第6話 囚われの巫女
その後、無事に検査を終えた葉一は自分の病室には戻らず、病院内をあてもなく散歩していた。
「……皆、おかしい人を見る目をしていた…………。馴染めてきたと思っていたけど、やっぱりここでも僕は余所者で、この世界に入り込んだ異物でしかないのかな…………」
身体の傷は癒えても、心のショックはすぐには回復しないらしい。先程から半ば放心に近い状態でふらふらと彷徨い続けている。
「……? この匂い…………」
通路の曲がり角に差し掛かった時、ふと空気を伝って薄荷のような匂いが漂ってきた。
「これって、夜澄さんの匂い……?」
葉一は決して変態的な意味で反応した訳ではない。
共和国に来て、病院内で過ごす際はどこもかしこも薬品の臭いだらけ。だというのに、この病院に来て皇国でしか嗅いだ事のない匂いがするのは変だと葉一は考えた。
「たしか、こっちの方から…………」
曲がり角を右手に曲がり、鼻で匂いを辿っていく。すると、通路の終わりなのか、歩いていった先に奇妙な病室を発見した。ドアの取っ手が頑丈な鎖でガチガチに固定されている部屋を。
気になった葉一は注意深くドアを観察する。
「この部屋……他の病室とは根本的に何か違う。赤いランプっていう事は閉まっているんだろうけど、カードロック式の鍵なのに前時代的な方法でも鍵をして閉鎖されている……って、あれ?」
試しに鎖を握ってみると、驚く程あっさりと取っ手から引き抜く事ができてしまった。そのまま垂れ下がった鎖を辿ると、足元にカードキーらしき板が落ちている事に葉一は気付いた。
「まさか、な」
そのカードキーを拾い上げると、恐る恐る取っ手近くにある縦の隙間に差し込みスライドさせる。
すると、ピーという音と共に赤く点灯していたランプが緑色に変化した。
「この奥に、一体なにが…………」
葉一は生唾を飲み込むとゆっくりドアを開けた。
「え?」
だが、その部屋には何も無かった。
妖怪が封印されている訳でもなく、この世の災厄全てが詰め込まれている訳でもなく。
ただただ、何もかもが白かった。薬品の臭いに混じって、微かだが薄荷のような香りがある為、ここが発生源である事は間違いはない。
「この部屋は……病室、なのか?」
「……………………だれ?」
「っ⁉」
葉一が奇妙に思っていた矢先だった。
不意に小さな声が響いた。人の気配は全く感じなかった葉一はビクリッと肩を震わせ、即座に周りに視線を転じる。
しかし、誰もいない。
純白の世界に存在するのは、外から入ってきた自分のみ――――と、葉一はそう思っていた。
偶然気付いた壁際にあるベッドの違和感に気付くまでは。
「あっ……」
余りにも自然過ぎて、その存在がいる事に葉一は気付かなかった。
そこには、一人の女性が居た。
多くの計器が置かれた側のベッドで、複数の点滴を繋がれた彼女はあたかも死んでいるかのように横たわっている。
その肌は恐ろしいほど白く、瞳の色もまた白い。髪はいつかの夜澄を連想とさせる白髪だったが、白い検査服を纏うその身体は夜澄と同じように張りがある。
葉一は外見から判断して、肉付き良い高齢者なのだと思った。
「あ、貴方は…………」
「……………………」
彼女はぼうっと虚空を眺めていた。突然入ってきた葉一に視線を向けはしなかったが、一言。
「ここに、人がきたのは何日ぶりかしらね…………」
抑揚も元気もない声でそう呟く。その一言を変だと思った葉一は素性を確かめる事から始めた。
「僕は葉一です。あ、貴方は誰、ですか……?」
「あたし…………あた、しは……」
声が上手くでないのか、何度か呼吸を挟みながらも口にしていく。
「あす、み…………あたしは、亜澄……の、はず」
「! その名前……もしかして」
言った本人が名前に自信を持っていなかったが、葉一はその名前のニュアンスにかつてお世話になった者と似たものを感じて、
「貴方は皇国人、それも巫女なんじゃ、ないですか……?」
「…………あなたは、共和国の人間じゃない、のですか……?」
そこで初めて、亜澄という女性は葉一の顔を見た。
「はい。僕は皇国――〈皇御国〉で保護されてお世話になった人間です」
「……そう、ですか。まだ、あの国は残っていましたか」
故郷を懐かしむように目を細める亜澄。何故、共和国に皇国人がいるのか。それはこの亜澄という人から訊けば自ずとわかるだろう。
