05. ナンシーの正体
慌てて彼女達が座っていたベンチまで行き、その表面に手を当てる。まだ微かにぬくもりが残っていた。
さらに、ベンチの周りを注意深く眺める。ベンチの脚の少し内側に、きらりと白く光るものがひと粒落ちていることにきづいた。
つまみあげてみれば、ひと粒の真珠。
「岳雪の緊急信号!?」
間違いなくその真珠は岳雪のものだった。何かまずいことがあった場合、大抵これが転がっているのだ。
俺が入団試験にかまけている間に、何かトラブルに巻き込まれたらしい。
非常にまずい状況だ。
今の俺の身体はオリヴィアの身体だ。この身体だと、術は使えないし、エージェントとしての能力も無い。
岳雪もいないときた。
しかもいつオリヴィアの、つまり女性の身体に戻るかわからない。
胸元の翡翠色のペンダントをぎゅっと握って、深呼吸する。
「オリバー、どうかしたのか。この後は、入団のための手続きがあるんだが」
ベンチの側で膝をついて神妙な顔をしている俺を心配してくれたのだろう。ウィリアムが、すぐ傍らで俺の手元を覗き込んでくる。
「入団手続きは俺の付き添いで来た二人と合流してからで頼む」
ぎゅっと真珠を一度握り、ぱっと地面に投げた。真珠は何度かくるくるとその場をまわると、一方向に転がりだす。
「え?お、おい!」
ウィリアムの戸惑う声を背中に聞きながら、真珠を追って走り出す。この転がりついた先に、岳雪がいるはずだ。
ころころと転がる真珠は兵舎をぐるりと通り抜ける。さらに兵器庫へ転がったかと思えば、その片隅にある階段を、てんてんと重力に反して登ってゆく。
真珠を見失わないように、ひたすら走る俺の後ろを追いかけてくる気配。おそらくウィリアムだ。ウィリアムに構う余裕はなく、俺は真珠に導かれるまま、階段を昇る。
階段を昇った先は静かな廊下が続いており、いくつか観音開きの扉が見えた。
奥の扉が少し開いており、そこから激しく言い争うような声や物が倒れる音が聞こえる。
真珠がそこへ転がり込んで行くのが見えた。
慌てて扉を開けると、そこは広めのホールだった。おそらく屋内で集会が行われる場合はここを使うのだろう。ホールの前部はステージのように小高くなっており、大きな窓がいくつも設置されていて開放的に明るい。天井は高く、三メートルほどの高さのところにぐるりと細い廊下のようなギャラリーで囲まれている。華美な装飾はなく、石づくりの柱が重厚で無機質な雰囲気を醸し出している。
たしかにそこには、ナンシーと俺の身体、つまりオリヴィアがいた。
そして、見知らぬ男が三人。
男のうち二人は剣を携えており、もう一人は杖をついた老人だった。隻眼だ。老人といっても、元軍人なのだろう。その体格や立ち姿には独特の気迫が満ちている。
オリヴィアは、震えながら剣を構えて男たちと対峙している。ナンシーはオリヴィアに庇われながら、なにやら大事そうに紙の束を胸に抱きしめていた。
今にも剣を持った男が二人に襲いかかりそうな緊迫した状況だ。
とりあえず手近な男にタックルして吹き飛ばし、剣を奪う。
「二人とも、無事か!」
ナンシーは無傷だが、エドワードの身体には擦り傷や打撲、よく見れば右腕に浅く斬られた後があった。
「これはこれは。入団志望者の方ですな。先程の腕前実に素晴らしかった」
老人の声に、ウィリアムが驚く。
「サイモン卿!?なぜあなたがここに」
「ウィリアム、入団志望者、あの女をひっとらえよ。機密文書を盗み出そうとした間者だ」
サイモン卿と呼ばれた男が、指差したのはナンシーだった。おそらく、ナンシーが抱えているのが機密文書だろう。
