第8話 返礼
「――何故、実験対象を共和国ではなく皇国へと落としたのですか? それもわざわざ若くしてまで」
共和国の技術者達に造らせた実験室。
その部屋の中央にある大きなモニターを見て、隣にいる巫女の女性――夜澄が私に問い掛けてくる。年齢は三十五歳と、若々しい時代を過ぎているにもかかわらず、瑞々しい肌と美貌を持っている。
「共和国の価値観に染まり切った者を実験対象としても意味はないだろう? それにその頃はまだ大統領ではなかったし、何が正しいか迷っていた時期だ。共和国側でも皇国側でもない、どちらの価値観にも偏りがない者が存在すれば、どのような影響や変化があるのか。それを調べるのもこの実験の趣旨なんだ」
私が一通りの理由を教えると夜澄はそれでも分からないとばかりに首を傾げた。
まあ、文化の違う〈皇御国〉出身である彼女には理解しにくいのかもしれない。だが、苦しい思いまでしてこの国に来て実験に協力してくれるのだから、必ず成果を上げなければならないな。
「あとは、過去の貴方の選択が正しかったのかを確かめる為。そして、後にも先にも誇れる選択を取る為。そうでしょう――葉一?」
◆
〈皇御国〉と〈アズグラッド共和国〉が一戦交えてから、一週間の時が経った。
今もなお戦時中とはいえ、共和国軍の攻撃のない日の〈皇御国〉は相も変わらず平和そのものであり、葉一は早朝の農作業に勤しんでいた。
「まだ夜澄さんに謝れてない……」
戦が起きた日の晩。夜澄は疲れた様子で家に戻ってきた。夜澄を出迎えた葉一は早速前日の一件を謝ろうとしたが、夜澄の顔が酷くやつれている事に気が付いた。
もしかしたら怪我をしたのかもと思った葉一は「辛くはないんですか」と尋ねたが、
――――大丈夫、ただ疲れただけですから。
――――巫女の使命で国に尽くせたのだから、むしろ喜ばしい事です。
と、夜澄に気丈に振る舞われ、どうにも言い出せずに今に至っている。
葉一自身、どうにかして謝りたいと思ってはいるものの、今朝は別行動を言い渡され、周囲に夜澄の姿はない。
「あの時の夜澄さん、顔が真っ青だった。やっぱり怪我をしたんだろうか……でも、今は平然としているし……うーむ」
あの夜の夜澄を忘れられず、葉一が律儀に謝って安否を確かめるか悩んでいると、サボっていたところを見ていた者が大きく息を吸い込んだ。
「こらぁ‼ 何をサボっておるか葉一!」
「うわぁ⁉ い゙っ――」
大音声で咎められしまった葉一が驚きのあまり持っていた鍬を足に落とす。金属部分が足の表面にのしかかり、思わず跳ねるように身体を震わせる。
「全く。うわの空で情けない。何を考えておったのじゃ」
「~~っ……お、おじいさん」
無様を晒す葉一に声を掛けたのは、初めて農作業に取り組んだ時にも罵声を浴びせてきた老人だった。
「なにを、考えておったのじゃ?」
「えっと、その……そう! 共和国について考えていました。皆さん、最初は僕の事を共和国の人間だと思っていたようなので、どういう国なのかなと」
「うむ、つい先日共和国が攻めてきたばかりじゃからな。記憶のないお主が気になるのも無理はなかろうて」
夜澄を信奉する老人には本当の事を伝えられず、咄嗟に共和国の話題を引っ張り出す葉一。そんな思い付きの話題に老人は嘘を疑う事なく感慨深げに頷いて見せた。
「…………いえ、嘘を吐きました。本当は夜澄さんの事を、考えていました」
だが、葉一はすぐに本当の事を話す決心をした。くよくよと悩んでいるからこそ、何も進展しないと思ったから。そして、記憶喪失の自分に対する親切を無碍にする事はとても胸が痛んだから。
「一週間前、僕は凄く無神経な発言をしたんです。夜澄さんやこの国の事情を考えずに思った事を口にしてしまった……その事をずっと謝りたかった」
「ならば、謝れば良かろう」
「言えなかった理由は他にもあるんです。夜澄さんがあの日無事に帰ってきた時、凄く顔色が悪かった。でも、夜澄さんは大丈夫だと強がっていたんです。だから、どうにも言い出せずにここまで引きずってしまった……」
老人は葉一の話を馬鹿にした様子もなく、むしろ真剣に耳を傾けてくれていた。その懐の広さに甘えて、葉一は胸の内を曝け出す。
