異世界の幽霊と仮面少女
いた。
化け物だ。
鼻と口しかない。
ツノを生やした真っ白な巨人が。
そこにいた。
ほんとに。
目の前に。
いた。
「ぁ……あぁ……」
声にならない声を上げ、なるべく距離を取ろうとした。
だが、腰が抜けた。
足も、上手く動かせない。
「…………」
化け物は、ただ僕の目の前に立ち尽くしていた。
けどそれも、時間の問題だった。
「ギュオォォオオン!!!!」
突然、鬼は甲高い悲鳴のような声を上げた。
その叫び声を聞いたおかげか、突然足が動くようになった。
「……くっ!!」
僕は急いでその場を後にし、玄関を目指した。
火事場の馬鹿力なのか、すぐに玄関へたどり着いた。
しかし──。
「開かない!!?」
なぜか玄関の扉には、鍵が掛けられていた。
「くそ!!」
必死に扉を何とか開けようとした。
その時、また後方から奴の気配を感じ取った。
すぐに振り向くと、やはり化け物がいた。
「ギュオォォオ!!!」
また、叫び声。
「……畜生……!」
考えてみれば、僕は最悪死んでも構わないという気持ちでこの館にやって来た。
ならこれは、運命というやつなのだろう。
覚悟を決めたはずだ。
「(……そうだ。何で今更、こんなに必死になって逃げてるんだ……)」
襲い掛かろうとしている化け物を見ながら、僕は呟いた。
──死ぬ覚悟なんて、最初からなかったんだ。
──ただ、現実から逃げたいだけなんだ。
化け物が僕の元へ走ってきた。
恐怖と覚悟を心に抱え、目を閉じた。
…………。
…………。
…………?
だけど、何も起きなかった。
僕は咄嗟に目を開いた。
視界では、化け物がドスンと玄関の脇の方へ倒れ込んでいたのを捉えた。
「逃げて下さい」
幼い少女の声が聞こえた。
その声の主は、倒れ込んだ白鬼の近くにいた。
クエスチョンマークの狐の仮面を付け、巫女が着るような妙な和服で身を包んだ少女。
その少女の両手には、ナイフがあった。
状況が分からない。
思考が追いつかない。
「き、君は……?」
必死に、声を絞り出すも疑問符しか彼女に返せなかった。
「2階へ逃げて下さい。早く」
仮面のマークの通り謎の少女に促され、僕は2階へと向かった。
狐の仮面を付けた少女と共に、2階の部屋にやってきた。
少女は何やら、扉に鍵を掛けていたようだ。
僕らは床に隣り合って座ることにした。
「ここまでくれば、一旦は大丈夫です」
「あ、あぁ。助かったよ……」
「怪我はしていませんか?」
「う、うん。大丈夫だよ」
「…………」
「…………」
ふと、気まずい沈黙が続いた。
さっきから現実離れしたことが起こりすぎていて、思考が追いついてない。
目の前にいる謎の仮面少女が何を考えているのか、どんな目的でここにいるのか分からない。
彼女の手元にある包丁が妙に鋭く光っていて、血の跡が付いている。
それを見て、ようやく先ほどの光景が現実であることが自覚できた。
それ故に、余計に彼女に対しても恐怖心を覚えてしまう。
心臓がバクバクとしていて鳴り止まない。
でも何か、喋らないと。
「え、えっと……」
「……貴方は、なぜここに?」
僕が話題提供する間もなく、彼女が僕について聞いてきた。
「えっ。あぁえっと……僕は──」
僕は一度深呼吸をしてから、ここに来た理由を話した。
自暴自棄が過ぎる経緯だけど。
「そうですか」
「うん……何か全てがどうでも良くなっちゃって……さ」
「……なるほど」
「死神人形じゃなかったけど、まさか本当にあんな化け物が存在するなんてね。死にかけたよ」
……なんて言ったが、そんな死神人形も目の前にいる。
絶対この妙な仮面を付けた少女だ。
だってあんな立ち回り、普通の女の子ができるはずもない。
明らかに人間離れしていた。
一体どんな仕組みで動いてるのか疑問だ。
でも、そんなことは口が裂けても言えなかった。
この死神人形──もとい仮面少女が何をしでかすか分からなかったからだ。
素直に話を聞いて、対応することにした。
「……悲しいですね」
しかし、仮面少女の反応は意外だった。
「……え?」
第一印象が冷たく感じたから、僕は思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
「もう少し、自分を大事にして下さい」
……幼い声でそんな大人びたことを言われると
戸惑う。
