14章-2.優先順位とは 2005.4.12
子供達が中心となって奪還した拠点の倉庫に戻ると、ノリさんに出迎えられた。僕達を酷く心配していたようで、子供達だけでなく僕とグラまで肩を抱かれてしまった。
そんなノリさんの様子を見ると、何だかむず痒くなってしまう。グラも少し恥ずかしかったのか照れているようだった。
その後、僕達は倉庫内にある小部屋に案内され、ノリさんから状況を教えてもらった。
麒麟の戦闘員達の動きについては鬼神野が予想していた通りの状態で、残すは地域内の戦闘員を殲滅するのみ。強力なプレイヤーもいないため、このまま順調に進めば2時間もかからずに殲滅できるだろうとの事だった。
また、子供達は、ノリさんの言いつけをちゃんと守って動いてくれているそうだ。周囲の警戒、他の拠点への応援、怪我人の搬送等、それぞれが出来る事を無理なく取り組んでいるという。
僕はそんな彼らを誇らしく思う。これは後で沢山褒めなければ。
そう思った時、褒められた時にはにかむ彼らの笑顔が目に浮かんでしまった。早くそんな姿が見たい。さっさと戦いを終わらせて、休ませてあげたいと強く思う。
と、その時。
突然小部屋の扉が、ノックもなしに勢いよく開いた。
「百鬼さんっ! 大変です!」
そこに現れたのは斗鬼だった。深く被ったフードで表情は見えなかったが、酷く慌てた声だった。
「どうしたらいいか、分からなくて……」
扉が開いた事で、倉庫側の空気感が伝わってきた。そこにあるのは紛れもなく殺気だった。そしてその殺気の主は赤鬼だ。
何かあったに違いない。僕は急いでその現場へと向かった。
***
現場へ行ってみると、アカギが酷く怒っていた。この倉庫へ避難して来たと考えられる女性に対して、今にも殴りかかりそうになっている。青鬼と鬼百合がそれを押えている状態だった。
その女性は自身の幼い子を抱きしめながら、アカギを睨んでいる。そして、その女性の背後には他にも多くの人間がいて、女性の味方なのだと分かるような様子だった。
「そこまで」
僕は可能な限り冷静を装って、その場へ仲裁に入る。アカギは僕の姿を見た途端、泣きそうな顔になってしまった。
「何があったのか教えてくれるかな?」
僕は双方へと問いかけると、アカギはグッと唇を噛んで俯いてしまった。
「ちゃんと躾て貰わないと困るんだけど?」
「そうだそうだ! おっかなくて敵わない!」
「まんま化け物じゃねぇか」
僕は口々に文句を言う女性達の方へと、冷たい視線を向けた。
さすがに彼等は僕の顔を知っているらしい。目が合うと直ぐに口を閉じた。僕に楯突けば殺される事くらいは理解しているようで安心する。
「僕は『何があったのか』を聞いたんだけど?」
「その子よ。その、オレンジ色の目の子が私の子を怖がらせたのよ! そうしたら、そっちの子がいきなり怒ってきたんだから」
その子と指さされたのはキユリだった。彼女はその発言を聞くと、傷ついたような表情を浮かべた後俯いてしまった。
キユリは麒麟支部での戦いの際に、酷い火傷を負っている。顔の左半分は赤くただれているし、着ていた服も燃えてしまって、鬼人の特徴が露出している状態だった。
「ふむ……」
何となく状況の想像はできてきた。
キユリの見た目に子供が驚いて怖がったのだろう。キユリが子供を怖がらせるような事をするはずがないのだ。子供が勝手に驚いて泣いてしまったのを、母親が大袈裟に捉えているだけだと僕は推測する。
「アカギ、どうして怒ったのか教えてくれる?」
「それは……その……」
「ちゃんと言わないと、アカギが理由もなく怒ったことになる」
アカギはより一層泣きそうな顔になってしまった。だが、ギュッとこらえるように目をきつく瞑ったあと、意を決したように口を開く。
