クエリィの素顔と別れ際の言葉
ポケットに入れておいた鍵を、扉にガチャリと入れた。
外の空気を吸った。
夕陽の空を見上げた。
当たり前のことなのに、それが嬉しかった。
右足を引きずりながら、なんとか歩こうとする。
「大丈夫ですか?」
「うん。クエリィ……その、君は」
「……隠しても、もう仕方ありませんね」
クエリィは徐に仮面を取った。
真っ白な顔が、そこにあった。
あの化け物とは違う。
綺麗な色だった。
だが彼女の顔からは、人間の生気を感じられなかった。
クエリィの顔が夕日に照らされる。
それでも彼女の顔は白い。
「私もあの化け物と同じく、異世界の幽霊です」
「……君が死神人形、ってやつだよね」
「……えぇ。残念ながらそのようです」
三浦先生が見せてくれたあの写真とそう変わらない。
綺麗な顔立ちだが、人間離れした異質さが確かにそこにあった。
いわゆる不気味の谷現象、というやつだろうか。
人形の顔故に、彼女の表情は変わらなかったが微笑んでいるように見えた。
きっとそれだけ、僕が彼女に心を許せたからだ。
「ありがとうクエリィ。感謝しきれてもしきれない」
「いいえ。私の方こそ救われました」
「……ん? それは、どういうこと?」
僕が彼女を守った記憶はない。
感謝されるようなことは一つもしていない。
改めて振り返ると、自分自身がどうしようもなく感じてしまう。
クエリィは、ひび割れた仮面を見つめながら話した。
「私の仮面を与えてくれた人は、私のことを偏見の目で見なかった人でした。見た目は不気味な人形だというのに」
「……優しい人だったんだね」
「えぇ。ですが──」
クエリィは視線を夕陽に移す。
彼女の真っ白い顔が夕焼けに染まった。
「その人はもう、この世にはいません。私は、守れませんでした」
「……守れなかったということは、まさかあの化け物が……」
「……見た目は違いますが、似たようなものに遭遇しました」
「……災難、だったね」
「……えぇ。だからこそ、貴方を守れたことに安堵しているんです。お兄さん」
「クエリィ……」
「生きててくれて、ありがとうございます」
彼女の暖かい言葉は、深く心に刺さった。
大事な人を失った彼女だからこそ、言葉には重みがあった。
それ故に涙が溢れてしまった。
こんな優しい彼女を、僕らは死神というイメージに仕立ててしまった。
罪深いことをしてしまった。
謝りたい。
でも僕が謝った所で、みんなのイメージが変わるものでもないしこれからも簡単に変わらないだろう。
……ならせめて、彼女と同じように返すことが必要だ。
「こちらこそありがとう」
言葉は毒にも薬にもなる。
本当にその通りだ。
「……お礼を言われるのは、気持ちが良いものですね」
「……そうだね」
「世界がそういう言葉で溢れてくれたら、どんなに良いのでしょうね」
クエリィはそう言いながら、化け物がいた館を見つめた。
彼女は言っていた。
彼女が言った化け物の存在は、異世界の幽霊が人形を依代として呼び出されているということを。
どういう経緯で奴が召喚されたのか。
結局分からなかった。
ふと、僕はクエリィに問いかけた。
「クエリィ、君は誰に召喚されたのか分かる?」
「……分かりません」
「そっか……。君は、これからどうするの?」
「人間の皆さんが噂してる都市伝説スポットを巡ってきます。きっとまだ、異世界から召喚された化け物がいる気がしますから」
日本の都市伝説スポットというと、途方もない数になる。
しかも、人間がいる限り日に日に増やされていく気がする。
そんなことを一人でやろうとするのか。
「それなら──」
「ダメです。お兄さん」
“僕も手伝おう”と言う前にクエリィが止めてきた。
クエリィが、僕の右足を見ながら続けて口を開いた。
「……お兄さんには、お兄さんのやるべきことがあります。まずその足を治してください」
「……あはは。二重の意味で足手まといだしね。ごめんね、変な提案しようとして」
「いえ。気持ちだけでも嬉しいです」
「そうだね。僕は目の前のことだけ、とりあえず見て……生きてみる」
「えぇ。お互いに、頑張りましょう……それまでこれを渡しときます」
「ん?」
彼女はそう言いながら、懐から本を取り出した。
どうやら怪物のイラストが描かれた本らしい。
「い、いいの?」
「えぇ。今の私には必要ないです。もう一度、私に会える時まで預かっていてください」
「う、うん。ありがとう」
右足のように折れ曲がった形だけど、僕はこの日、少しだけ前を向こうと思った。
夕陽に照らされながら、僕らは別々の道へ歩むことになった。
その別れ際、彼女が僕に問いかけた。
「お兄さんがここに来た理由は、学校の先生の勧めですよね?」
妙なタイミングで聞いてきたから、思わず驚いた。
素っ頓狂な声を出してから、僕は答える。
「あ、あぁ。そうなんだよ」
「……三浦先生、でしたよね。もう一度、写真を見せてもらっても?」
「……え? 別に構わないけど……」
僕は木に寄りかかりながら、スマートフォンを取り出した。
そして館で見せたあの写真を見せた。
クエリィがその写真をじーっと見つめた。
「……何か思い出したの?」
「……いいえ。彼がいる学校を教えてもらっても?」
僕は素直に、自分自身が通ってる学校の住所を教えた。
否定はしたが、きっと彼女は、僕には言えない何かを思い出したのだ。
この時が分岐点だった。
三浦先生が、彼女に殺されたのは。
いつか彼女にまた出会えるのなら、もう一度話をしたい。
そして名前もその時に名乗りたい。
彼女に再会できた時は、僕のことを認知している人間も徐々に減っているだろうから、ただの桐生翔として話せるはずだ。
身勝手な話なのは重々承知している。
……でもそれはお互い様、だよね。
クエリィ。