71.『夜桜に散る掴めぬ思い』
かつて「ななじゅういち」だったもの
満開の桜が、夜風に揺れていた。
月の光に照らされた花弁が、儚く宙を舞う。
この桜並木には僕と彼女しかいない。
彼女は静かに桜を見上げていた。
右頬を伝う涙が、街灯に照らされ、細い光の筋となっていた。
それでも彼女はそっと微笑む。
あまりにも無垢で、あまりにも自然な表情。
まるで、その涙すらなかったことにしようとするかのように。
彼女は、自分が泣いていることに気づいていない。
おそらく僕がここにいることにも気づいていない。
散りかけた一枚の花弁に、彼女はそっと手を伸ばす。
指先が触れた瞬間、それは風に攫われるように消えていった。
掴めなかった希望。
指の隙間をすり抜けた幸せ。
彼女は僕を見つめた。
目に涙を溜め、首を斜めに傾けながら、ぽつりと呟く。
「どうしてなんだろうね」
僕はじっと彼女の瞳を覗き込む。
その瞳に映った僕の頭には、一枚の花びらが乗っていた。
ひら、ひら、ひら。
花弁がそっと離れ、夜風に攫われる。
・・・。
その瞬間、彼女は膝から崩れ落ちた。
耐えきれず、両手で顔を覆い、声を上げて泣いた。
どうして、僕が生き残ってしまったのだろう。
彼女は兄を愛していた。
なのに、僕が生き残った。
桜の下で、僕はただ、彼女の嗚咽を聞いていることしかできなかった。