ウィリアムは、眉をひそめて、ナンシーとサイモン卿と呼ばれた男を交互に見つめている。
『サイモン卿の言葉は本当です。貴方の入団試験が始まったあと、確かにナンシーはここに忍び込み、文書を持ち出そうとしていました』
耳元でこそっと、岳雪の声。いつのまにか、ピアスの変化を解いてねずみの姿で俺の肩にのぼっている。
『オリヴィアはナンシーを心配してついてきたのですが、文書を一目見た途端オリヴィアがナンシーを守ったのです。文書の中身は把握できていません』
岳雪の状況報告を聞いても、いまいち何が起こったのかよくわからない。
俺がすぐ横のナンシーを見ると、ひどく不安げな表情を浮かべていた。
判断は一瞬だった。この世界での善悪とか、はっきりいって、俺にとってはどうでもいい。
剣を構え直す。
「お前たちの事情など知らん!この子に手を出すやつは、俺が叩き斬る!」
まるで俺の言葉が合図だったかのように、剣を持った男が斬りかかってきた。鋭い剣筋を受け、返す刃でそいつの首をかききろうとしたその時。
「頼む!なるべく殺すな!」
ナンシーの声に首の薄皮一枚で俺の刃が止まる。突いてくる相手の刃先をギリギリで躱して、男の腹を蹴り、距離をとる。
部屋の入り口から騒がしい足音。
「何事ですか!?」
騒ぎを聞きつけたのか、何人もの騎士や騎士見習いと思しき男たちが部屋の中に踏み込んできた。
「賊だ!殺してかまわん!」
サイモン卿の言葉に、新たに来た男たちが剣を抜いて構える。多勢に無勢もいいところだ。
「岳雪、なんとか意識をエドワードに戻せないか!?この身体じゃやりにくい!」
『それは、私もさっきから思ってますが、下手に隙を見せたらすぐ殺されそうです!』
岳雪が俺の肩の上で慌てたように、ちょろちょろ回る。うーん、こいつがテンパってるの、めずらしい。
「エドワード」
喧騒と不釣り合いなほどの落ち着いた声。
ナンシーだった。
「私が時間を稼ぐ。そのうちに元の身体にもどるといい」
ナンシーが、ふわりと、びっくりするほど、俺に向かって穏やかに微笑んだ。まるでこの、殺気に包まれている状況など、なんでもないというように。
「何があっても私を守ってほしい。君を信じる」
ナンシーが俺達の前に歩み出る。
そして、朗々と高らかに叫んだ。
「下がれ!この私を誰だと心得る!」
今までの、給仕が下手くそなメイドとは思えないほどの威厳ある声。
それとともに、ナンシーから湧き上がる強烈な術の起きる気配。しかも、知ってるやつ。
「なっ、これは、変化の解除か!?」
『とりあえず、いまのうちにオリヴィアと意識を交換しますよ!』
岳雪に急かされて、剣を抱えて半分へたりこんでいるエドワード⸺もといオリヴィアの肩をつかむ。
「大丈夫か。よくナンシーと俺の身体を守ってくれた」
「す、すみません、ちょっと剣とかこわくて」
翡翠色のペンダントをエドワードの身体にかけて、なきべそ半分の瞳を覗き込む。
ぐるりと意識が反転する。俺の意識は元通りエドワードへ。オリヴィアはオリヴィアへ。
ぐらつくオリヴィアをそこへ座らせ、エドワードの身体で俺は見た。
ナンシーの貌が変わるのを。
そこにいたのは、栗色の髪の女の子ではなかった。
短いブロンドの髪、背の高さはエドワードと同じくらいだろうか。すらりとした体躯には白を基調としたジャケットを纏っている。ちらりとこちらを見た瞳は、蜂蜜のような金色だった。
「グレアム第一王子!?」
んんっ!?王子!?王女じゃなくて?
あれっ、ナンシーは!?
