第8話 出国前
私はモニターに映っている青年を見て、複雑な気持ちになっていた。
亜澄という人物はこの世にはもう存在しない筈の人間だ。共和国に囚われていた彼女は、私がこの大統領に就任してから程なくして亡くなっているからだ。
この実験をより濃密なものにする為、皇国の実情は巫女の夜澄に聞き、共和国の実情と共に私がインプットした。細部までこだわる為とはいえ、亜澄さんという女性のこれまでを利用してしまった事に胸が痛んだ。
「すまない……必ず、結果を出してみせるから」
今は亡き亜澄さんに懺悔し誓おう。
必ず、この国と皇国の問題を打破し関係を修復してみせると。
「葉一」
私を呼ぶ聞き慣れた声に後ろを振り返る。
「グレイ、仕事はもう良いのか」
「ああ、バッチリだとも。今は民衆の抑え込みに成功しているよ」
金髪碧眼のナイスミドルことグレイ・アンダーソン、私の最高の友人。この実験の協力者でもあり、この国の現状に疑問と憂いを抱く同じ異端者同士だ。
「お前には、済まないと思っている。こんな役目を押し付けてしまって」
「気にするな。ボクとキミの仲じゃないか。まぁ、近くにいて分かっていたとはいえ、こんなにも酷かったとは思わなかったけどねぇ」
グレイもモニターを覗き込む。その顔は渋柿でも食べてしまったかのように厳しい面持ちだった。
「そんな事、私が一番分かっている」
「だね」
モニターの前に並んで立つ。
実験の中のグレイとは違い、彼は本当に良い奴だ。夜澄が亡命してきて、現状と心の内を聞き、突然決断した私を責めはしなかったのだから。
昔の私と違って、グレイは昔から意見をちゃんと言えるし、何が正しいのかも理解している。
本当は、彼こそがこの国の大統領にふさわしいと思う。周囲から見れば、こんな意味不明な実験をして反感を買っている私と違って、きっとグレイはこの国を正しい方向に導けるのだと思われているに違いないだろう。
「でも……大統領はこの私だ。私とこれまでの者が犯してきた罪は私が背負い償おう」
「ははは、それは違うだろう葉一。私も共に背負うと前に言った筈だ。この国の現状は目に余る。そう意見を同じくした筈だ」
「ふっ…………そうだったな、親友」
グレイが肩を組んでくる。その腕と言葉はとても頼もしく感じた。
◆
葉一が〈アズグラッド共和国〉のやり方に疑問を抱き、〈皇御国〉へ帰る事にしてから丸一日が経った。ボロボロだった黒スーツも返して貰い、出立前の身支度をしていたところだ。
「この国ともこれでおさらばか。皇国と共和国、二つの暗部を見た後だと悔しいかな、皇国の方が人間らしい生き方だと言えるな」
葉一は皇国を出た事に今更ながら後悔していた。
共和国で暮らした事で、二つの国を比較する事が出来たのだから結果としては良い方だろう。皇国の人達の生き方を頭ごなしに否定する事が間違いだったと分かった事がせめてもの救いだろうか。
「――葉一様、お時間でございます」
不意に病室の外から秘書の女性の声が聞えてくる。葉一には、共和国の心残りはもうなかった。
「…………亜澄さん、貴方の事もきっと……」
代わりに皇国の心残りは深く心に刻まれている。
葉一は少ない荷物を持ち、病室を退出するのだった。
◆
「来たね」
病院の敷地内を出ると外には黒のリムジンが停車していた。
車内では黒スーツを着たグレイが相変わらずの薄ら笑いを浮かべており、車内から後部座席に座るように手招きしてくる。
「…………失礼します」
葉一は周囲に何もない事を確認するとドアの取っ手に手を掛けた。
「昨日の考えは改まる事はないかな?」
中に入り、流れるようにシートベルトして座席に座った葉一にグレイの執念深い視線が突き刺さる。しかし、その答えは最初から決まっている。
「改めるつもりはありません。間違っているものを正そうとしているだけですから」
「それがこの国の人間にとって望まれない結果だとしても?」
「それを決めるのはグレイさん、貴方じゃありません。もちろん僕でもありませんが」
「果たしてそうかな?」
「そういった評価は得てして周囲が下すものですよ」
葉一が断言したところで、リムジンがゆっくりと発進する。
「ところで、あの巫女を連れて帰らなくても良いのかい?」
「亜澄さんの事でしたら、僕よりも貴方の方が分かっている筈だ」
「はは、白々しい質問だったね」
「人の心を壊しておいてよく笑っていられますね」
重苦しい溜息が喉を通って吐き出される。
少し冷え込む車内の窓はその吐息で白く曇り、葉一はその靄の上からこの国の風景を眺める。白く曇った為に、そこから見えるものは隠れている。
(表面上に現れるものは信用に値せず、物事の深層にこそ真理がある。それを見極め見えないものを信じる。それが、僕がこれまでの生活で得た指標であり教訓だ。皇国に戻ったら、まずはもう一度あの国を知る事から始めよう……両国の問題を洗い出して解決すれば、夜澄さんの望んだ世界を実現できるかもしれない)
曇りガラスを葉一の左手がなぞる。
そうすれば、見えなかった街の活気が分かるようになった。もっとも、その行為は単なるたとえに過ぎず、実際に共和国が抱える闇を全て暴き出せた訳ではないのだが。
「葉一君。念の為に段取りを確認しよう」
葉一が車外を覗いている間に、事前に帰国の段取りを考えていたグレイがタブレット端末を持って再確認しようとする。葉一は首を固定したまま応じる。
「…………お願いします」
「まず、このまま国境警備隊の基地まで行く。そして、そこでバギーに乗り換えて国境付近まで送るという感じだ。送り届けられるのはそこまでだ。無論、見送りはちゃんとさせてもらうけどね」
「国の事情は分かっています。それで十分です」
何故、皇国まで送ってくれないのかという愚かな質問を葉一は口にしなかった。両国は戦争中でつい先日戦いをしたばかりだ。当然、国境を見守る者達が警戒しているのは言うまでもない。
だからこそ、葉一はグレイを責めはしなかった。
次回第2章エピローグ、明日(1/30)の18時に投稿します。




