アマゾン
重厚な防音扉が閉じられた永田町地下の会議室。蛍光灯の冷たい光が、長テーブルを囲む男たちの顔に照り返っていた。
壁に設置された大型モニターには、復元されたばかりの監視映像が再生されている。負傷した青年が、一匹の猫を抱えて瞬間的に空間から姿を消す――静まり返った室内には、電子音さえ聞こえてこない。
「……これが、復元された監視カメラの映像です。」
説明したのは、眼鏡をかけた公安庁の長官だった。映像を見ながらも、彼の目は別のデータを追っている。
次の瞬間、テーブルの奥で座っていた初老の男が、手を組んだまま重く呟いた。
「……ありうべからず事態だ。」
内閣総理大臣。小さく眉をしかめ、顔に刻まれたシワを深くした。
誰も口を挟まない。重い言葉が、室内の空気をさらに張り詰めさせた。
「高度なハッキングによる映像遮断。外部通信の妨害を排除した上での、目的を絞った侵入と即時撤退。衝動的に見えて、極めて冷静かつ計画的です。」
官房長官が手元の資料を閉じ、静かに続けた。機械的な口調だが、その声には緊迫感がこもっていた。
「放置すれば、国家の根幹が揺らぎます。」
一拍置いて、制服姿の男が重々しく言葉を発した。
「……テンラのように懐柔することはできないのか? その力を使えば、日本が世界の主導権を握ることも夢ではない。」
自衛隊統合幕僚長。現場の最高責任者として、現実的な運用を常に優先する姿勢を崩さない。しかし、その言葉に賛同の声は無かった。
「それは難しいでしょう。不死身の少女への人体実験を目撃した瞬間、彼は激しく怒り狂ったと報告されています。明確な敵意を持っている。――我々の秩序とは、決して相容れない思想の持ち主です。」
公安長官が言い切ると、総理が机を軽く指で叩いた。
「では、どうする? 捕えるにせよ、排除するにせよ……転移能力者など、どうやって探す?」
返答に立ち上がったのは官房長官だった。冷ややかな目を周囲に向け、低く告げる。
「探すのではありません。出てきてもらうのです。」
「……何を言っている。そんなことが……どうやって?」
総理が眉を上げた。その横で公安長官が、ためらいなく続ける。
「彼が奪った被検体“アヤネ”。その家族を、すでに“保護”しています。」
その言葉が響いた瞬間、室内の空気が一変した。突然、全員が一歩下がったように感じた。心臓が鼓動を速め、呼吸の音すらも重く響く。視線が交錯し、誰もが口を開こうとするも、その場に張り詰めた緊張感が言葉を飲み込んでいた。
「……まさか、君は……」
室内に沈黙が落ちた。誰も口を開けない。冷えた空気の中に、かすかな緊張のきしみ音だけが響いた。
土の匂い。濃密すぎる酸素。肌を這うような熱気と湿気。そして、耳に突き刺さる虫の羽音――。ジンは怪力に会いに行くため、1人アマゾンまで来ていた。
「ひえー。やっぱ虫だらけだな……」
荷物から虫除けスプレーをこれでもかというくらい全身に振り付けた。
目の前には樹齢数百年はあるでかすぎる木。その幹は三人がかりでも抱えきれなさそうだった。
上を見上げる。空は見えない。幾層にも重なった樹冠が太陽光を遮っていて、昼間なのに薄暗い。
「でっけーな……。もう異世界だろ……」
どこかでサルの叫び声がする。葉の擦れる音がして、何かが木の上を駆けた。すぐ近くの茂みでは、何かが小さく鳴き、地を這っている気配がある。
「変な虫に噛まれる前に、さっさとおっさん見つけちまおう。」
ジンは辺りで1番背の高そうな樹木を探し、その幹の上まで転移して登る。
周囲を見下ろすと、一面の緑。見渡す限りのジャングルが、果てもなく広がっていた。切り立った山肌のような部分にだけ赤茶けた岩肌が覗いているが、それ以外はすべて濃い緑に覆われている。
「……これ、探すってレベルじゃねえな」
ジンは額の汗をぬぐいながら、小さくため息をついた。
――だが、見つけるしかない。
アヤネの千里眼で確認された怪力の“おおよその位置”を頼りに、ジンは南西の方角に目を向ける。濃霧のような湿気の中、その先に何かがあるとは思えない。
「もっとちゃんと場所聞いとくんだった」
半ば後悔しながらも、根気強く周囲に目を凝らしていると…
バサッ!ザザザザザーっと、一本の木が周囲を樹木を押し除けるように倒れて行くのが見えた。
「……今の、まさか――」
ジンは即座に南西の方角へ飛ぶ。湿った草と枝を踏みしめて着地した瞬間、むせかえるような緑の匂いが鼻を突いた。
そこには、無惨にへし折られた巨木の残骸。折れ口は斧でもナタでもなく、ねじ切ったように割れている。木の皮がズルリと剥がれ、内部の繊維がむき出しになっていた。
「……こりゃ腕力で、へし折ってるな……やべー。」
地面には新しい足跡。裸足で踏みしめたらしい土のくぼみが、しっかりと残っている。あたりの草や木の枝が、何かに押し除けられたように潰れて折れていた。
そして――
「おいおい……あれって……!」
さらに先の茂みの奥に、土を掘って積まれた何かの“壁”が見える。ツタで編まれた屋根。木を組んだ柱。動物の骨で作られた柵のようなものまで。
まるで、サバイバル生活を極めた野人の家だった。
ジンは恐る恐る、ツタをくぐって中に入った。
中は思ったより整っていた。干した草を土台に、上には獣の毛皮を敷いたベッド。骨で削ったスプーン、ヤシの実をくり抜いた器、干された肉の束まである。文明から完全に断絶された中で、ここまで整えられるのは、並の人間じゃない。
「……何の肉だ…?ちょっと食ってみるか…」
その時だった。
ズズッ……ズッ……。
何かを引き摺り、地面を踏みしめる異様な音が、背後から近づいてきた。
「!」
ジンが振り返るより早く、ツタのカーテンがバサリと揺れた。
現れたのは――
無造作に乱れた髪に、伸び放題の髭、上半身は裸、肩からは何かの獣の皮をぐるりと巻きつけていて、下半身も似たような皮でできた腰巻き姿の男。
片手には、丸太ほどの木の枝を担ぎ、もう一方の手には――でっかい爬虫類の死体をズルズルと引きずっていた。
「ふぃ〜……ごはん、ご飯〜♪……あれ?」
怪力の野生人とジンの目が合った…。
辺りには夕闇が包み始めていた。