「余所者の僕がこうして馴染めたのも夜澄さんのおかげです。仕事をさせてくれたり、巫女の仕事に付き合わせてくれたりするのは、早くこの国に馴染めるように気遣ってくれた証拠だと思います。だから、謝るのと同時に日頃の感謝を伝えたいんです」
独特の文化や生活様式。記憶にはない慣れない事ばかりだった葉一がそれでも何不自由なく生活できてきたのは、いつだって夜澄の献身があったればこそ。
ならば、その献身に見合う礼を返さなければ失礼というものだろう。
「……そういう事なら協力してやらんでもない」
「本当ですか⁉」
「夜澄様には本当に世話になっておる。そういう理由なら他の奴等も協力したがるだろうて」
「ありがとうございます!」
葉一は深々と頭を下げた。すると、話はまだ終わってないとばかりに老人が咳払いをして、
「じゃが、一つだけ要望がある……やるなら徹底的にじゃ。あのお方はかなりの頑固者じゃからな」
「それは僕も感じていました。では、こういうのはどうでしょう――」
日頃の夜澄の姿を思い浮かべていた葉一はふと思い付いたアイデアを提案した。
◆
「おかしいですね……今朝は誰も助けを必要としていないだなんて」
朝のお勤めを果たし、夜澄は自宅に帰ってきていた。
「朝は葉一がいませんでしたし、ちゃんと朝食は取ったのでしょうか……」
朝からいなかった葉一の心配をしつつ、家の扉を開けようとして気付く。
「……この匂いは……うぅ」
屋根の近くにある木格子から何やら美味しそうな香りが漂ってきている。鼻でそれを感じた瞬間、夜澄の腹が盛大に鳴っていた。
見上げれば、太陽は既に真上に来ており昼時という事が分かる。空腹感と漏れ出る匂いに導かれるまま、夜澄は戸を開けた。
「あ、お帰りなさい。夜澄さん」
「よう……いち? 何をしているのですか……?」
夜澄の視線の先には、床に座り込んでいる葉一の姿。その手には包丁があり、まな板の上で魚と格闘している。
「何って、決まっているじゃないですか。昼食を……作って、いるんです」
慣れない手付きで腸を取り出し、魚の頭をストンと落とす。その様子はまさに初めて料理に挑戦する危なげなもの。
「昼食を……って、そんな持ち方では怪我しますよ⁉」
「あっ」
見かねた夜澄が葉一から包丁を取り上げる。
「どういう事なのか、説明して下さい」
「だから、昼食を作ろうと……」
「そういう事ではありません。何故、ご飯を作ろうとしているのかを聞いているのです。ここでの世話は私に一任されているのですよ?」
包丁をそっとまな板に置いた夜澄が葉一を見つめる。
「ここ最近の夜澄さんは凄く顔色が悪い。なのに、お勤めを頑張ろうとしている。今、凄く無理をしていますよね?」
「そんな事はありません。むしろ調子が良いくらいです」
強情にも認めようとしない夜澄に葉一も躍起になって問い詰めようとする。
「確かに巫女の使命は大事です。それは余所者の僕でも分かる。でも、街の人達の頼みを聞く夜澄さんは嬉しそうだったけど、僕には無理をしているように見えた」
「それは……葉一の気のせいでしょう」
「いいや、断じて気のせいじゃないと思っています。だから今日は、皆に協力して貰って夜澄さんへの頼み事は無しにして貰いました。これでゆっくり休めますね?」
「な、勝手な事を……! 私には巫女として使命が――うっ」
頭に血が上った所為なのか、突然夜澄が頭を押さえてふらついた。そのまま膝をつき、立ち上がろうとするも上手くいっていない。葉一はすぐさま夜澄の額に手を当てた。
「……熱がある。やっぱり無理をしていたんですね」
「大丈夫、です……っ、私には巫女として使命が……!」
「だから今日はお休みにしたって言いましたよね? 良いから休んで下さい」
葉一が部屋の隅に重ねられている布団の一組を持ち出し床に敷く。その上に抱き抱えた夜澄を降ろして掛け布団を被せた。
「はぁ、はぁっ……よ、よういち」
「安静にしていて下さい。今、身体に良いものを作りますから」
息荒く葉一の名を呼ぶ夜澄。力なく伸ばした手が葉一を掴む事はなく、夜澄は泥のように寝てしまった。
第9話は明日(1/19)の18時に投稿します。