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第一話 狭間の先

 与一は己の顔に浴びせられた液体の冷たさに飛び起きた。

 「義経ぇ!やめろ、やめ……あ、あれ?」

 己が総大将に罵声を浴びせて抵抗しようとした与一はしかし、周囲を胴丸と笠に身を包んだ雑兵たちに囲まれていることに気が付いた。しかも、全員が女人である。

 「あ、起きた」

 「組頭に伝えて、変な男が古風な鎧に身を包んで気絶してたって」

 与一は訳も分からず目を瞬いた。周囲を取り囲む女人たちは単ではなくなぜ胴丸を着こんでいるのか。そして、なぜみな興味深そうに与一をのぞき込んでいるのか。些か分からぬ状況を飲み込むことが出来ぬまま、いまだに血生臭い己の乾いた口をゆっくりと開いた。

 「そなた等、伊勢平氏郎党の残兵……ではない、か」

 「伊勢ぇ?そんな遠い所の出流ではないわよ」

 与一の世迷言を一人の女人が否定する。それもそのはず、彼女らが纏う胴丸には統一された朱塗りの家紋が記されていた。少なくとも伊勢を源流とする平清盛郎党──平家の家紋ではない。

 その返答を聞いてなお与一は混乱していた。そも、ここはどこか。

 与一は周囲を見る。四方を見ても屋島の海は何処にもない。青草茂る平原のすぐそばに、入京時に通った山々がこちらをみている。

 この地理、そして近傍の街道。ある程度のあたりをつけて再度周囲を見渡し、近江の大湖が見えないところから与一は己が伏していた場所を正確に把握した。

 

 「不破の関近く──関ケ原、か」


 「へぇ、山を見ただけで居場所が分かるんだ」

 声をかけてきた女人の驚愕に胡乱気な目を向ける与一。

 「武者の嗜みではないのか、己が駆ける戦場に通ずることはすなわち武勲論功の由緒正しき筋道……」

 「ちょっと、古臭いお説教なんて御免だよ。ほら、立てる?少なくとも敵ではないみたいだし、顔いろ悪いから館で養生した方がいいって」

 与一が正道を説こうと口を開いたが、話していた女人に手をひらりと振られて会話を打ち切られた。翻したその手を差し伸べる女人の態度に苦笑しつつ、彼女が伸ばした柔らかく大きな手を握って立ち上がる与一。

 ──ふと、違和感に気が付いた。女人たちの方がみな背が高い。

 そも体躯なぞ千差万別。与一も数人程度己より大きな女人を見たことがある。与一は他の武者より矮躯であり、女人と並んであまり大見えしないことを嗤われたこともしばしばだ。

 だが、違和感の正体はそこではない。「みな」与一より背丈が高い。ばかりでなく、黒塗りの笠に隠れて見えなんだがその耳……些か、横に突き出してはおらなんだか?

 「……耳が、長い」

 「あら?あなた耳長(エルフ)ではないの?」

 「え、るふ。なんだそれは」

 「ん?んん?そういえば貴方、耳が小さいわね……。でも羽もないし髪も白くないし。まさか耳切り……な訳ないか。だとすれば尻尾が生えてるし、横に耳は生えてないものね」

 一人で合点する女人に不安を覚えた与一だが、ここで抗うにも先の義経の一件もある。さらに周りを見渡せば女人ならざる確かな武人の気配が漂う多勢、矢鱈と暴れるだけ死を早めるだけ。

 (ここな長耳たちはどこぞの氏族の末裔か?薩摩隼人とか、蝦夷地のものたちか?なんにせよまずは強かに組頭とやらの顔を見て、次の動きを決めるほかないか)

 組頭。分からぬ語彙だがその実推察はたやすい。ある程度の雑兵を纏める従卒の頭なのだろう。だが少なくとも義経、頼朝だけでなく敵方の平家頭からすらそのような語彙を聞いたためしがない。

 なんにせよ、与一の雑兵という見方はある程度正しき様子が見受けられる。それに、だ。与一には気になる部分が多分にあった。

 (女人が戦働きか……些か妙だ。男が足らぬのか?いやそのような情理をこの女たちからは感じぬ。率先して歩む脚、統制の取れた視線、警戒の度合いも徴用された女子供とはわけが違う)

 与一にも思い当たる人物は多い。木曽殿に付き添っていた巴御前は薙刀の名手であり戦で武勲を立てんと木曽殿──源氏の異端児、木曽義仲に付き添っていた。彼女もまた志願し鍛錬し、武勲を積まんと戦ってきたことを与一も存じている。

 だが……この女人たちはそのような雰囲気はない。武勲のために戦場を闊歩し首級を上げんと息巻く。そのような郎党でないことは立ち振る舞いから明らか。

 「ねぇ、耳短い人。お名前は?」

 唐突に与一を起こした女人に声をかけられる。与一は頭一つ大きい彼女の顔をしげしげと見つめた。

 美麗であるが、都で風流雅とされた丸面ではない。だがその目鼻立ちの整い方は美醜でいえば圧倒的に美の方であることは与一にも明らかだ。先ほどは違和感を感じなかったが、笠の下で纏め髪にしてある頭髪は金色の絹のように細くなめらか。些か白すぎるその肌は献上品の白絹のごとく。肢体もまた豊満であり、まるで戦人とは思えぬ……。

 「ちょっと、他人の顔を見つめてどうしたの?」

 「いやあいすまぬ。俺の名は那須与一宗高、下野国に所領を置く坂東武者で河内源氏、鎌倉殿に組する御家人……」

 与一が己の出自を述べるが、みるみるうちに目の前の女人の顔が曇っていった。すわ平家の御家人かと与一が身構えるが。

 「あの~……何一つ分からないんだけど」

 「は?」

 「下野国だけは分かったわ!だけど那須家なんて聞いたことないし、そのこうちげんじ、てなに?鎌倉殿って、鎌倉みたいな場所に居を置く武将で殿呼びの御方はいないはず?」

 女人の声を今度は与一が理解できぬ。女人たちはいったい何を論拠に与一の話を否定するのか?

 「しばしまて。今は元暦二年の日の下であるな?今は源平合戦の真っ最中で、源氏が優勢のまま事が進み……。まさかここは宋の倭人街か?いやいやいやいや、ここは関が原でお主たちは……お主たちは何者だ?」

 与一の震える声が混乱をきたしていることでようやく女人も違和感を感じたのだろう。怪訝な顔で与一を見つめて、彼の求めに応じて応える。


 「そうよ。ここは日本、日の下。だけど今は元暦二年なんて年号じゃないし、その、げんぺいがっせんって、なにかしら?」


 女人の言葉で、与一の顔面から血の気が引き切った。


 「今は享平六年で、もし合戦が戦の事ならば……。今は群雄割拠の戦国時代よ。あなた、どこから来たの?」


 もはや女人の声は与一の耳に遠く聞こえるだけ。代わりに聞こえてくるのはあの憎き鞍馬天狗の意地らしい高い声だった。

 (刻流し……だったか。流しという意味が遠流と同じと捉えるならば……あの男、俺に何をした?)

 与一の求める答えを、ここにいる誰もが知ることはないだろう。黙り伏した与一の顔を慮って、話しかけていた女人もそれ以上声をかけることなく前を向き、歩き出す。

 沈黙が皆を包む。だが歩けばいずこにたどり着くもの。

 「ほら、見えてきたわよ。阿藤様の館、あそこ」

 努めて朗らかに女人が与一に声をかける。その声に顔を上げた与一はしかし、その「館」は与一が思っていた平造りの館とは趣を異にしていた。

 

 

 

 


  

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