02. ガチャタイム
静かに夜風が吹き抜けるバルコニーで、オリヴィアと相対する。オリヴィアはきれいに巻き上げた赤毛に琥珀色の瞳、やや気が強そうではあるが芯の強さを感じさせる女性だった。すっごく、仕事できそう。
バルコニーには俺達以外、他には誰もいない。つやつやした白い欄干の向こうには、夜霧に紛れて綺麗に整えられた庭園が広がっている。ここへと続く扉には人避けの術をかけているから、邪魔がはいることはない。
「やることは、それなりにやりましたの」
白い欄干に軽く身体を預けながら、開いた扇子を口元にあて、オリヴィアは目を伏せた。
「前世での記憶を活かし、経済基盤を整備し、傾きかけていた家門も立て直し、地位も名誉も富も確立して、あとは元々の目的だった素敵な恋愛をするだけなんですけど」
ひとつ小さくためいきをつき、手に持っていた扇子をぱちんと閉じた。その象牙色の艶めきを口元に軽く押し当て、庭園に佇む彫像を眺める。
白々とした月光に照らされた、その水瓶を持つ女性の彫像に向けて、オリヴィアはきっぱりと言い放った。
「私、よく考えたら前世から、恋愛苦手でした!!」
オリヴィアは語った。
そもそも、男性と付き合った経験が前世からして無い。学生時代は勉学に明け暮れ、社会人になってからは仕事に邁進。恋愛のことをなるべく考えないようにしてきた。恋愛として意識しようとすると、どうしても恥ずかしくて男性と向き合えないのだ。しかも、必要以上に近寄られると緊張して挙動不審になってしまう。
それは、転生した今でも変わらず。せっかく名も身体も身分もすべてが変わったのに、結局本当に成し遂げたいものにうまく向き合えない。
「自分が可愛げのある女ではない、ということはよくわかっているのです。好きな方ができても、私などといては面白みがないのでは、と」
閉じた扇子をもう一度開き、その陰に視線を落とす。
「悩むばかりのときにふと、転生時にアフターサービスオプションに申し込んでいたことをおもいだしたのです」
アフターサービスオプション。つまり、俺達、異世界秩序管理局によるトラブル対応サービスのことだ。
俺は、こそこそっと、オリヴィアに聞こえないようにピアスに変化している岳雪に話しかける。
「なんかこの依頼、すごい難しそうなんだけど。いつもみたいに、ターゲット暗殺して終わりって感じじゃなくない?」
『結構、こういうのも多いですよ。とりあえず、彼女がちゃんと恋愛できるようにサポートするのが今回のミッションですね。ほら、情報収集!』
岳雪に急かされるように、俺はオリヴィアに向き直る。
「今は意中の男性がいらっしゃると聞きましたが」
オリヴィアが、さらに扇子の陰に深く潜った。
「は、はい。この前、暴漢に襲われた時に助けてもらった騎士の方が素敵だなって。その方と恋愛してみたいのですが、全くうまく行かなくて。手伝ってほしいのです」
頬に扇子をあてつつ、オリヴィアがうっとりと語りだす。
暴漢に襲われた時に颯爽と斬り伏せ助けてくれた彼がどんなに素敵だったか。「大丈夫ですか」と、兜を脱いだときの、淡いブロンドの髪にグリーンの瞳。日に焼けた精悍さもまたよし。
彼の名は、ウィリアム・グローブス。王立騎士団に所属しているというのは、あとで知ったらしい。
「お近づきになりたいのはやまやまですが、毎日胸がどきどきするばかりで、どうしたらよいのか」
一通り聞いて、俺はまた岳雪に、こそこそ話しかける。
「ほんとに、ガチ恋愛相談なんだけど、俺、大丈夫かな」
『大丈夫、大丈夫。貴方、恋愛経験豊富でしょう?全部玉砕してるけど。ほら、依頼内容は聞いたから契約内容確認してください』
くそっ、全部玉砕してるとか、余計なお世話すぎる。
あとで、むにむにしまくってやる、ふわふわねずみめ。
心の中で毒づきつつ、顔は平静を装う。
