76.『戯言かたり』
かつて「ななじゅうろく」だったもの
「何も信じられない」と思っている時点で、
「信じられない自分」 を盲信しているのではないか。
常に思考の天秤は傾いていることが多い。
「なんで私だけ」という言葉をよく聞く。
本当に悲しい出来事があったであろうし、辛さは否定されるものではない。
ただ、よく聞く言葉なだけに、あなただけではないのではと思ってしまう。
「誰もわかってくれない」という言葉。
「誰かにわかってほしい」という願いの裏返し。
そう思うと、少しだけ可愛く見える。
怒りたい人と、助けたい人。
差異は大きいように思えるが、どちらも相手が主語ではない。
「自分が怒りたい」、「自分が助けたい」
まるで違う動機に見えて、根っこは同じ自己主張なのかもしれない。
空虚感を埋めるために奔走するのをやめたい。
余った時間を、何かに使わなければと焦るのは、
結局、人は空虚と対峙することを恐れているからだろう。
「年を取ると涙もろくなる」とはよく聞く。
それは涙腺の老化なのか、感情の代謝が活発になったのか。
それとも、単に耐性が落ちただけなのか。
もしそうなら、涙の価値も、年齢とともに変わるのか。
ああ、今日も終わる。
真っ暗な部屋で、テレビの光を浴びながら過ごす夜。
ニュースキャスターが深刻そうな顔で何かを語っている。
「良かった」と思う自分と、「だから何だ」と思う自分が共存する。
コマーシャルが派手な音で部屋を満たす。
無意味に、リモコンを手に取る。
チャンネルを変えても、特に見たいものはない。
それでも、流し続ける。
静かすぎる部屋に、耐えられないから。