「だって! 化け物って! 触るなって! キユリを突き飛ばしたからっす! 子供が転びそうになったのをキユリが支えてあげただけなのにっ!!」
「アカギは、キユリが傷つけられたのが許せなくて怒ったんだね?」
「そうっす……」
これは随分と話が違う。
僕が再び女性達の方を見ると、彼等はビクリとして怯えたような表情をしていた。僕の目付きが相当鋭いものになっていたのかもしれない。
「怖い物は怖いんだから、し、仕方ないでしょ。こっちは子供なんだから、そこは配慮して別の人にするとかしてくれてもいいんじゃないの?」
全く何様だ。
僕は怒りを堪える。
この母親がキユリに浴びせた言葉を、僕は許すことが出来そうにない。子供を守るためかもしれないが、そこには悪意があると感じた。怖かったから、と言うだけではないと。そう思える。
「アカギ、キユリ、後で話をしよう。2人は一旦ノリさんの所へ行って――」
僕がそこまで言ったところで、背後でバサッという音がした。何かが床に落ちた音だ。僕がその方向へ視線を向けると、そこには紫色の物体が……。
そしてその横に立つグラは、付けていた黒のマスクを力任せに引きちぎっていた。
紫色の長髪のカツラを取り、マスクまで取り外したグラは、まさに鬼のようだった。
燃えるようなオレンジ色の瞳、長い犬歯、黒い肌。それらをこれでもかと言わんばかりにさらけ出している。
そしてまた、非常に怒っているというのがひしひしと伝わってくる。僕でさえ怖いと感じるほどの怒りだった。
「そんなに怖くて耐えられないなら、お前等が出てけば?」
「え……いや……ぇ……」
グラのドスの効いた低い声と、鬼人特有の姿に、女性達は明らかに怯えていた。
そんな様子を見ていると、女性は僕の方を見て目で訴えてくる。グラを止めて欲しいのだろう。
だが、そんな事、僕にできるはずがない。
「はぁ……。あのね、この場で今1番強い人間が誰だか分かる?」
僕は女性達に問いかける。しかし、誰も答えてはくれなかった。
「彼が1番強い。つまり、誰にも彼を止められないのさ。怒らせた時点で詰みだよ」
「あ、貴方が止めなさいよ! プレイヤーを管理する主なんでしょ?」
「いや? 違うけど?」
「え?」
僕の回答に困惑する女性の顔が面白くて、僕は少し笑ってしまった。
「僕と彼は相棒だからね。対等なんだ」
意味がわからないと言いたげな様子だ。だが、さすがにそれは言わないようだ。賢明な判断だと思う。
「僕はね、彼の怒りは妥当だと思う。彼が言ったように、嫌なら君達がここから出ていくべきだ。だって彼等が怖いんでしょ? ここは彼等が戦って奪還した場所なんだからさ。一緒にいたくない場合、出ていくべきはそっちだよ」
「だ、だから。見回りの人間を別の人にしてくれればそれで良くて……」
「別の人ね……」
少し瞳の色や肌の色が違うくらいでなんだというのだ。だが、人間は自分と異なる存在に恐怖し排除する生き物だ。
本能的な反応といえばそれまでである。
「ナキリさん……、私なら……大丈夫なので……。私が余計な事をしなければ良かっただけです……。グラ兄も……」
キユリはそう言ってグラの隣に立つと、グラの手を握った。すると、グラの怒りは少し落ち着いたようだった。
だが、そんなキユリの姿に、僕の心は余計に痛んだ。
何故彼女がそんな我慢をしなければならないのだろうか、と。被害者はキユリの方だと言うのに……。
穏便に済ませる方がいいのかもしれない。今は他にやらなければならない事が沢山ある。こんな事をしている場合じゃない。
だが、僕の大事な大事な鬼の子達が傷つけられるのを許容するというのか?
全体のコストパフォーマンスの為に、我慢すべき事なのか?
僕は自身に改めて問いかけた。
僕が守りたいものは何だ?
