エピローグ 決意
チュン、チュン。
「――はっ⁉」
鳥のさえずりに鼓膜が刺激されて、葉一は目を覚ました。
「こ、ここは…………うっ」
そこは今では随分と馴染み深くなった夜澄の部屋だった。布団の上で身体を勢いよく起こすと身体に走る痛みがあった。視線を落とせば、至る所に白い包帯が巻き付けられていた。
「なんで……傷の手当が? そもそもいつ怪我をしたんだ…………」
「――起きましたか」
不意に横から聞こえて来た声に葉一が振り向いた。
「貴方は、祈さん……」
「良かった、どうやら大丈夫そうですね」
そこには、床に正座する祈の姿があった。膝近くには、水の入った木の桶と濡れた手巾がある。
「僕は、なんで寝ていたんですか? それも包帯までされて……」
「あなたは気を失っていたのよ、それも一週間。戦火に巻き込まれてね」
「戦火…………戦争…………はっ⁉ そうだ、僕は夜澄さんを助けに行って、それで…………」
祈の説明に葉一は自分が何をしていたのかを思い出した。そして、すぐにある人物の事が気になった。
「あ、あの! 夜澄さんはどこに……」
「寝ぼけているのでしたらはっきりと言ってあげましょう――夜澄は死にました」
「…………いえ、それは今さっき……思い出しました」
既に葉一は戦場で華々と逝った夜澄の事を脳裏に思い浮かべていた。
「そうではなく、夜澄さんの遺体は…………」
葉一が尋ねたのは夜澄の生死ではない。連れ帰ろうとした夜澄の亡骸の事だった。しかし、それを聞いても、祈は首を横に振るだけでそれ以上は語らなかった。
それすなわち、夜澄の亡骸は持ち帰れなかった事を意味していて。
「そう、ですか…………残念、です。夜澄さんの遺体をちゃんと弔ってあげたかった…………」
「……それを聞いたら冥府にいる夜澄も喜ぶと思います」
そう言って弱々しい笑顔を浮かべる祈。その瞼は赤く腫れていた。葉一はこんな時だというのに、理解できないと思っていた〝巫女〟にも人間味はあったのだと、内心ほっとしていた。
「ところで葉一様。身体は動きそうですか」
尋ねられて、葉一は身体を捻ったり腕を回したりする。
「ちょっと痛いけど、動けない程じゃないです。どうかしたんですか?」
すると、祈は居住まいを正してから口を開いた。
「凱陛下が『起きて動けそうなら登城しろ』との仰せです」
◆
「葉一殿がお見えになりました!」
「来たか、通せ」
居室に入ってきた門衛が凱に報告すると、凱はすぐさま葉一を通すように命じた。
「一週間ぶりだな」
「はい。不本意な事に」
座布団の上に座っていた凱は真顔で葉一を出迎えると、正面に置いた座布団に座るように促した。対して、葉一はサラッと皮肉を口にすると共に座布団に正座する。無論、凱に対してのものではない事は彼自身も重々承知の上だった。
「何故、僕を呼び出したんですか?」
「夜澄の最期を看取ったのはお前だと聞いておる。早速話してもらおう」
「分かりました。僕には、それを伝える義務がある」
葉一は必要以上に深く呼吸をした。当時の事を、夜澄の死を思い出している為である。そうして、十分に落ち着き払ったのち、葉一は意を決して語った――――。
「――そうか。夜澄は満足げだったか」
葉一から全てを聞き終えた凱は目を閉じて息を吐いていた。その表情は先程までと何ら変わりないものの、葉一にはそれが穏やかなものに見えていた。
「礼を言うぞ。葉一」
「いえ、当たり前の事ですから。あの、凱陛下……報告をした見返りという訳ではないのですが、聞きたい事があります」
「構わん。なんでも申せ」
「では、遠慮なく。巫女の秘密について、です」
凱の許可を貰った葉一は恐らくは禁忌とされる事柄に触れた。それを聞いた瞬間、凱が纏う雰囲気がピリッとした事を葉一は感じ取っていた。
「【呪術】を使える巫女は短い寿命しか生きられないと聞いています。しかもそれには原因があって箝口令も敷かれている事も聞きました。いったい、巫女にどんな秘密があるというんですか」
「…………葉一、お前も少しは勘付いているのだろう?」
「そんなものはただの予想です。僕はこの〈皇御国〉の皇帝である貴方の口から直接真実を聞きたい」
たとえ、巫女が短命な事の理由に少しでも触れていたとしても結論付けるのはまだ早い。葉一の予想が正しければ、必ず平然としてはいられないからだ。
概は重苦しい息を吐いてから葉一を見据えた。
「そうだ、巫女が代々短命なのには明確な理由がある。しかし、それを説明するにはまず【皇国呪装】という代物がどんなものか説明した方が分かり易い」
何故か引っ張り出された【皇国呪装】の話題に、葉一が首を傾げる。
「私はこの国で唯一【皇国呪装】製作の儀式を指示できる皇帝だ。その凄まじさを知っていれば、自ずと理由は分かるな?」
「……はい。敵の攻撃を防ぎ、大きな打撃を与えられる凄いものですから」
葉一は脳裏に強く焼き付いたあの光景を想起した。味方を護る鉾鈴に、敵を殲滅する大筒。いずれも強力な力を秘めていた。
「しかしその反面、大きな欠点もある。それが魂の浪費だ」
「魂の……?」
「【皇国呪装】という代物は巫女の命、否――魂の力を、それこそ百人単位で捧げなければ創り上げる事は出来ない。そしてそれは【呪術】の使用に置き換えても同じ事だ」
「…………」
告げられた衝撃の事実に葉一は言葉を失っていた。