「なるほど承知いたしました、オリヴィア様。では、対応に入る前に契約の確認を。今回は『梅』コース。基本的に我々はサポートに徹し、成功保証は無いものとなります。オリヴィア様ご自身で頑張る要素が多いコースです。お間違えないですね?」
「はい、追加では対価を支払えませんので」
ちょっと悔しそうにオリヴィアが眉を歪める。
ちなみに、コースは松・竹・梅とあり、梅が最もリーズナブル。お安いコースである。
「我々、全力でサポートしますので、ご安心を。岳雪!」
ぽむっとふわふわねずみが俺の肩の上にでてきて、ピピッと鳴く。
「こちらは岳雪。私とともに、あなたをサポートいたします」
岳雪がオリヴィアに向かってペコリとおじぎめいた格好で耳を伏せる。ぴこんと耳をあげると、ちょろちょろっと、俺の伸ばした腕を駆け下り、床にぴょんとジャンプした。ぽむっともう一度、変化音。
突如、周りの雰囲気にそぐわないチープなガチャガチャマシーンがバルコニーに出現した。岳雪の変化である。無機質な白い筐体に、指でくるりとまわせる青いハンドル。上部の透明な部分からは丸いカプセルがいくつも入っているのが見えた。
「オリヴィア様、こちらをまわしてください。今回、我々が直接あなたに対して起こせる奇跡には限りがあります。これで出てきたアイテムこそが、あなたを助けてくれるでしょう。どう使うかは貴方次第です」
「え…………じゃあ、がちゃりと」
場違いすぎる筐体に戸惑いつつも、オリヴィアがガチャをまわす。そう、人間、回していいよって言われたら大抵みんな抗えずにまわすよね。
ちなみに、転生者に対してのアイテム受け渡し手法は今までいくつか試したのだが、ガチャから入手してもらうのが最も自然に受け取ってもらいやすく、活用もしてくれるという知見が得られている。俺調べ。
ガチャマシーンが、ブルブルと震えだす。内包するカプセル達がぐるんぐるん中でまわっている。ひとしきり騒がしく震えた後、ころりとまるっこいカプセルが転がりでてきた。
同時に、ぽむっと音を立てて、岳雪がねずみの姿に戻る。
ぱかりと開ければ中には粒のような錠剤がたくさん入った小さな小瓶と説明書。
みんなで説明書をのぞきこむ。
「これをもとに計画を立てましょう。えーっと、この小瓶の中身は……」
説明書にはこう書かれていた。
性転換薬⸺一粒飲めば一時間、飲んだ者の性別を変えることができる
えっ、これ、なんために使うの。
「なるほど、そういうことですね!さすが、異世界秩序管理局です!」
戸惑う俺を置き去りに、オリヴィアがぽんっと手をうった。
えっ、どういうこと。
思わず岳雪を見るも、岳雪も、ちっちゃい頭をくりっと傾げている。
「オリヴィア様!」
ややハスキーな可愛らしい声とともに、バルコニーからホールへと続く扉が、大きく開かれたのはその時だった。
それは、見紛うはずもない、あのかわいい栗色の髪の女の子。
「こちらにいらっしゃったのですね、そろそろお帰りのお時間ですので、探しておりました」
「あら、ありがとうナンシー」
頭の上の岳雪が、牽制するようにピッピ鳴きながら俺の頭をぺしぺししているが、そんなことは気にならなかった。
俺は、すっと前に出てナンシーの手をとる。
「またお目にかかれるとは光栄です。もはや運命。ナンシーというお名前なのですね、とても可憐で素敵です。私はエドワード、今度一緒にお茶会でもいかがですか」
「ちょ、えっ、ええっ」
戸惑うナンシーを逃さないよう、手をきゅっと握る。
「オリヴィア様、ナンシーとはどのようなご関係です?もしよろしければ、彼女ともっと仲良くなりたいのですが」
オリヴィアは、少し顔を赤らめながら、瞬きもせず俺とナンシーを見つめている。
「ナンシーは、最近、不定期でうちで雇っている使用人なのですが、まあ、そんなことよりも」
オリヴィアが、静かに歩み寄り、俺の肩に手をぽんと置く。輝くその瞳に込められているのは、おそらく尊敬と期待。
「その積極さ、躊躇ない恋への向き合い方。師匠とお呼びしても?」
いや、意味わからん。