第4話 巫女という存在
「――きて、起きて下さい」
「んんぅ…………」
身体を揺すられる感覚に葉一は目元を擦りながら、体を起こした。
「はへ? う~ん、ここ、どこですか……?」
「もう忘れたのですか。私の家ですよ、昨日一緒にご飯を食べて隣で寝たでしょう」
覚醒し切れていない頭で葉一が声のする方を見やる。
そこでは既に巫女服に身を包んだ夜澄が間近にいた。艶やかな黒髪から漂う薄荷のような匂いが葉一の鼻腔をくすぐる。
木の格子から漏れ出る朝日や空気の冷ややかさも相まって、寝ぼけていた葉一の意識は完全に目を覚ました。
「そう、でしたね…………おはようございます、夜澄さん」
「おはようございます、葉一」
挨拶を交わしたところで夜澄が朝食の支度に入った。手持ち無沙汰だった葉一は何か手伝おうと思うものの、何を手伝えば良いか分からず、仕方なく昨日来ていた黒いスーツを着た。
「出来ましたよ。って、あれ? 着替えてしまったのですか?」
囲炉裏の近くに敷かれた藁の座布団の上に座っていた葉一を見て、朝食を運んできた夜澄が小首を傾げた。
「いつまでも寝間着のままではいけないと思って……何か不味かったですか?」
「はい、非常に不味いです」
「そ、そんなに⁉」
朝食を床に置いて、深刻な顔をする夜澄に葉一の緊張が高まっていく。
「ここで暮らしていく上で大切な事を教えようと思っていたのです。まあ、また着替えれば良い話ですが」
「た、大切な事…………それって……」
「そう、それは――」
◆
「もっと腰を入れんか! 記憶がないからといって、手加減などせぬぞ‼」
「ひぃぃぃぃっ~~⁉」
朝の陽光とパワフルな老人の怒声をその身で浴びながら、作務衣を着た葉一は何故か鍬を持って畑を耕していた。
「や、夜澄さん……! これって、もしかしなくても畑仕事ですか⁉」
「畑仕事です! 働かざる者食うべからず! 葉一には、これから毎日色々な仕事をして貰います!」
そう……夜澄が言っていた大切な事とは〝仕事〟の事だった。
「夜澄様! こやつは気合が足りておりませぬ! もっと力を入れて指導しても構いませぬな?」
「はい、お願いします」
「ええええええぇぇぇぇっ⁉」
容赦のない対応に葉一は泣きながら鍬を振りかざす。腰が入っていなかったり、手だけで鍬を扱っていたりするとすぐに尻を叩かれる始末。その様子を夜澄は満足げに眺めていた。
「うん、良い感じですね。葉一!」
「な、なんですかぁー⁉」
「これが終わったら、次は私の仕事に付き添って貰いますからね! そっちは楽だと思いますから、畑仕事頑張って下さいね!」
「信じられるかぁあああああ‼」
空しい叫びが虚空に木霊する。ほとんど素に近い感情の発露に、夜澄はますます満足げに笑っていた。
◆
それから半刻ばかりの時が過ぎ、朝の一仕事を終えた葉一は民家を訪ねる夜澄に付き添っていた。
「お加減はどうですか?」
「あぁ……夜澄様。夜澄様のおかげで、腰の調子が良いですわ」
訪れた民家で夜澄は老婆に合わせて腰を折ると背中に手を当てる。そうして、葉一が空を飛んだ時のような言葉を羅列するや否や、老婆の顔色がみるみる良くなっていく。
(特別な力……どうやって空に浮かんだり、怪我を治したりしているんだろう)
特別な存在である事は間違いない。ただ、力の原理だけが分からない。しかし、どうやら人々の助けとなる事が巫女である夜澄の仕事のようだ。
「それなら良かった。また、何かあれば言って下さいね」
力の原理はどうであれ、夜澄は人々の助けになる事を誇らしく思っているようだった。
「夜澄様~! あそんであそんで~!」
「夜澄様、少しお力を貸して頂きたい事が…………」
「はいはい、分かりましたから!」
夜澄は大人から子供まで、男女問わず多くの住人に慕われている。その人望の厚さが何に起因しているのか、葉一はそこが甚だ疑問だった。
