第5話 戦の始まり
「ぜぇっ、ぜぇっ……は、吐きそ――うっぷ⁉」
「兄ちゃん情けないぞー」
「そうだそうだ! 夜澄様を見習ったらどうなんだー!」
「そんな、ことっ……言われても……!」
結局、鬼の役となった葉一が遊び盛りの子供達を捕まえる事などできず、開始十分で早々にリタイア。休憩を挟み、何度も再挑戦するものの、それでも捕まえられない葉一は運動神経と体力がない事を悟り、「早く終わらないかな」と何度も口にしていた。
「なんで皆、そんなに、体力あるんだっ……」
子供にそんな事を尋ねても栓無きことと分かってはいても、葉一はそうぼやかずにはいられなかった。
「ばっかだな~、そんなの戦士になる準備をしているからに決まってるだろ」
「戦士?」
「おれはね~、大人になったら立派な戦士になるんだ~!」
「わたしは夜澄様のような巫女様になりた~い!」
「「それでこの国を護る為に戦うんだー!」」
「…………え?」
おおよそ大人の足の長さ程の男の子と女の子が〝戦う〟と言った事に、少なからず衝撃を受ける葉一。疲れや吐き気など忘れて、すぐさまその事を夜澄に尋ねようとする。
「もしかして、〈皇御国〉って戦争中なの?」
「そうですよ……って、葉一にはまだ言っていませんでしたね。現在、この〈皇御国〉は隣の大国――〈アズグラッド共和国〉と数百年間に渡って戦争中なのです」
「で、でも……皆普通に暮らしているじゃないですか」
「それはそうですよ。毎日戦っていたら、国家としての体力が無くなってしまいます」
「そ、それもそうか…………しかも、それは相手の国も同じ……」
〝戦争〟というのは、あらゆる面で国力を使い潰す怪物のようなものである。毎日盛んに行っていれば、勝敗がつく以前に兵糧や兵力が底をつき、継戦能力は著しく下がってしまう。
「じゃあ、子供達が戦士や巫女になりたいって言っているのは……」
「葉一の考えている通りです。子供達は大人になれば戦場に駆り出される事になります。男性は武器を持って戦地に、巫女になった女性は【呪術】を使って戦う事になります」
「それは、夜澄さんも……?」
「はい。巫女になった者は一人の例外なく」
平然と答える夜澄。その横顔に死への恐れや不安などは微塵もない。
「この国には私の他に百人程の巫女がいます。皆、【呪術】で鍛え上げた武具で戦い、外敵からこの国を護る――それが神の憑代となった巫女のもう一つの使命なのです」
「…………」
伝えられた様々な情報に葉一は酷く困惑していた。
幼い子供が既に戦う決心をしている事――――。
夜澄が戦う事を当たり前のように思っている事――――。
だからだろうか、余所者の葉一が不用意に国の事情に口を出してしまったのは。
「で、でも! それっておかしいじゃないですか! 死ぬかもしれない戦争に行く事が当たり前になっているなんて狂気の沙汰だ‼ 子供も巫女である夜澄さんも そんな、人の命を軽々しく扱うような……なんで、戦争をやめて仲良くしないんですか⁉」
錯乱したような葉一の声は思いのほか辺りに響き渡っていた。その所為で、楽しく喋っていた子供達や老婆がキョトンとして葉一を見ていた。
「あっ…………」
突き刺さる視線に葉一も失言だったと自分の過ちに気付いた。そして、気になる夜澄の顔を窺おうとして、酷く生真面目な顔で伝えられた。
「どこがおかしいのですか?」
「え……」
てっきり激怒すると思っていた葉一の予想は外れた。しかし、その顔は葉一の言っている事がまるで理解できないと言わんばかりだ。
「〈アズグラッド共和国〉は突如として、〈皇御国〉に戦争を仕掛けてきました。……私達には争う意思はなかったというのに」
「争う意思が、なかった……?」
