42.『感情をもてなすということ』
かつて「よんじゅうに」だったもの
蜂蜜は甘くもあるが苦くもある。
好きだったものが、突然嫌いになる時がある。
その感覚はまるで、胃の中に泥を流し込まれたように重くのしかかる。
理由も分からず唐突に訪れるその不快感は、記憶の中の明るい部分を黒く塗りつぶしていく。
パンケーキに蜂蜜をつけることはもうないだろう。
メープルシロップの存在に感謝する。
綺麗だった記憶は新たに生じた嫌悪によって苦みに上塗りされる。
かつての幸福感は、ただの幻想に変わってしまった。
彼女の笑顔が気持ち悪く感じる。
理屈のない吐き気が胃を突き刺す。
感情を律することは、美徳だとされている。
誤った認知に誘われないよう、思考を注意深く客観視する。
それは、確かに知的な活動だろう。
けれど、それだけでは片付けられないものがある。
悲しみはどれだけ掘っても悲しみ以外の何物でもない。
それを「ないもの」にしようとすることは、身を引き裂くような自傷行為に他ならない。
感情が存在しているという事実は、無視してはいけない。
たとえそれが不快で、苦痛で、受け入れがたいものであったとしても。
苦くなった蜂蜜の味を思い出しては悲しみに暮れる。
僕は、この感情を否定したい。
現実から逃げ出したいとも思う。
けれど、この感情は僕の一部であり、僕という存在の一部。
仕方ないので、丁重にもてなしてみようと思う。
自分の感情を扱い、その存在を受け入れること。
この感情をもてなすことで、何が変わるのかは分からない。
ただ、それが僕自身であることに変わりはない。
それを受け入れることで、また少しだけ前に進めるのかもしれない。
ああ、苦くて悲しいパンケーキに吐き気が止まらない。