エスケープ
「クエリィ!!?」
僕は急いで彼女の元に走り出した。
仮面の端っこにひび割れができてしまった。
僕なんかを庇ったせいで。
「……うっ」
「な、何で……僕なんか庇ったんだ!」
「……きっと似ているから、です」
「……えっ」
突然何を言いだすのか、僕には分からなかった。
なぜこんな時にそんなことを言ったのか。
「だから、私のことも怖がってた。そうでしょう?」
ドキッと、心臓が跳ね上がる音がした。
「……知って、たのか……?」
「お兄さんの手の震えとか、お兄さんが私から少し距離を取って話していたから、です」
自分自身の心の弱さと、彼女の優しい言葉が重なって、涙が溢れそうになった。
隠していたつもりだったのに、全く隠せていなかった。
情けない。
本当に情けない。
ボロボロになっているというのに、彼女はずっと冷静で優しかった。
僕のことを思って、何も言わないでいてくれた。
「……私も人の視線が怖い、です。お互い様、です」
「そ、それは……!」
それは僕らが勝手に作り出した噂のせいだ。
みんな面白がって、彼女を都市伝説として作り上げていたんだ。
死神人形としての顔が有名になって、勝手に噂が広がっただけだ。
本当の彼女は、優しく繊細だった。
大層な使命を抱えていて、現実離れした化け物に立ち向かっていた。
彼女は苦しめられていた。
僕は気づかなかった。
気づいてあげられなかった。
「ごめんクエリィ……ごめんね──」
できることならもっと謝りたかったのに、白い化け物が奇声を上げて、今にもこちらに走り出してきそうだった。
「はし、って……ください」
「だ、駄目だ! クエリィも一緒に……!」
「……」
「クエリィ……?」
僕が呼びかけても、彼女は動かなかった。
動けなくなったのだ。
「どうして……こんな、ことに……」
恐怖と悲しみで、頭がおかしくなりそうだった。
いや、最初からおかしかったのだ。
この館に行こうとした時からずっとだ。
でも、彼女と出会ったことで。
僕は少しずつ、気持ちを落ち着かせていたのだ。
だが、そんな優しい彼女は動かなくなった。
じゃあどうする?
彼女は最後に、僕に何を言っていた。
僕は何を聞いた?
思い出せ。
反芻しろ。
──走ってください。
言葉だけなら簡単だ。
でも、やろうとすると大変だ。
けど彼女は、僕を信頼してそう言ってくれた。
きっと逃げられると。
なら決まっている。
「ありがとう。クエリィ……」
僕は階段に向かって、全力疾走した。
彼女を、置いて。
階段を駆け上がり、振り向かずに玄関へ向かった。
「ギュオォォオオン!!」
何かを壊す音が聞こえる。
大きな足音が近づく音も聞こえた。
怖かった。
それでも、僕は玄関に向かって走った。
しばらく、周りの目が怖くて走ることができなかったこの足で。
図書室の扉を乱暴に開け、玄関に向かう。
1秒でも早く、扉へたどり着きたい。
後、100メートル。
こんなにも生きたいという気持ちがあるとは、自分でも驚きだ。
早く、外の空気を吸いたい。
後、50メートル。
もう少し彼女と話がしたかったのか、涙がまた溢れた。
本当に情けない。
後、25メートル。
本当に、彼女にはどれだけ感謝しても足りなかった。
後、10メートル。
もうすぐ。
……のはずだった。
「あがっ!!?」
右足を掴まれた。
白い化け物に。
右足が取れてしまうほどに、強い力がそこに加わる。
「いっ!!? だっ!?」
死ぬ。
僕は、ここで死ぬ。
手を伸ばせば届きそうなのに。
届かない。
彼女の気持ちを、ここで踏みにじることになってしまう。
メキメキと、骨が折れる音が聞こえた。
「ぐっ!!?」
これだけ誰かのことを思えたのも、久しぶりだ。
精神的な痛みと物理的な痛みで、意識が遠のいてしまいそうだった。
足の感覚が、もうない。
いや、僕は死んでしまったのかもしれない。
僕は必死になって身体を動かそうとした。
左足だけは動いた。
右足の感覚だけが、もうなかった。
それよりも──。
「あいつの、手がない?」
身体を何とかひっくり返し、化け物のいる方向を確認した。
いた。
化け物が。
昨日のように倒れている化け物が。
そいつを視界に捉えたと同時に、燃えるような音が耳に入った。
化け物の真っ白な身体が、真っ黒に染め上げられようとしている。
「一体、何が──」
「ファイアボール!!」
「!!!」
奴を痛めつけている者は、化け物の後方にいた。
あの子だ。
仮面を付けた、少女だ。
魔法書に書かれていたのだろう炎魔法を唱えていた。
「クエリィ……?」
「グガアァァ!!?」
どうやら、僕の考察は当たっていたようだ。
目の前で焼かれている化け物は、ミノタウロスという霊が宿っているらしい。
恐ろしい光景のはずなのに、僕は感動していた。
恐らく、彼女の行動によって化け物が燃やされているというのに。
それ以上に、彼女と会えたのを嬉しく感じていた。
やがて、化け物の叫び声は聞こえなくなった。
そして奴の残骸は、灰になって砂のようになった。
それから消えた。
まるで、最初から居なかったかのように。
クエリィは、スタスタとこちらに歩いてきた。
血で染まった和服に謎の仮面。
不気味な存在が、僕を安心させた。
クエリィが、空っぽの瓶を見せつけた。
どうやら、あの実験室にあった薬品を利用して更に燃やしやすいようにしたらしい。
抜け目がないし、本当に冷静な子だ。
「立てますか?」
「……何とか」
壁を利用して、僕はその場に立った。