グレアム第一王子の前に、部屋に詰めかけていた騎士達のうち数人は膝をついて頭を垂れている。ウィリアムも、膝をついているのが見えた。
「この機密文書、王家転覆のための連判状だ。サイモン卿、あなたの名前もここに記されている。王立騎士団によるクーデタの計画、我々が知らないとでも思ったか!」
ナンシーであったグレアム王子が、持っていた文書の一頁をサイモン卿に指し示した。
「これはこれは。まさかこんなところで第一王子にお会いできるとは。随分と探しましたぞ」
サイモンは、怯むことなくグレアムを見て嬉しそうに笑みを浮かべた。
「そちらから本拠地に来てくれるとは、好都合。もともと見つけ次第、貴方は殺すつもりでしたからな。やれ!」
その言葉とともに、ぎりぎりと弓を引き絞る音。
擦過音とともに、グレアム王子めがけて飛んできた二本の矢のうち、一本は俺が素早く掴み、もう一本は、ウィリアムが斬り捨てた。
「サイモン卿!今の言葉は本当ですか!王家転覆などと」
ウィリアムの鋭い指摘に、サイモン卿がにやりと笑う。
「騎士団の三分の二の同意は得ている。今ここにいるほとんどは、同意してくれている者ばかりよ」
さらに足音とととに、新たな騎士達が現れ、剣を構える。いつの間に配置されていたのか、ホールの上部のギャラリーからも、弓をつがえる騎士の姿が見えた。
彼らはおそらく、サイモン卿の国家転覆に加担している者たちなのだろう。
「騎士団が……なんということ……」
ウィリアムの震える声が聞こえる。
「ここでグレアム王子および、騎士団内の反対勢力を一網打尽にしてくれる」
サイモン卿が、カッと杖を鳴らすと同時に、周りの殺気が膨れ上がる。
『これは……さすがに依頼の範囲外の事態です!この興奮状態では、私の幻惑も、局員手帳も効きません!』
耳元で、岳雪が震えながらピーピー鳴いている。
『梅コースで使える手札では無理です!エドワード、依頼主を連れて逃げましょう!』
「ウィリアムとナンシーは!?」
『さすがに転移の人数オーバーです!諦めてください!あと、ナンシーなんて子はいなかったんです!』
岳雪の無情な声が響く。
ナンシー、いないとか……。
じわじわくる衝撃に、思わず呆然としかけたそのとき。
「エドワード、頼む!」
グレアム王子のやや焦った声に、我に返った。
栗色の髪でふわりと笑う彼女の笑顔が、浮かぶ。
ナンシーは、いないけど、ナンシーはいなかったけど!
俺は胸元の翡翠色のペンダントを咥える。
『ちょ、まともな術の使用は始末書ものですよ!』
「始末書とかしるかー!一応、ナンシー守るって約束したからな!!ナンシーいなかったけど!!」
自分で言ってて虚しくなりつつ、傍らのオリヴィアの懐に腕をつっこむ。
「えっ、きゃあ!」
オリヴィアの野太い叫び声を聞きながら引っ張り出したのは性転換薬。ガラス瓶の中の錠剤状のそれはまだ随分と残っている。
一度素早く印を組みつつ、性転換薬を指弾で打ち出す。それは綺麗に弧を描いて、殺気立った男達の口の中に次々と入っていく。
投擲の軌道をうまく制御して狙ったところに確実にあてる術だ。ごくシンプルな、補佐的な術であるため、そこまでリソースを食わずコスパの良い術である。
ぽむっ、ぽむっ、ぽむっ
軽快な音を立てながら、男達が女の子にかわってゆく。
「はあっ!?」
「うわあっ!?」
「きゃあ!」
女の子になった彼らは、弓や剣の重さに耐えきれず、次々と武器を取り落とす。
「な、なんだとおお!?」
妖艶なマダムと化したサイモン卿が、驚愕の声をあげる。
「ウィリアム!今のうちだ、やつらを無力化する!」
「お……おうっ!」
「エドワード、私も加勢する!」
戸惑っているウィリアムと、グレアムとともに、突然女の子になって困惑している男達、いや、女達を、とにかく片っ端から死なない程度にボコり、縛り上げた。
『あわわ、なんてカオス』
耳元の岳雪のドン引いた声は無視して、俺はひたすら無心で仕事した。