3.『静寂にすくう穢れと浄化のはざまで』
かつて「さん」だったもの
早朝の清掃を終えて、ベンチに腰を下ろす。
誰もいない会社は不思議な空気を纏い、音すら飲み込んでいる。
昼間、掃除をしている時、職員たちの目には私は映っていない。
人気のないビルの静寂には、どこか奇妙な優しさが漂っていた。
気付けば私は50歳を超えていた。
瞼は固くなり、瞳を閉じるたびに心の隙間は広がる。
意外なことに、その間隙は暗さがない。
けれど、何も見えない。
もしかすると、そこには本当に何もないのかもしれない。
恐ろしくなり、私はゆっくりと瞼を押し上げた。
清掃の仕事は、綺麗好きな私には向いていた。
それでも、どれだけ丁寧に働いても、会社から評価されることはない。
一縷の希望も抱かせない現実に、いつの間にか慣れてしまっていた。
春が近づいてきたのだろうか。
花の香りが鼻腔をくすぐり、指先まで染み込むようだった。
休憩室の錆びついた換気扇は、まるで明日の空気まで汚しているようだ。
「1人でも良い」、「孤独も悪くない」と、口にしてみる。
その瞬間に肺が小さくしぼみ、胸の奥で何かがじわりと崩れていくようだった。
慌てて息を吸って肺を膨らませたが、それは一体何のためなのだろうか。
私の人生は、目的地の見えない旅であった。
他の人も、きっと同じなのかもしれない。
それでも、いまだにその輪郭すら見えないことが不安でたまらなかった。
後ろからついてくる影は、どこか優しく寄り添っていながら、
その牙で私の足をぼりぼりと、齧り続けている。
突然、胸が締め付けられるように苦しくなった。
ついに、私の体が汚染されたのだろうか。
この仕事は、私を汚したい気持ちと、穢れた私を浄化したいという葛藤を満たしてくれるものだったのかもしれない。
意識は煙のように立ち上がり、そっと私の体を離れていった。
私はただ、明日が今日以上に澄んだ天気であることを願った。