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第二話 阿藤御殿

 与一が見た阿藤の館。それは坂東武者が作る戸板造りの外壁と小さな館を連ねたものではない。

 そもそこが館というにはあまりに守りに特化しており、あまつさえ三段に小山を重ねた上に立つ屋敷の全容は館というより。

 「……城、ではないのか?」

 「与一がどこから来たのか知らないけど、この程度で驚いてたら本拠の山城に招かれた時驚くわよぉ?」

 そう、与一は「城」と呼べる代物を見たことがない。せいぜい道を塞ぐ逆茂木や戸板を並べ、あるいはそれを重ねて陣としたものならば学んだことがある。

 が、そも与一が見た阿藤の館はもはやそういった急場の陣拵えとはわけが違う。平場に持った土を小山の如く積み重ね、小山の周囲を深々と空堀を巡らせている。空堀の片法面に全面に逆茂木を並べたその姿は禍々しくもあり、堀の上には大きな木板を並べて障壁と為す。さらに障壁の上には人の乗れる足場があり、物見櫓が点在し、それが三段になった小山を覆う……。

 「凄まじいな。ここまでする謂れがあるのか?」

 呟く与一はしかし、驚きもせぬ周りの女人たちの態度を見て己の考えを改めた。

 (もしや、ここな女人たちは乱世と申したが。俺が思う乱世と、程度が違うのか?)

 そも源平合戦が起こる前は曲がりなりにも平家が世を纏めていた。反駁するものもいた上に平家の圧政は見るに堪えぬものではあった。が、それでも日の下は平穏ではあったのだ。浅はかな簒奪は咎められ、暴かれた密謀は必ず大罪として罰が下った。

 だが女人たちはこの邪悪なる様相の屋敷をさも平然にとらえている節がある。与一にとってはあまりに堅牢なこの館すら、平常であると。

 館側から落とし橋が渡され、鋲打ちされた大門が開く。すでに組頭とやらに託けされているのだろう。耳が長い武者たちに怪訝な目をされても、与一は誰何されることはない。

 が。大門をくぐり終えたとたん。周囲に大物を持った鎧武者たちに囲まれた。

 「阿呆が、美代。野で寝ている武者が密偵であると考えなんだか!?」

 美代。そう叫ばれた与一の隣の女人が肩を震わせた。何度も健気に与一に話しかけていた美代は怒声に平服して声を返す。

 「申し訳ありませぬ組頭様!ですがこの者、野で伸びている時にうなされ、また連れてくる間も我らに敵意亡く……」

 「くどい!密偵はいかなる手を尽くしてもこちらを出し抜くもの!よいか、親切心は功名から離れるものと知れ!」

 主従のやり取りが続く間、与一は静かに頭を巡らせて状況を見る。鎧武者が六人、些か長すぎるように感じる槍をこちらに向けている。長物脇差を揃えた鎧武者たちは見てくれ格好は御家人そのもの。

 しかし、しかしだ。

 (……)

 そしてついに、従卒を罵倒する声の主が与一の目の前に現れた。

 「ん?」

 与一はその「女」に目を見張った。いやもはや、組頭と名乗ったその女がどのような存在であれ驚くつもりはなかった。──肌が、栗のように黒いことを除いて。

 殊更大柄、しかもその体は修練で磨かれ余す贅肉はなく、太郎武者のように半身着物を脱いでさらしで胸元を隠すその姿。手に持つ大薙刀は巴御前が振るうそれより刃が厚く、さらに刃の形が台形を成している。

 なるほど組頭と名乗るだけはある。雑兵を纏める立場ならば、これぐらいの圧と肉体を持たねば示しはつかぬだろう。与一は息を吐いて顔を組頭に向けた。

 「失礼仕る。俺は下野国に所領を持つ那須与一宗高だ。多々あって今は状況が分からぬが、主君は鎌倉殿、源頼朝に任を受けた御大将源義経が配下にして……」

 「うるっせぇ!名乗り上げていいって誰が言った!」

 与一の名乗りを遮り栗のごとき女武者が薙刀を与一に構えた。その姿を見て与一を囲んでいた武者たちの手にも力が入る。

 「お待ちを!私が引き入れたのです、責は私が……!」

 だが与一と組頭の前に美代が手を広げて立ちふさがった。その行動に組頭は怪訝な顔をし、与一は嘆息して成り行きを見守る。

 「ああぁ!?お前、誰ぞか分からぬ野人の肩を持つのか!」

 「この者、記憶が曖昧でよく分からぬことを申しております!ですがその言葉に裏はなく、また己が伏していた場所を言い当てていて……」

 「んなもんいくらでも偽証できるわ!どけ、どかぬならお前ごと斬る!」

 なるほど、美代は心根が優しく度量が広いが疑うことを知らずして、組頭は粗暴で狭量ながら人を疑う利を知っている。どちらにも甲乙つけがたい徳であると与一は思うがしかし。