「更に言えば、【呪術】を使って創り上げた【皇国呪装】を使ったとしても、魂は同じく劣化していく。だからこそ、夜澄は老化したような姿となり、苦しんでいたのだ」
葉一がふと夜澄の姿を思い出した。あのような痛々しい姿を。
「そ、それじゃあ夜澄さん達巫女はそれを解っていて【呪術】を使っていたというんですか⁉」
「そうだ」
「それを解っていながら、貴方は! 彼女達に【皇国呪装】を使うように強要したんですか⁉」
「そうだ」
平然と……淡々と頷き返す凱の態度に葉一の怒りは激化していった。
「なんでこんな仕打ちができるんだ‼ 【皇国呪装】を創らなかったら……そもそも巫女ですらなかったなら! 彼女はもっと長生きできた筈なのに‼」
「――ならば、何も抵抗するなというのか」
「…………⁉」
「この国が蹂躙されるのを、ただ指をくわえて見ていろと申すか」
凱が恐ろしく冷え切った眼差しを葉一に注ぐ。有無を言わさぬ視線などという生易しいものではない。
もはや、殺気の域だ。
「国を護る為には犠牲は付き物だ。それに彼女達の代わりなど幾らでもいる。巫女とは、なりたいと思えば誰でもなれるのだからな」
「なん、だと…………彼女は、夜澄さんは代替品だったとでも言うのかっ……」
「その通りだ」
「今まで国の為に尽くしてきた夜澄さんに向かって、よくそんな事が言えたな‼」
凱の考え方に激昂する葉一。しかし、そんな葉一を前にしても凱の態度が揺らぐ事はなく、凱は何事もなかったかのように続ける。
「ああ、そういえば、お前の世話役がいなくなってしまったな。祈とは既に知り合いだったか、なら彼女をあてがうとしよう」
「――――っ」
夜澄の死や巫女の命をなんとも思わない凱の発言に、葉一は激しい怒りを通り越して悟った。
――――この人には何を言っても無駄なのだと。
葉一はその事が何よりも虚しかった。風穴が空いたかのように胸が痛んだ。
(命を軽々しく扱う巫女も……人の命をまるで道具のように考えるこの人も……何もかも、理解できない……何を言っても、無駄なんだ……)
葉一は大きなショックを受けたまま、凱の屋敷を自分から出ていった。
「あのような輩に好き勝手言わせて良かったのですか?」
葉一が部屋を出ていってすぐ、壁の陰から進み出た門衛の男が凱に問い掛けた。
「良いのだ。彼の言っている事は正しい。私はこの国の礎となっていった歴代の巫女達に報いなくてはならないのだ。彼女達の犠牲は……功労は、決して無駄ではなかったのだと――――」
◆
このような結果となってしまった事に私の心は痛んでいた。
「凱陛下の苦悩は理解していた。でもあの時逃げていなければ、私は夢を叶える事もできないまま死んでいたのですね」
隣にいる夜澄の肩は震えていた。
「巫女としての使命、そして歴代の巫女の功績が皇帝を雁字搦めにしていたのか。そうなってしまった原因は私達が仕掛けた戦争にあった……すまない…………」
私は強く、強く拳を握りしめた。爪が肌を突き破り、血が出ている。
「この実験を通して、二つの国の未来は変えられるのでしょうか?」
「今はまだなんとも言えない。だが、君の情報提供のおかげで実験の精度は限りなく高まった。この実験の成果と私達の力があれば、きっと現状を打破できると信じているよ」
「そう、ですね。私はその為に亡命してきました。この戦争を終わらせて平和を築く為に」
私と夜澄はお互いの手を握る。
「今後どうするべきか……その課題が実験の中ではっきりと見えてくるまでは、なんとしてでも民を抑えねばならない」
国民の一部は、国家予算を使ったこの実験の存在を嗅ぎつけている。できれば、暴動が起きる前に実験を終えられればいいのだが……。
◆
凱陛下と話した日の夜、葉一は布団に包まりながら考えていた。
「眠れないのですか?」
「眠れる筈がない」
居なくなってしまった夜澄の代わりに、祈が家に転がり込んでいた。祈はただじっと葉一の事を見ていた。異邦人である葉一の心配をしていたのかもしれない。
「あの人の理屈は、間違っている。そう考えると、夜澄さんの死は不憫でならない」
国を護る為とはいえ。自壊する力を使おうとする巫女達の心とそれを道具のように扱う凱の理屈は葉一にはまるで理解できなかった。
「あなたに理解して貰おうとは思っておりません。この国はそうやって生きてきたのですから。それと今思い出した凱陛下の伝言を言っておこうと思います」
「…………伝言?」
「曰く、『これからもこの〈皇御国〉の為、その知恵を貸せ』――――との事です」
「…………」
あんな言い争いをした後だというのに、凱は一切ブレなかった。否、言い争っていたのは葉一だけだった。凱は皇帝として、ただ当たり前の事を伝えていたに過ぎないのだから。
(夜澄さんを道具のように扱う人だ。そうやって、僕も使い潰されるのか…………そんなのは嫌だ……! 死にたく、ない……!)
葉一はもう〈皇御国〉には居たくはなかった。一度そう考えてしまうとそれ以降、悪循環するように頭を蝕み続ける。
(…………決めた。明後日の朝、この国を出よう。僕の記憶の知識と合致する〈アズグラッド共和国〉に逃げ込むんだ――――)
そうして、葉一は〈皇御国〉の敵であり夜澄の仇でもある国〈アズグラッド共和国〉への亡命を決意したのだった。
第2章1話は明日(1/22)の18時に投稿します。