「彼等の目的は自分達の価値観を押し付ける為だと教えられています。たったそれだけの為に、彼等はこの地を平気で踏み荒らそうとする。敵がこの国に攻め入り、大切なものを奪おうとするなら、私達はそれを護る為に戦わなければいけないのです。相手の望み通りに渡してしまえば、そこには何も残らない。皇国人としての誇りも、生きる意味も、何もかも……生きる価値すら無くした抜け殻となるのです」
「護る為の戦い、という事ですか……?」
「そうです。それでも彼等は数百年に渡って戦争を仕掛けてきます。敵の武力は強大無比。だからこそ、力ある者は戦わなければいけません。それが国や家族の為なら尚更です。それでも葉一はまだ……『おかしい』と言えますか?」
念押しするように、夜澄が葉一に問い掛ける。
夜澄達が抱く思想が「間違っている」と言う事は実に簡単だ。しかし、それは葉一の主観に過ぎない。記憶を無くしている葉一にとって、今ある物事の判断基準が本物で正しいのかも分からない今、〈皇御国(この国)〉の考えが〝正しいかどうか〟など判断できる筈がない。
「…………分かりません。今はまだ……」
苦虫を噛み潰したような顔で葉一は答えを保留した。自分でも整理し切れていないのは、葉一も分かっていた。
葉一の煮え切らない返事に、淡々と夜澄は続ける。
「今はそれで構いません。私達の持つ考えを無理に理解させるのは、共和国がしている事と同じですから。ただ、一つだけ言える事は…………私は凱陛下に『国の為に死ね』と言われれば、喜んで死ぬという事です」
「っ…………」
保護されたといえども所詮は余所者。その線引きをするかのような夜澄の矜持の現れに、葉一は黙り込む他なかった。
「あ、あの……! 夜澄さ――」
それでも先程の無神経な発言を謝りたいと思った葉一が夜澄の名を呼ぼうとした瞬間だった。
カンカンカンカン――――ッ‼
「うわっ⁉ な、なんだ……!?」
突然、幾つもの場所から甲高い鐘の音が鳴り響いた。音の発生源は街随所に建てられている高い物見櫓。
〈皇御国〉へ暮らし始めて、全く馴染みのない状況に葉一は辺りを見渡す。
「来ましたか…………」
直後、横にいた夜澄の顔が恐い程に引き締まる。
「葉一は他の人の指示に従って避難して下さい。良いですね……‼」
「え? ちょ、夜澄さん!」
謝る暇もなくこの場を去っていく夜澄。訳の分からないまま、葉一は夜澄に伸ばした手を引っ込める。そうして、焦燥感に駆られるまま、先程の老婆に状況を尋ねた。
「この鐘は一体……今、この国に何が起こっているんですか……!」
葉一の先程の態度を気にも留めないのか、あるいは気にする余裕もなかったのか、一呼吸置いた老婆が神妙な顔付きで呟いた。
「……始まったのです。共和国軍……〈アズグラッド共和国〉との戦が…………」
「え――」
葉一の背筋に冷や汗が流れ落ちる。バクバクと心臓は早鐘を打ち、手汗が止まらず、頭の中は真っ白となる。
そんな中、集まっていた子供達は忽然と姿を消しており、その場には老婆と葉一だけが取り残されていた。
「〈アズグラッド共和国〉が、攻めてきた……? 戦火に、巻き込まれる……⁉」
「さぁ……貴方も私と共に避難致しましょう。悪いですが、この老骨を運んでくれると助かります」
「え、あ、はい!」
葉一の腕が老婆の手に掴まれる。それで、ようやく正気に戻った葉一は慌てて返事をして老婆を背中に担いだ。
「この歳では、一人で歩く事も一苦労でねぇ。避難する場所は教えますので、どうかお願い致しますぞ」
「分かりました。では行きましょう」
腕でしっかりと老婆の身体を固定すると、葉一は指示された場所に出来る限り早く歩くのだった。
第6話は今日(1/17)の18時に投稿します。