67.『いいねの砂漠でも笑える気概』
かつて「よくじゅうなな」だったもの
人間の脳は、驚くほど自分に甘い。
都合のいい記憶を切り貼りし、時には捏造すらする。
責任を他人に押し付けて、自己正当化しながら安心を求める。
SNSを開けば、誰かが誰かを叩いている。
ひとつの言葉が拡散され、炎のように燃え広がる。
悪意は空気のようにこの世界に満ち、
吸い込むだけで肺が冷たく強張っていく。
誰もが「正義」の仮面を被っているが、
その言葉の奥にあるのは、承認欲求に飢えた醜悪な渇き。
いいねの数で自尊心を測り、
誰かを否定することで、自分の価値を証明しようとする。
今、この瞬間も、僕は誰かの闇にじっと見つめられている。
敵意は、静かに、確実に、忍び寄ってくる。
野生の勘が警鐘を鳴らす。
この世界の砂漠には、オアシスが少ない。
ほんのわずかに見つかった楽園ですら、
誹謗中傷という砂嵐に晒され、やがて消えてしまう。
まるで蜃気楼だ。
本当に存在したのかどうかすら、疑わしくなるほどに。
沈む砂に、足がじわじわと飲み込まれていく。
足掻けば足掻くほど、身体は深く沈み込む。
「無関心」でいることが最も安全なはずなのに、
心のどこかが、その無抵抗を恥じていた。
それでも、汗をかきながら笑う彼は、輝いていた。
冷たいコメントが飛び交う中で、
彼は誰の声にも惑わされることなく、ただ前を向いて歩いている。
「承認」は求めず、「理解」は諦めず、
誰かを傷つけることなく、自分の信念を貫いている。
だが、その背中には無数の傷が刻まれていた。
彼が歩んできた道が、決して平坦でなかったことを物語っていた。
ならば、まずはこの悲しくも荘厳な背中についていこう。
今は、ただそれだけを考えよう。
次のことは、次にすればいい。