33.『砂場で学ぶ取捨選択』
かつて「さんじゅうさん」だったもの
砂場に埋まったノートを、何気なく拾い上げた。
古びた表紙をめくると、そこには太い文字で乱暴に書きなぐられた言葉たちが並んでいた。
その文字は、怒りや悲しみ、混乱をそのまま映し出しているようだった。
落書きされたのか、それとも持ち主自身が書いたのか。
その真相は分からない。
人間は心の中に「ナニカ」を抱えきれなくなったとき、どれだけ我慢しても、それが漏れ出すのを止めることはできない。
怒りの叫びや、泣き崩れる声、あるいは静かに溢れる涙。
それは人それぞれの形をとって現れる。
暴力となることもあれば、暴言として放たれることもある。
その矛先は他人に向かう場合もあれば、自身に向かう場合もある。
方向性が異なっても、本質は同じだ。
心の「ナニカ」が漏れ出す、その避けられない現象なのだ。
このノートの持ち主も、許容量を超えてしまったのだろう。
その結果、思いのすべてをここに吐き出した。
私は考える。
もしかしたら、これが彼にとっての救いだったのかもしれない。
それを飲み込んで反芻し続けていたら、彼はきっと内側から業火に焼かれてしまっただろう。
しかし、このノートをどうするべきか。
私は立ち尽くしながら思案する。
そして、ゆっくりと一枚一枚破り捨てた。
破れた紙片をゴミ箱に叩きつけながら思う。
「人間はもともと遊牧民だった」
いらないものは捨てて、不確実な希望を目指して進めばいい。
取捨選択。
それが、もしかしたら本当の強さなのかもしれない。
ゴミ箱の中でクシャクシャになった紙片を見下ろしながら、私は静かにその場を後にした。
どこか心が軽くなった気がした。