 「仕方ない」

 与一は呟き、美代の肩に手を置いた。振り向く美代に与一が首を振る。その行動に美代ははっとした表情をして、ついで悔しそうに己の両手をたたんだ。

 「……観念したようだな。美代、離れろ」

 組頭の下知に美代がおずおずと離れる。その背中を与一は見送って。

 「ふむ。これでよいな」

 与一が呟いた。

 組頭が栗色の手を振り上げる。そして間髪入れずその手を振り下ろして──。

 直後、与一の手が閃いた。組頭が与一の動作にはっとして首を傾げる。彼女の長い耳を掠めるようにして、尖った石が遥か彼方の板壁に突き刺さる。

 誰もが与一の蛮行に驚き、視線を組頭に向けた。その間わずか数舜。

 だが与一にとって数舜もあれば、鎧武者を一人組敷くことは容易い。

 与一がむんずと、向けられていた長槍を掴む。視線を泳がせていた鎧武者が気が付いた時には時遅く、与一が絶妙な力加減で長槍を鎧武者から奪い取った。

 直後、与一はその長槍を膝でたたき折る。ここでようやく組頭も我に返って怒声を上げようと口を開くが。今度は手折られた長槍の石突が飛んできた。寸でのところ、組頭が薙刀で槍を叩き落とすが。

 その時には与一が穂先側の折れ槍を手に暴れまわっていた。

 そも、与一にはここの武者を殺す道理がない。だからこそ与一は殺生こそ控えるよう振舞っている。

 が、与一の動きは滑らかにして無駄がなく、それでいて純粋無垢たる殺意が与一の動きを補完していく。源平合戦から続く戦乱だけでなく、小競り合いの多かった坂東の地で父の背を追い続け修練を重ね、ついには平家追討にまで馳せ参じた武の者。


 ──那須与一宗高は実直な正直者であり、弓名手であり、そして当代ではありふれた坂東武者であった。故に彼は、生ぬるく下知を待つ鎧武者よりも、居丈高に己が配下を詰り飛ばす組頭よりも。

 ずっと、強い。

 

 奪い取り折り捕った槍の穂先を一瞬だけ検分した与一は、しかし舌打ちしてその穂先を近寄らんと一歩踏み出した武者の前に突き立てた。投じられた槍穂先は寸分狂わず、無謀にも槍を手に近寄ろうとした武者へのけん制として地面につき立つ。

 その段になってようやく他の武者たちも動き始めていた。一斉に与一に向けて槍を突き出すがしかし、与一は間隙を見事に予期して槍衾の間に潜りこんだ。

 「長槍は、このような近場で振るうものではないぞ!ましてや徒党を組んで円座に穂先を向け合うなど言語道断!誰ぞお味方差し違えても良いのならば、別だがな!」

 言葉と同時、与一がもう一本槍を奪い取った。そのまま一回転して右隣の武者の膝裏を叩き、穂本で左隣の武者の顔面を削る。瞬時に二人制圧した与一は、己が言葉で刀を抜き放った武者たちに満面の笑みを見せた。

 「良い。死合おうぞ!」

 詞が先か動きが先か、与一もまた太刀を抜き放つ。反りの深い太刀を見た鎧武者たちは緊張の面持ちで与一に刃先を向けた。

 が、生ぬるい。切ってよいものか下知を待った方がよいか、などと鎧武者たちが下らぬ雑念を持った瞬間、与一は殺すべし屠るべしと足早に目の前の鎧武者の間合いに入った。

 咄嗟に鎧武者が中段より突きに転じる。だが見切った与一は己の肩に纏った大袖で切っ先を無理やり変え、そのまま刃を大袖にこすりつけるようにして突きを封じた。

 鎧武者もある程度の修練は積んでいるのだろう、突きが不発とみるや右手が左腰の刺し物に伸びる。だが与一が果断に前に歩み、脇差を掴んだその手を脇差ごと掴み、鎧の武者の膝に脚をかけた。

 そのまま与一が鎧武者を組み伏せる。驚愕に顔を歪めた鎧武者に与一は笑顔崩さず、容赦なくその顔面に刀──ではなく、小手を纏った己の拳を叩きつけた。

 

 事ここに及び、力量は歴然に分かたれた。一瞬で間合いに入ってくる与一への行動が後手後手に回る上に、己より体躯が小さないはずの与一がまるで太郎武者の如き怪力で地面に組み伏せていく。

 六人が五人になった時はまだいい。だが槍を奪われて二人が地面に伸び、しかも組頭の目の前でまた一人与一に叩き伏せられた。無傷で立ち上がる与一はそのまま、引き腰で切っ先だけ向ける鎧武者二人に笑顔を向けた。

 「ほら、どうした。首級を上げるはいまぞ!武勲論功を上げ、己の故郷で語り草となる気概ある者はいないのか!」

 あまつさえ、与一のこの挑発。血管を額に浮かばせて見守っていた組頭の堪忍も、ついに事切れた。

 「てめぇ、好き勝手暴れたうえにその語り草!俺がじかに殺してやらぁ!」

 絶叫しながら組頭が与一の前に躍り出る。その姿を見た与一は満足げに微笑んで、そして太刀の切っ先を組頭に向けた。


 「俺は那須与一宗高!源氏が頭領、源頼朝が弟、我ら源氏の将軍にして鞍馬天狗、源義経が配下!屋島の扇落としとは俺の事ぞ!さぁ出でませい!我を斬らんばまず、組頭殿も名乗られよ!」

 「俺ぁ耳長(エルフ)が頭領にして美濃殿、阿藤臣太夫益清が娘!阿藤五鬼頭が筆頭!阿藤実琉とは俺のことだ!その首、父上の御前に献上してやらぁ!」


 かくて小さな齟齬を与一が思惑通り大事に仕立て上げ。

 組頭、阿藤実琉との一騎打ちが、阿藤の館で口火を切ることとなった。

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