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番外編 異類婚姻譚 ー魔族と人ー 5. 取捨


 人のいるところには居られない。

 包帯だらけで歩くセラを見て、驚く人たちも、先の騒動を知っているのか、声を掛ける者はいなかった。


 立ち止まれば追いかけてくる思考を振り切るように、セラはひたすら歩いた。


 街を背にただ足を動かす自分に気づく。

 逃げている自分に。

 どうして。

 ずっとここにいたいと願っていたのに。


 レイ


 セラの顔が歪んだ。

 戦慄く口元に涙が伝う。


「あなたは誰かのものだったのね」


 前を歩く彼を思い出す。

 必死に追いかければ、彼は時々振り返った。

 セラの歩みが遅れれば、休む時間を設け、次からはゆっくりと進んでくれた。


 目を細めて笑う顔が好きだった。

 頭を撫でる手が温かいと……心がじわりと潤むような、幸せな感覚に満たされて。


 いつか思った翻弄という言葉ではない。


 恋慕(こいした)っていた。


 好きだった。


 でも……


 彼は誰かのものだった。


 ◇


 騎士団の隊舎に押しかけて来た自身の婚約者に、レイは眉を顰めた。


「リザリア嬢、このようなところに御令嬢が足を運ぶのは如何かと……」


 目を潤ませ、自分を見上げる婚約者は有力伯爵家の一人娘で。自分を婿にと望んだ人だった。


 伯父が持ってきたこの話にレイは戸惑った。

 父もいい顔をしなかったが、母は自分の息子が貴族になる事を大いに喜んだ。

 一度だけ会えと説得され、顔を合わせたのは、あの時城で自分を従兄と間違えた令嬢だった。


 どうやら彼女は従兄に懸想していたようで、似た顔立ちのレイをいたく気に入ったようだった。

 レイにとっては苦悶しか無さそうな婚約話。

 父が嫌がった理由が良く分かる。レイは平民として暮らして来たから余計に理解出来なかった。


 だから仕事と称して国外の任務ばかりを請け負った。

 自分の事など会わなければ忘れてしまうだろうと。


 けれど思惑は外れ、いつの間にか外堀が埋まり、レイの婚約は勝手に纏められていた。


 一度だけ婚約者に着飾られ、夜会というものに参加した。

 平民ではあったが、最低限のマナー教育は受けていた為、そちらの方は何とかなったが、正直あの空気は辛かった。


 言いたい事があればはっきり言えばいいのに。

 紳士淑女の美徳とやらは理解し難い。

 嬉しそうに自分にしがみつく婚約者も、それを遠巻きに羨ましそうに眺める令嬢たちも、レイには掴みどころの無い、不気味な存在でしか無かった。


 従兄が彼の婚約者と入場して来た時には、何故かリザリアは胸を逸らして勝ち誇っていた。

 ……自分と従兄は違う人間なのだが、分かっているのだろうか。


 リザリアはレイが何を考えて、どう過ごそうとも気にしなかった。

 ただ綺麗に着飾り横に並び、従兄に見劣りしない存在であれば満足していた。

 レイは、そんな彼女の価値観に歩み寄れず、かと言って逃げる事も出来ずに、迫り来る時間から目を背け日々を歩いて来ただけだった。


 その結果が今ここにあるこれ。


 リザリアはレイに手を伸ばし、胸に顔を埋め縋った。


「聞いてレイ。あなたに平民の恋人がいるなんて、酷い事を言う人たちがいて……」


 そこまで聞いてレイは勢いよくリザリアの肩を掴み自分から引き離した。


「何をしたんだ?」


 セラ


 思い浮かぶのは、不器用で無垢な魔性の少女。


 力を込めた手に釣られ、声も硬くなる。

 その様子にリザリアは息を飲み、顔に険を滲ませた。


「な、何よ! 婚約中だと言うのに、平民の女に入れ上げてるなんて! 私がどれ程惨めな思いをしたと思っているの? あなたは婿養子なのよ? 許される筈が無いでしょう?」


 レイは眉間に皺を寄せた。


「何故俺なんだ」


 今まで何度も頭を過った疑問。

 けれど口にしなくとも、どこか納得していたそれ。


「似ているからよ、ロイーズ様に……あの方の事がずっと好きで、忘れられなくて! 婚約者がいても気持ちは変わらなかったのよ!」


 聞かなくても分かった振りをして、聞く事を放棄して来たのは、それでも直に耳に届けば軋む自分の心を鑑みていた為かもしれない。


「そうか……」


 レイはリザリアから手を離した。

 自嘲気味な笑みが口元に浮かぶ。


「な、何よ……あ、あなたとの婚約は破棄しないわよ! もうあなたと結婚するって皆に言っているんだから! き、貴族の婚姻なのよ! あなたには私の夫になって貰いますからね!」


「どうでもいい」


 レイは踵を返して外に向かった。


 ただの拾い物では無くなっていた。

 彼女に惹かれ、全てを捨てたいと思い詰める位には。

 だからもう他には何もいらない。


 その言葉に婚約者は目を丸くしたが、駆け出したレイには彼女の絶叫のような喚き声が聞こえてきただけだった。


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