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98.『寛容と需要には成熟が必要か』
かつて「きゅうじゅうはち」だったもの
果てへの憧憬にほだされて、
夢を見る夜を犠牲にし、
たぎる情熱に薪をくべ続ける。
夜明け前の空を仰ぎながら、
まだ見ぬ答えを握りしめる手は、
とうに疲弊し、爪先が割れている。
ウィッカーマンの炎に魅せられ、
焼けゆく自己を崇高とすら思い込む。
踊る心には和太鼓の律動。
だが、その音は内なる混乱と焦燥のリズム。
意欲という名の光は眩しい。
だがその裏に潜むのは、理解への焦り、曖昧さへの不寛容。
それを「誠実」と呼ぶには、あまりに独善的だ。
答えの出ぬ問いに耐えるということ。
不確実性に身を浸し、意味不明にも寄り添うということ。
それは諦めではなく、知の成熟だ。
闇に座す覚悟。風が過ぎるまで、静かに在るという知恵。
ああ、ネガティブ・ケイパビリティ。
詩人キーツが遺したこの言葉は、今なお、私の胸を静かに叩く。
「あなたはいまを、本当に味わっていますか?」
問いかけは答えを求めず。
ただ、私の心に沈殿していく。