43.『浴槽で学ぶ弱さ』
かつて「よんじゅうさん」だったもの
家族ができてから静寂は自然には得られない貴重なものとなった。
熱い浴槽に浸かりながら、水中で息を止める。
じっくりと思考を深く掘り下げる。
換気扇の音や、リビングから漏れてくる音楽がいつも以上に煩わしく感じられる。
もっと深く、深く潜る。
目を閉じ、両手で顔を覆いながら、自分の心を覗き込む。
胸の中では相反する感情がぶつかり合い、破片が飛び散る。
どこかに刺すような痛みがあることに気付いた。
痛みだけではない、複数の感覚、感情が身を寄せている。
それらが混ざり合い、形容できない色や形を成している。
「男に二言はない」
そう言い聞かせることが、これまでの支えだった。
古い言葉にすがるようで情けないが、一度決めたことをやり通すこと。
それが強さであり、崇高な精神だと信じていた。
だがそれは苦悩を回避しているにすぎないのかもしれない。
逡巡しないように道を単純化している。
それも、もうやめなければならない。
絡み合った事象の本質を見極めなければならない。
僕は怯えているのだ。
誰よりも独りになることを恐れている。
年を重ねて、いつの間にか人並みに強くなった気でいただけだった。
実際には、裸でひとり放り出されれば、幼児のように蹲ってしまう。
弱さを知り、強くなりたい。
心からそう思った。
浴槽を出て脱衣所で体を拭きながら、ふと鏡に映る自分の顔を見つめる。
頬が垂れて間抜けな顔をしていた。
何年もまともに自分の顔を見ていなかったことに気づいた。
無理やり口角を上げてみる。
しかし、さらに不細工な顔が鏡の中でこちらを見返すだけだった。
それでも、その情けない顔を直視することで、ほんの少しだけ、前に進めた気がした。