僕が持てる力で守りたかったモノなんて、決まっている。僕の大事な人達だ。
それを守れずして、何を成そうとしていたというのだろうか。
僕は考えを改めた。
優先順位を間違えてはいけない。
「キユリ。知ってる? 僕達のルール」
「え?」
僕は困惑するキユリの前で膝を着いて、目線を合わせた。
「牛腸さんがいつも言っていたことだよ。『強い者が正しい』んだ」
キユリはびっくりしたような顔をしてしまった。まさか僕の口からこの言葉が出てくるとは思わなかったのだろう。
どちらかと言えば、僕は可能な限りその考え方に抗うような思考をしていたと思う。
当然、やむを得ない場合は多いのだが、最初から暴力でねじ伏せて思い通りに事を進めるよりも、極力言葉で正しさを証明し場を動かそうとしていたところがある。
そんな僕の姿を彼女も知っているからこそ、驚いたのだろうと思う。
だが、今こそ僕が持つ暴力を、武力を、権力を使うべき場だと思うのだ。大切な物を傷つけられて、黙っている等ありえない。大切な物を守れない力なんて、何の意味もない。
喧嘩を売った相手が一体誰なのか。この愚か者達に分からせるべきだろう。彼等を守る為ならば、僕は鬼になろう。
「だからね。僕は、こんな何の力も持たない取るに足らない人間達に、僕の大事な鬼の子達が傷つけられたのを、何の咎めもなしに許す事は出来ないんだよ。というより、許すつもりはない。グラ、好きに殺っちゃって。後のことは気にしなくていいから」
その途端、グラから強烈な殺気が放たれた。
この部屋の気温が5度は下がったのかと感じるほどの寒気と、身動きひとつできないと本能的に感じる程の緊張感だ。
こんな強烈な殺気を、戦えもしない人間が浴びれば、呼吸すらまともに出来ないだろう。
案の定、女性達は身動きひとつ――眼球さえ動かせずに固まり震えていた。
別にこんな人間を許す必要なんて一切ないのだ。仲良くしなければならない理由もない。配慮してやる必要も無い。
目障りならば、消せばいい。
「キユリはね、尊い存在なんだよ。理不尽な目にあったり、傷けられていい人じゃない」
僕はしっかりと彼女の目を見る。
「その燃えるようなオレンジ色の瞳はとても美しい。僕が好きな色だ。そして長い犬歯と黒い肌は凄くカッコイイ。本当に惚れ惚れするくらい素敵だ。だからね、堂々としていて欲しいんだ」
僕が想いを伝えると、キユリは頷いて涙を浮かべた。僕はそんな彼女を抱きしめる。ついでに近くにいたアカギも一緒に抱きしめた。
彼等に辛い思いをさせてしまったことを申し訳なく思う。トラブルを起こせば僕に迷惑が掛かると思って、可能な限り怒りや悲しみを我慢しようとしてくれたのだろう。本当に優しい子達だ。
僕はそんな子達を守りたい。
「い、いいわよ! こんなおっかない所出ていくから! 外の方がマシよ! 皆さん、行きましょう?」
女性はグラに怯えながらも声を絞り出し、周囲へと呼びかけた。
大したものだ。この殺気を浴びても反抗的な態度を変えないだなんて。むしろ、戦えないからこそ殺気に対して鈍感なのかもしれない。
しかし、そんな彼女の提案に答える者は誰もいなかった。
「いや、やめてくれよ……。相手はSSランクのプレイヤーなんだから。なんでそんな相手に喧嘩売るんだよ……」
「お、俺は関係ないからな」
女性と共に文句を言っていた人間達は、どうやら手のひらを返したようだ。分が悪いと判断したらしい。
「ちょっと……え? 気味が悪いとか、物騒とか、散々言ってたくせに!」
「やめてくれよ! 俺達はお前の仲間じゃない! 出てくならさっさと1人で出てけよ!」
「なっ!」
どうやら仲間割れのようだ。醜い。本当にどこまでも醜い。
結局、しばらく口論が続いた後、女性はこの場に居づらくなったのか、自身の子供と2人で倉庫から出ていった。一方で女性の周囲にいた人間達は誰一人として付いて行かなかった。
「別に殺しても良かったのに」
「いや、これでいい」
グラはそう答えて紫色のカツラを拾い上げ、再び被っていた。