63.『あけましておめでとう、さようなら』
かつて「ろくじゅうさん」だったもの
紅白から除夜の鐘に変わった画面。
今年の終わりを実感していた頃。
彼女からLINEが届いた。
「あけましておめでとう」
「いままでありがとう」
「もうおわりにしましょう」
妙に整った改行が、彼女のためらいを物語っているように思えた。
何で全部ひらがななんだろう。
そもそも僕は彼女と正式に付き合っていた覚えはない。
ただ、なんとなく一緒にいるような関係がずっと続いていた。
それが「恋人」に見えていたのだろうか。
彼女は何かを期待していたのだろうか。
僕に何かを求めていたのか。
もしそうなら、申し訳ないことをしたのかもしれない。
でも、僕にも言い訳をさせてほしい。
ある日を境に、僕は誰も信じられなくなっていた。
何がきっかけだったのか、思い出せない。
ただ、確かなのは、すべてのものに対して現実感を抱けなくなったことだ。
感覚がどこか遠くなっていく。
音も、温度も、時間の流れすらも、指の隙間から零れ落ちる砂のように感じられた。
だから、僕は返事を打った。
「こちらこそありがとう」
「君には感謝している」
「これからも応援している」
彼女の姿を思い浮かべながらも、心に浮かぶのはただの空白だった。
ぴこーん。
通知音が鳴る。彼女からの返信だった。
文字が少し震えているように見えたのは、気のせいだろうか。
「わたし」
「たえられない」
「あなた・・・」
「しんでいるのよ」
鼓動が一瞬、止まった気がした。
しかし驚きよりも、納得のほうが大きかった。
人生で一度しか経験できないような心臓の痛みを、ふと思い出した。
その痛みこそがまさに死の感覚。
そうか、僕は死んでいたのか。
忘れていたよ。
「そうだったのか」
「忘れていたよ」
「ありがとう」
「そして、あけましておめでとう」
次の瞬間。
画面越しに見えた彼女の様子が、急に乱れる。
スマホを落としたのか、視点が揺れている。
「やめて」
「こないで」
既読のつかない文字がいくつも並んでいく。
その直後、映像が止まる。
まるで誰かが、彼女の世界ごと静止させたように。
一瞬の間。
そして、次の瞬間、スマホの向こう側で彼女の後頭部から、血が噴水のように噴き出した。
白目をむいた彼女の顔が、連続撮影されていく。
シャッター音が響く。
そして、スマホの画面に勝手に文字が打ち込まれていく。
「はっはっはっはっはっは」
僕の笑い声が、LINEの文字として次々と生成され続ける。
彼女はもう、この画面を閉じることも、返信することもできない。
終わりは、彼女が決めるものではなかったのかもしれない。