第5話 奇妙な空気
「今日で病室暮らしも終わりかー」
葉一が〈アズグラッド共和国〉に亡命してから、しばらくの時が流れた。
病室での生活ではあるものの、共和国での暮らしにもすっかり慣れていた。最初こそ、不気味とさえ感じていた人々の笑顔も〝普通〟と思うようになり、今では隣の病室の人とも仲良くしている。
それでも葉一が唯一慣れずにいるのは、サプリメントやゼリー飲料での食事だけである。
現在は昼過ぎ。病院には経過観察という名目で病室に引き留められており、葉一はこれから検査に赴くところだ。
「となると、家と仕事の確保が重要だな。皇国の時は何不自由ない生活を夜澄さんが提供してくれたけど、ここではそうはいかないしなぁ。アンダーソンさんが都合してくれるとは言ってたけど、どこまで信用して良いものか……」
病衣のまま病院内を歩きながら、葉一は今後の生活について頭を悩ませていた。
そろそろ退院という事でグレイが寮生活の出来る仕事を紹介してくれるらしく、しかしグレイを未だに信用できていない葉一はその申し出を受けるかどうか悩んでいるのだ。
ここでの暮らしはグレイによる計らいで皇国以上に快適である事は間違いなく、また葉一自身が危害を加えられる事は一度もなかった。
それでも葉一は後一つ、グレイを信用できるに値する何かが欲しかった。
「――あのぅ、何か御用でしょうか?」
「あ、す、すみません。僕は葉一、ここへは最後の検査を受けに来ました」
考え事をしている内に受付カウンターの前まで来ていたらしい。女性の受付スタッフが苦笑交じりに尋ねてくる。
「……葉一様ですね、確認致しました。順番になり次第お声掛け致しますので、待合室にて座ってお待ち下さい」
「ありがとうございます」
そう言って対応してくれたスタッフが待合室の腰掛けを差す。葉一は礼を言って、時間までそこに座って待つ事にした。
「あ! アンダーソン大統領だー‼」
突然、他の腰掛けに座っていた男の子がある方向を指差した。それに釣られて、葉一もそちらを見る。
そこには、壁に取り付けられているモニターがあった。フラッシュを焚かれながらも手を振って応えるグレイの姿が映っている。
(内容は皇国との戦争について、か。再起を図っていて、あと一週間もあればまた開戦できるのか。僕が見た戦いから既に二週間と少しだし、軍備の拡張も済むという訳か…………)
皇国にいた頃は一度戦った後、その約一週間後には再戦していた。
その早さについては、まだグレイに尋ねていない。わざと戦力を温存して皇国を油断させる作戦だったのか、通常の数以上の兵器を用意、分割していたのかは定かではないが。
『――前々回の交戦では痛手を負い、前回の交戦では痛み分けとなった。しかし収穫はあった! 敵戦力を大幅に削る事に成功したのだ! よって、次に戦争を起こす時――それは皇国の終わりを意味するだろう!』
「「――うおおおおおおおおぉぉぉぉっ‼」
「⁉」
グレイがそう宣言した刹那、待っていた患者達やスタッフが勢いよく席を立ち、一糸乱れぬ動きで熱狂的なまでの喝采を捧げていた。
「な、なんだ……⁉ この熱はっ⁉」
幼い子供から老人に至るまで、喉が壊れんばかりの絶叫を上げている。
本来静謐である筈の病院が、瞬く間に喧騒と狂乱の世界と化していた。
「アンダーソン大統領! バンザーイッ‼」
「バンザーイ‼」
「共和国万歳!」
「バンザーイ‼」
〝普通〟だと思っていた世界が突如として形を変え、心を抉る。否、元々〝異常〟だったのかもしれない。その余りの熱さに、葉一は思わずたじろいでしまっていた。
「…………あれぇ?」
先程、グレイに反応していた子供が、この場で喜びすらしていない葉一を見て首を傾げる。
無邪気に目を輝かせていたその子の目からはハイライトが失われていて。
まるで神や教祖を侮辱された信者のような眼差しが〝異物〟である葉一に向けられていた。
「うっ…………」
「おいおい、駄目じゃないか葉一」
途端、横から葉一の肩を誰かが叩いた。
「え、ぁ、あなたは…………」
その者は仲良くなった患者の一人だった。葉一が喝采していなくとも決して怒る事はなかった。
「ちゃんと万歳しなきゃな、ははは」
しかし、その者の顔は笑っていても…………その目だけは一切笑っていなかった。
「ぅ…………う、うん。あ、あははははっ! アンダーソン大統領、バンザーイっ……!」
それが途轍もなく不気味で、理解し難くて。
そんな彼等の視線に耐えられなかった葉一は大きく震える声でグレイと共和国を称えた。
第2章6話は明日(1/27)の18時に投稿します。