「あなたは、亜澄さんは……何故、こんな場所に?」
誰も行かないような病院の片隅で堅牢なまでの部屋に閉じ込められていた様は、まるで幽閉されているようにも見受けられる。
真意を知る為、葉一は亜澄へと言葉を投げ掛けた。
「それはあたしが、昔戦争をしていた時に捕虜にされてしまったから。〝巫女〟を捕虜として捕えたのはあたしが初めてのようで……あたしはこの部屋で過ごすように言われました。食事は三食、勝手に外に出る事は許されませんでしたが、殺される事はありませんでした」
亜澄の話では、捕虜の割にはまだ手厚い待遇だと葉一はその時思った。
「ですが、巫女だったあたしが使える【呪術】という特別な力を調べる為に、ありとあらゆる実験が行われました。二重人格になるのは何故か…………何故強大な力を扱えるのか…………など。それらを調べる為に、薬品がたくさん投与され、電気を流しては反応を見られる毎日を過ごしてきました」
「なっ――」
「こちらでは、二重人格になる巫女という存在はいなかったらしく、あたしはこの病院で精神破綻者と診断されました。その頃から、既に数十年経っている筈なので、あたしは三、四十歳くらいだと思われます。その間、あたしはこの何もない真っ白な世界で何もせずに、ただただ存在していたのです」
「――――」
葉一は啞然としていた。
亜澄の口から聞かされた話はあまりにも荒唐無稽で信じ難いものだった。おかしなところがあるとはいえ、それ以外は至って普通だと葉一は思っていたのだ。
しかし、それは良い部分だけを見ていただけに過ぎなかった。
(捕虜のくせに待遇が良い? 逆だ、酷過ぎる……こんなものは、〝保護〟という名を監禁じゃないかっ……合理的な社会が彼女を異質の存在と判断し、機械的な暮らしをさせてい
る……! こんな無機質な生き方が幸せな筈がない‼)
この国に来て、葉一は初めて激しい怒りを抱いた。同時に、ある思いが葉一の心に芽生える。
「亜澄さん! 〈皇御国〉へ帰りましょう!」
「……え」
「こんな所にいても意味はありません! 皇国に戻って暮らす方が幸せな筈です!」
「――――」
「僕がどうにかして脱出させます! だから!」
「――い、いやよ‼」
「え?」
葉一がまくしたて、亜澄の手を取った瞬間、その手は勢いよく払われていた。
「そ、そんなのいやっ……あたしは、帰らない!」
亜澄が初めて感情を見せた。つまりそれは本気である事を意味していて、
「な、なんでですか! 故郷の方が絶対に良い筈です!」
「あ、あなたには分からないぃっ……この数十年間、何もせずに過ごしてきたっ……今更戻ったところ、あたしの事を誰も覚えていない筈よぉ! そうじゃなくても、故郷に帰っても何をしたら良いかなんて分からないのよぉ⁉」
亜澄がヒステリックに発狂し出し、ベッドの上で脚を抱えて、ブツブツと壊れたように呟くようになった。
「あすみ、さん……」
葉一はもう一度その手を取ろうとして、途中で腕を引っ込めた。そのような壮絶かつ過酷な人生を送ってきた彼女に対して、これ以上何を言えば良いのか解らなかったのだ。
「もう何も考えたくない思い出したくない生きていたくない……‼」
今度は頭を抱えて、そんな事を口にする亜澄。本心なのか、それともそうではないのかは判断がつかない。
だが葉一は、部屋に入った時に何故すぐに彼女の存在に気が付けなかったのかを理解してしまった。
(この人はもう、生きる事を諦めている……生きる意味が分からなくなって……壊れて……心が死んでいるから…………だから、部屋に入っても空気のように気付けなかったんだ)
葉一が気付かなかったのは、保護色めいた亜澄の外見と部屋の所為ではなかった。
この閉鎖的な空間で、なにもせずただ食べて寝るだけを繰り返していた亜澄はいつしか生への執着を失っていたのだ。
「――やぁ、葉一君。こんな所で何をしてるんだい?」
「! あ、アンダーソンさん……」
呆然としていた葉一の背中に声が投げ掛けられる。
振り向けば、そこには待合室のモニターで会見を行っていたグレイ・アンダーソンが立っていた。
「アンダーソンさん! これはいったいどういう事――」
「葉一君。外に出て、話そうか」
葉一が亜澄を監禁していた訳を追及しようとすると、グレイは指で部屋の外に出るよう促した。
第2章7話は明日(1/28)の18時に投稿します。




