31.『田園と鉄塔の織り成す調和』
かつて「さんじゅういち」だったもの
眼下に広がる美しい田園風景。
それはまるで緑の絨毯のようだった。
整然と並ぶ水田が、風に揺れる稲穂の波を作り出し、遠くの木々と青い空がその額縁となっている。
その風景を跨ぐように、白と赤の縞模様を纏った鉄塔が立ち並ぶ。
送電線を両手に抱えたその塔体は、異物であるはずなのに、なぜか景観を損ねていない。
それどころか、田園の中に溶け込むように立ち、風景の一部として違和感を与えない。
水田もまた、完全な自然ではない。
人々の手によって整えられ、形作られたものだ。
その事実が、塔体の存在に違和感を抱かせない理由なのかもしれない。
自然と人工の境界が曖昧になる瞬間。
田園風景には、そんな独特の調和があった。
ゴンドラが木々をかき分けながら山を昇る。
その異物感は強烈で、血液中の白血球が異物を感知するほどの存在感を放っていた。
それでも、整えられた自然の中では、その違和感さえ風景の一部として受け入れられるように思えた。
これは自然や創造に対する賛美でも、批難でもない。
ただ変わりゆく景観に対する静かな観察だった。
田園の風景に、動物たちはどのような美的感覚を抱くのだろうか。
鳥は空を飛びながら、鉄塔をどう見ているのか。
鹿は稲穂の間を歩きながら、その人工的な線をどう感じるのか。
風景の美しさを感じるのは人間だけなのか。
それとも、変わりゆく世界に動物たちもまた、何かしらの感慨を抱いているのだろうか。
風が稲穂を揺らし、塔体の上で送電線が微かに震える音が聞こえる。
僕はその音を聞きながら、空を見上げた。
そこには、どこまでも広がる青と白い雲が静かに流れていた。