79.『流動的な世界に気付かぬ自己』
かつて「ななじゅうきゅう」だったもの
昼過ぎて目の奥に重みを感じるようになったら、
僕の集中の限界を感じる。
マグカップの水を飲み干し、席を立ってトイレに行く。
だが、席に戻った後に期待していたほど頭は軽くなっていないことに気づく。
ある日、駐車場の車の中に荷物を忘れたことがあった。
駐車場まで取りに行くのは億劫だったけれど、その日は雨上がりの快晴で、
歩いていると思いがけずに光が暖かくて気持ち良かった。
それからなんとなく、疲れを感じると散歩をするようになった。
時間を意識しているわけではないが、だいたい 14時から15時の間に足が赴く。
眠たくなる時間帯に歩き出すのは理に適っているような気がした。
脳も、体も、ここで一度リセットしたい。
歩いている時間は 15分にも満たないだろうが、その短い時間がかえって良い。
足を曲げては伸ばし、固まった体をほぐしながら歩みを進める。
血流が脳まで巡るのを感じる。
音楽は聞かないことにしている。
なるべく何も考えない。
デフォルトモードネットワークに身を委ねる。
ただ、肌で日光を感じ、木々の青さを 「ぼんやりと」 視界に入れながら歩く。
この建物なんだろう。
蔦が這うような古びた施設。
通勤時に毎日通っているはずなのに、
今の今まで意識したことがなかった。
こんなにも気づかないものかと不思議に思った。
意味の有無を考えない新たな発見。
なぜか誇らしい。
同じ場所、同じ物でも、毎日 「同じ」 であるとは限らない。
目を向ければ、必ず何かが違っている。
緩やかに変わり続ける景色、変わらない自分の知覚。
どんなものも、当たり前に存在しているわけではないのに。
呟いて転がる石をそっと蹴る。
ゆっくりと、音もなく、前へ転がっていった。
石とコンクリートの当たる音は嫌いではなかった。