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60.『教室の夕暮れ、揺れる天秤』

かつて「ろくじゅう」だったもの

夕方、忘れ物を取りに教室へ戻った。

廊下に響く自分の足音だけが耳に届いた。


教室の扉の前で手を伸ばした瞬間、中から一人の女生徒が泣きながら飛び出していった。

一瞬の出来事だったが、頬に光る涙と震える肩が目に入った。


開け放たれたままの扉をくぐる。

そこには何もなかったかのように静かな教室が広がっていた。


ただ一人、不躾にも教卓に腰掛けた彼が、不気味なほど優しい表情を浮かべて僕を見た。


「彼女は僕が好きだって言ったけど、僕は彼女が嫌いなんだ」


彼の声は独り言のように小さかったが、誰もいない教室ではその言葉がやけに響いた。

顔も良いし、成績も申し分ないが、言葉に粘りがある彼が僕は苦手だった。

グループは違うし、普段は話すことはない。


「・・・」


僕は無言で自分の机の方へ向かい、引き出しを開けて財布を取り出した。

ポケットに滑り込ませ、何となく1000円札を1枚抜いて逆のポケットに押し込んだ。


後ろでは、彼の独り言がまだ続いていた。

僕に話しかけているんだろうけれど。


「そして、君のような人間はもっと嫌いだ」


教卓に座ったまま足を前後に揺らしながら、彼は真っすぐに僕を見つめた。

その目は笑っていたが、どこか底が見えない不気味さが漂っていた。


「純粋な偽善は善に違いない。けど、君は小さな悪を偽善に混ぜる」


その言葉は一見、意味深で哲学的なようであるが、ただの挑発に過ぎない。

彼は自分の言葉に陶酔し、観察者である僕をも自分の舞台に引きずり込もうとしている。


僕はゆっくりと教卓の前まで歩みを進め、静かに彼と正対した。


「天秤はどちらに振れるのかな」


彼は冷笑を浮かべたまま、その言葉を投げかけてきた。

僕は聞き取りやすい声で答える。


「バランスが取れていないと、僕は真っすぐに歩けないんだ。」


「・・・」


一瞬の沈黙。

そして彼は突如として壊れたように笑い出した。


「いいね。それ、いいね」


両手を叩きながら、教室の静寂を切り裂くように狂った笑い声を響かせる。


その笑い声を背に、僕は何事もなかったかのように教室を後にした。

背後に残るその笑い声は、しばらく耳を離れず、胸の中に不快感を残していた。


彼の言葉は、捻じれた本性の一端を見せたに過ぎない。

何の意図もなかったのかもしれない。


それでも奇妙な重さを持つ彼の言動に、僕の天秤は傾き始めていた。

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