94.『空虚な頂きから麓を眺める』
かつて「きゅうじゅうよん」だったもの
泣いたのはいつが最後だったっけ。
記憶の彼方に霞む嗚咽の輪郭は、今も胸の奥に沈殿しているのに。
僕はずっと「鳴いて」ばかりで、「啼く」ことはしていなかった気がする。
いつから口角が引きつるようになったんだろう。
笑顔の筋肉は使い果たして硬直し、鏡の中の顔はどこか別人のようだった。
社員たちが一斉にお辞儀をする光景をガラス越しに見つめていたら、
誰かの舌打ちが、空調の風に紛れて聞こえた気がした。
会議室の中で語られる称賛と感謝の言葉たち。
パワーポイントのアニメーションみたいに、
形式的で、予定調和で、まるで音を持たなかった。
一人で生きているふりをしている人間は、実は誰よりも他人に期待している。
その結果、「孤高」なんて見栄えの良い名前で呼ばれているのは意に反している。
奇妙なほど綺麗に整った「口」たち。
いつも僕の前で同じ形に曲がり、同じリズムで礼をする。
その姿が美しく見えるほど、そこは嘘に飾られているのだと思う。
何十年もかけて登ってきたこの頂に、風は吹いても温もりはなかった。
頂上に立てば見えると思っていた何か。
期待し過ぎていたのかも知れない。
この登山の過程が何よりも楽しかった。
僕たちは、自律神経を壊す産業を止められなかった。
幸福を売って、疲労を買い、心の帳簿はずっと赤字だった。
だからさ、せめて、エレベーターくらい休ませてくれよ。
ずっと動きっぱなしじゃないか。
エレベーターのモニターで企業の合併のCMが流れている。
隙間時間はこうして奪われ続けている。
モニターを割る時が来たのかも知れない。
ああ、僕はまた笑えるだろうか。