚に陥った。
事実を突きつけて、過ちを指摘すれば、認めるものと思っていた。
思惑が浅はかだったと真実を教えてやれば、自身の行動が間違いだったと後悔すると思っていた。
そして、武力を前にすれば、恐怖し命乞いをするものだと思っていた。
とんだ勘違いだった。しっかり話をすれば理解されるなんて幻想だったと思い知らされる。
彼女とは、あまりにも常識が異なるのだろう。故に、優先する物や信じる正義すらまるで異なる。話が噛み合うはずも無かったのだ。
同じ言語を使おうとも、まるで宇宙人と会話をしているような感覚だった。そこには虚しさだけがあった。
せめて、過ちを認めさせて、後悔の中死んでほしかった。それだけだったのだが。それすらもどうやら叶わないらしい。
「残念だけど、どうやら君とは何もかもが違うようだ。だけどね、これだけは言っておくよ。この社会は誰が何と言おうとも、強い者が正しい。それは永遠に覆らないのさ。君の様に武力も地位も金も無い人間は、その法則からは一生抜け出すことは出来ず、その制限の中で慎ましく生きる以外に生きる道は無い。今までは何とかなったのかもしれないけれど、もう通用しない。強者の怒りを買ったんだから生きる道なんて残されてないのさ」
彼女は僕の言葉が一切理解できていないようだった。
だが、僕は続ける。彼女に理解など、もう求めていない。
彼女自身が後悔をする事を望めない今となっては、理解できようができまいが関係ないのだ。
「僕は強者だ。君がどんなに馬鹿にしようとも、僕には力がある。この場で僕に逆らえる者なんて存在しない。故に、この場所では僕がルールだ。だから僕の判断で、裏切り者の君には今ここで死んでもらう」
もはやこれはパフォーマンスなのだ。彼女に対してだけでなく、この場にいる周囲の人間に向けたものだ。
僕は背負った鋏に手を掛けて、鋭利な刃を彼女の首に当てた。
「はぁ? 滅茶苦茶だろ! 人間なら会話をすべき――」
「さようなら」
僕は手にした鋏の刃で、彼女の首を一気に落とした。
ごとりと音を立てて落ちた生首には、最後まで後悔なんて感情は無いように見えた。
僕はそれを見て、小さく息を吐く。そこには小さな虚しさがあった。
何もかも、思い通りにはいかないなと、改めて感じる。
何故こうも上手くいかないのだろうか。思ったように他人が動かないのだろうか。分からな過ぎて頭が痛くなってきてしまった。
その後僕達は、早急に女の死体を片付けた。
放置すれば、遺体で遊ぶ人間が出るのは目に見えている。そんな事は絶対にさせてはいけない。その行為が生みだすのは、新たな虚しさだけだ。
この現実を乗り越えるための足しにはならない上、むしろ足を引っ張るものであると僕は思う。だから、誰の手にも触れさせないままに片づけなければならない。
僕は僕の思う『最善』を他者にも強要する。各々に対して、行き場の無い苦しみや怒りを、何かに当てつけることなく受け入れて、乗り越えろと強制しているのだ。
それがいかに傲慢で身勝手な行いであるかを認識した上で、僕はそれが『最善』と判断したのだ。故に実行する。
もうここでは、僕がルールになるしかないのだ。
そうしなければ、この場が崩壊する。そんな気がしてならない。
秩序を失ったこの場所には、新たな秩序を明確に示さなければだめなのだと、本能的に感じてしまった。
僕は、大きく息を吐いて耐える。
この重圧は予想以上に苦しかった。
これが『責任』という物なのかもしれない。
耐えろ。耐え抜け。『最善』を演じ続けろ。
僕が願う未来には必要な事だ。
僕は気持ちを一気に切り替えた。そして、『最善』を考え抜き、『最善』を演じ続けたのだった。