まさか、都市伝説の人形に説教をくらうとは。
「……ははっ」
側から見たら情けない光景だ。
僕なんかより一回りも小さいのに、彼女は僕なんかよりよっぽど大人だ。
しかも僕のことも守ってくれたんだから、色んな意味で負かされた気分だ。
自分自身の不甲斐なさも相まって、僕は思わず吹き出してしまった。
対して仮面少女は、仮面のマークを表すように首を傾げる。
「私、何かおかしなことを言いましたか?」
「いいや。君みたいな女の子に説教されるなんて思いもしなかったから」
「……そういうもの、ですか」
「うん。そういう君は、どうしてここに?」
「私の目的は、これです」
「……ん?」
彼女はどこからともなく、僕が不気味がっていた人形と謎の本を取り出した。
「この本は図書室で拾ったものです。ついでにこの人形も拾いました」
「な、何でそんなものを……?」
「……どちらとも、あの怪物と同じ匂いがしたんです」
「……“同じ匂い”?」
「私は、この匂いを発する怪物を狩っています。奴はこの世の者ではないんです」
奴の匂いはハッキリいって血生臭かった。
それより、気になる単語が出てきた。
「……この世の者じゃない?」
「えぇ」
「ゆ、幽霊ってこと??」
「半分正解です。奴は異世界から呼び出された霊です」
「えっ!?」
思わず大声を出してしまった。
今更になって自らの手で口を塞いだが、どうやらばれてはいなかったようだ。
ホッと胸を撫で下ろし、話を再開した。
「ど、どういうことなの?」
「そのまんまです。奴は誰かの手によってここに召喚されたんです。正確には人形を依代として、異世界の怪物の霊を呼び出してるんです」
「誰が、そんなことを……?」
「分かりません。ですが、奴らを野放しにしたままではいけないんです。私の持つこのナイフで、狩らなければいけません」
少女はそう言いながら、血まみれのナイフを見せる。
そこからは、禍々しいオーラが放たれているように見えた。
この少女が仮に本当のことを喋っているとして、一体どれぐらいの怪物を狩ったのだろうか。
僕が無駄に考察を重ねていると、仮面少女が僕に引き続き話しかけてきた。
「……あの」
「ん?」
「貴方のことは、どう呼べばいいんでしょう?」
「あぁそっか。えっと……」
思えば、未だに自己紹介をしていなかった。
僕は、自分の名前を言おうとした。
でも、それはやめることにした。
自分の名前を呼ばれるのが、この時は嫌だったからだ。
「ごめん。今はあんまり言いたくないかな」
「ではどう呼べば?」
「何でも、いいよ」
「……それじゃあ、お兄さんと呼ばせていただきます」
「うん。宜しく」
中々呼ばれない名称で、なんだか気恥ずかしかった。
「じゃあ、僕は君のことをどう呼べばいいかな?」
「私はクエリィです」
「クエリィ……か。よろしくね」
「はい……それにしても、よくこんな場所まで来ましたね」
「あぁ……三浦先生が教えてくれてさ」
「三浦先生?」
僕はポケットに入れていたスマートフォンを取り出し、三浦先生の写真をクエリィに見せる。
「結構、というよりかなり変わってる先生でさ。都市伝説の噂とかオカルトに心酔してるんだよ」
「……ふむ」
「……クエリィ?」
じーっと、クエリィは写真に映った彼を見つめる。
確かに妙にイケメンで高身長だから、目の保養にはなるけども。
そこまで黙りこくっていると、気まずい。
しかし沈黙は、ありがたいことにすぐに破られた。
「……すみません。どこかで会った気がして」
「え? この人に?」
まさか面識があるとは思わなかった。
……あの先生、都市伝説の化け物とかと遭遇したことないって言ってなかったかな。
「はい。ただ、話したことはないです」
「でも会ったことがあると?」
「……えぇ」
不思議な話だ。
クエリィがどこかのタイミングで三浦先生に会っていて、対して三浦先生は彼女に会ったことがない……。
明らかな矛盾だが、三浦先生は嘘をついていたのだろうか。
都市伝説に遭遇したことがあるなら、むしろ彼なら自慢してきそうなことだが。
何か理由があるのか。
それからも僕らは、しばらく話し合っていた。
僕自身の学校や、三浦先生のことも。
特に彼女にとっては、彼のことが気になっていたようだ。
そしてしばらくして、眠気が僕を襲った。
僕は座りながら、眠りに落ちた。