89.『透明の毒と群がる正義の声』
かつて「はちじゅうきゅう」だったもの
匿名という皮膚を纏ったとたんに、人間は驚くほど残酷になる。
恥を忘れ、責任を放り出し、冷笑を伴う正義を気軽に放つ。
「名前がない」というだけで、その言葉は毒を持ち始める。
他者を打ち据えることで、自分の内側の空虚を塗り潰す。
まるでそれが、当然のことであるかのように。
名前を持たない声は、群れを成す。
滑らかな正論で地面をならし、整地された清廉な世界を夢見る。
だが、整いすぎた土地には、根を張る草も、影を作る樹もない。
それは、「正しさ」で固められた不毛地帯。
誰もが正義を掲げながら、誰も責任を取らない。
気づけば、誤ったことは「訂正」ではなく「消去」され、赦しよりも、焚刑が求められる。
一度その輪の中に投げ込まれた者は、足掻くことも悔いることも許されない。
本当の暴力とは、物理的なものではない。
それは、正しさを仮面にしたときに生まれる。
自分は傷つかずに他者を壊す技術。
それは、あまりにも便利で、だからこそ冷たい。
名を捨て、顔を隠し、群れの中で躍る指先たち。
彼らは、無数の光のなかで、大きくなってゆく影を見ていない。
いや、その影自体が彼ら自身である。
問いを繰り返す意味はあるのだろうか。
あなたの正義に、痛みはありますか?
あなたの怒りに、名はありますか?
その声は、顔を見せられますか?
赦すことと、罰することのあいだに
あるはずの境界線は誰が作っているのだろうか。
透明な怒りは、光を持たない。
ただ毒を持ち、群れの中で拡散するだけだ。
いずれその炎は、あなたの名前をも燃やすかもしれないというのに。