「夜澄様の事が気になりますかな?」
不意に、先程の老婆が葉一に声を掛けてきた。
「え、なんで」
「見れば分かりますとも。何故、あそこまで慕われているのか……貴方はそれが知りたいのでしょう?」
「顔に出ていましたか……ええ、その通りです。こんな得体の知れない僕を保護して心を砕いてくれている。その優しい性格が皆に慕われている理由なんだと思います。ですが――」
「それだけではない、とお思いでしょう?」
「はい。彼女の事を敬う視線の中に、なんだか畏れみたいなものを感じて」
「ははは……中々に鋭いですねぇ。その理由は夜澄様が〝巫女〟である事が関係しております」
次第に老婆は夜澄と巫女にまつわる話をぽつりぽつりと語り始めた。
「かつて、この皇御国はここまで大きな国ではありませんでした。技術に秀でるでもなく、土地に恵まれるでもなく……有り体に言えば、平凡な国だったのです。ですが、ある時この国を大きく発展させる転機が訪れる事になります。それは今から約八百年前、この〈皇御国〉がようやく〝国〟として形を成した頃……その御方は雷霆の如く、現れました」
「それがもしかして……巫女?」
「ええ……私どもの中では〈原初の巫女〉と呼んでおります。伝承によれば、神に選ばれ憑代となった彼女は大いなる力――【呪術】によって枯れ果てた土地に恵みの雨を降らしたそうです。当時の皇帝はその神の御技に大変感銘を受け、それ以来民衆に崇められるようになったのです」
スケールの大きさと巫女に関する詳しい話に、葉一は依然として耳を傾け続ける。
「ただ、神の如き力を使うとはいえ、彼女も人の子。〈原初の巫女〉は皇帝の元で国に多大な貢献をしたのち、二十六歳という若さで亡くなりました。彼女の死に皇帝や民衆は大いに嘆きました。しかし、それ以降も〝巫女〟は現れ続け、歴代の巫女様による尽力もあって、今の〈皇御国〉となったのです」
老婆がそこで言葉を切った。その視線は夜澄へと向けられていて、老婆の表情はどことなく悲しげであった。
「偉大な力と功績があったからこそ、夜澄さんはあんなにも尊敬されているんですね…………一つ疑問なんですが、夜澄さんもその……早死にするのですか?」
「それは分かりません。ただ、歴代の巫女はいずれも御子を成す前にお亡くなりになっております」
「そうですか……貴重なお話をありがとうございます」
「いえいえ」
老婆に礼を言うと同時に葉一は考える。
(そこまでいくと偶然、じゃなあないな。となると、その【呪術】っていうのは身体に相当負担が掛かるものなんだろうか……)
そう思って、葉一は自分が宙に浮いた時の事を思い出す。その時の夜澄は苦しいどころか、逆に涼しい顔をしていた。
「思い違い、なんだろうか……」
巫女や呪術に関する全てを知る訳ではないにしろ、胸騒ぎのようなものを感じた葉一はその事だけが胸に引っかかっていた。
そんな時、やけに楽しげな声が葉一の耳に届いた。
「わー⁉ 鬼がやってくるぞ~!」
「わっはっはー‼ 食べちゃうぞ~~‼」
声がした方では、小さな子供達に混ざって、大人の夜澄が羽目を外して遊んでいた。どうやら鬼ごっこをしているようだ。
夜澄が暇を持て余している葉一を視界に入れると、立ち止まって葉一に手を振った。
「葉一もこっちに来て下さい! 一緒に子供達と遊びましょう!」
「分かった~!」
特に断る理由もなし。葉一は駆け足で夜澄達の輪に混ざった。
「このお兄さんも鬼ですよー! 皆、目一杯逃げて下さいね~!」
「お、鬼⁉ よ、よーし! 僕に捕まった奴は、おしりペンペンの刑だ~!」
「尻叩きはいやぁ!」
「逃げろ~~‼」
子供達は混ざってきた葉一の素性など気にもせず、それから一時間程鬼ごっこに興じるのだった。
第5話は今日(1/17)の13時に投稿します。