72/100
72.『鈍感な大人たち』
かつて「ななじゅうに」だったもの
翌日の足の痛みを恐れて、走ることをやめた自分に気づく。
いや、ただ怠惰をむさぼっているだけかもしれない。
机に向かい、フリーズしたままの僕の顔。
暗くなったパソコンの画面にぼんやり映る。
日々に流され、脳が形骸化している。
目に映る情報を処理しているふりをして濁流に身を任せている。
しかし、それすら気づかずに、ただ同じルーチンを繰り返している。
僕の頭は、道に落ちた石を認知していない。
花を摘み、蜜を吸い、蟻の行列をしゃがみ込んで眺めていた子どもの頃。
知識もなく、視野も狭いはずなのに、世界は、今よりずっと色濃く鮮やかだった。
「自我」が未熟だったからこそ、世界と親密に繋がれていたのかもしれない。
ただの記憶の美化か。
都合のいい過去の修正か。
今の僕らは、未来の憂いを先取りし、過去の後悔を反芻する。
「今」を疎かにすることに長けてしまった。
音楽を消し、スマホをポケットにしまいゆっくりと公園の歩道を歩く。
ふと、靴の裏から伝わる地面の感触を、久しぶりに感じた気がした。
それすらも忘れていたことに、僕は苦笑する。